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女性三人組で天下統一 今更三国志11(14)

これは、シミュレーションゲーム『三国志11』のプレイ記録です
前回の記録と登場人物紹介、そして縛りなど

人物紹介パート3

縛り内容


1 武威攻略隊、出陣す(261年4月)

 長安から怒涛のごとくやってきていた貂蝉軍。呂布や董卓のような武力の高い武将が知性派の副将をお供にしてやってくるため、計略で対応することができず、その圧倒的な武力の前になかなか思うように迎撃ができません。
 それでも、周囲を敵に囲まれている貂蝉軍と比べると、背後に敵がいないという地の利を得ている我が軍は、物量で若干有利に働いているようです。徐々に貂蝉軍の後続部隊が少なくなってきました。

李氏  あと少し、あと少し粘れば敵は撤退するわ……。
伝令  申し上げます。敵将・李通が長安から出陣、南東の桟道をとおり漢中に向かってくるようです。
関銀屏 む、この経路だと、交戦地域を迂回して陽平関に直接向かうことになる。陽平関から花鬘を出して迎撃させよう。

伝令  申し上げます。呂布率いる部隊が洛陽方面に進軍しています。
杜氏  ええっ、反対方向だ。それってもしかして…。
関銀屏 貂蝉は漢中の攻略を断念したということか。
李氏  …これはチャンスだわ。

 長安からの貂蝉軍の攻撃が止んだ今こそ、涼州制圧を実施する好機です。ただし、貂蝉軍の矛先がいつこちらに向かうかわからない以上、漢中の守備力を確保した上で、できるだけスピーディに進める必要があります。それでも、武威も安定も兵力は2万程度。長安からの攻撃がなければ、どちらも一度に制圧できるでしょう。
 大急ぎで、武威・安定の攻略隊を出撃させます。編成部隊は次の通り。

鄧艾(槍5000)、鄧忠(槍5000)、諸葛恪・郭氏(弩6000)
王濬(兵器7000)、鍾会(弩7000)
秦良玉(馬5000)、馬雲騄(馬5000)、姜維(馬7000)

 まずは、鄧艾親子と姜維、王濬と鍾会を武威を向かわせ、秦良玉と馬雲騄の女性コンビと諸葛恪で安定を攻めさせます。我が軍への参加が武威の方が兵力が少ないため、早めに陥落させて安定の援護に向かわせたいところ。
 さすがに王異も黙ってはいません。文鴦と王双が安定から出撃。街道の武威と安定の分かれ道あたりで両軍がぶつかります。
 とはいえ、我が軍の精鋭とでもいうべき鄧艾・姜維・鍾会の敵ではありません。あとは城にとりつくのみ。

 ここで、天水から安定に向けて、最近になって我が軍の一員となった羅憲を出陣させます。羅憲は兵器隊の適性S。兵器隊を率いるのはこれまでほぼ王濬だけだったので、羅憲の加入は攻城戦で心強い限り(鄧艾も兵器適正Sなのだけれど、やはり野戦で使いたい)。

 そして、261年8月、鍾会の弓攻撃で武威は陥落。同年9月にはその羅憲の兵器攻撃により安定が陥落。電光石火の涼州制圧に成功しました。


2 荊州情勢と人材の確保(261年6月)

 さて、涼州制圧からやや時は遡り、261年6月。
 注視していた停戦中の孫尚香軍が、ついに黄月英が治める新野の地を攻略しようとしています。さすがの知将軍団・黄月英軍も、荊州を制覇し圧倒的な物量を確保している孫尚香には勝てず、滅亡は目の前です。
 そして、孫尚香が新野を奪うと、二つの懸念が。一つは、新野を足掛かりに中原を闊歩し、我々が東を攻める上での障害になること。もう一つは、黄月英配下の良将を手に入れ、知性派が少ないという現状の弱点を埋めてしまうこと。


 そんなことを考えながら、新野での戦いの行方を見守っていると、一つのことに気づきました。
 黄月英の配下に、あの呉の名将・呂蒙がいる。しかも、なぜか忠誠度が低い。
 さらに、1都市5名という登用制限には、実は一人分だけ余りがある。さらにさらに、武力81知力89政治78と全てにおいて能力が高いが、うまい具合に登用縛りの対象になってない。
 …これは取れる。

 ジリ貧の黄月英から名将を奪うのはさすがに申し訳ない気もしたのですが、このままだと孫尚香が呂蒙を確保してしまうでしょう。その方がまずい。そう判断して、呉の先輩である魯粛で獲得交渉に行きました。
 というわけで。

呂蒙
統率91 武力81 知力89 政治78 魅力81 
特技「心攻」
槍兵S 戟兵A 弩兵A 騎兵B 兵器S 水軍S

 我が軍の二大エース・姜維と鄧艾に匹敵する総合値を誇る呉の名将が、我が軍に加わることになりました。


 なお、涼州の2都市を支配下に収めたことにより、新たに10名の人材を迎えることができるのですが、王異・文鴦・張済・楊阜・司馬望・呉蘭・鄒氏・張既・温恢、以上9名を確保。
 中でも文鴦は武力92の猛将。姜維の武力が92に育ったため登用できた人材です。我が軍は武力90超えが実は姜維だけだったので、文鴦は貴重な存在です。
 あと、鄒氏は欲しかったのです。あの曹操が入れ込んだことで知られているとおり、なんかセクシーな感じがして。


3 上庸攻略作戦(261年8月)

 そして、もう一つ迷っていたことがあります。それは蔡氏の治める上庸をどうするか。
 漢中から攻め入ることはできるのですが、そうすると孫尚香と国境を接することになってしまい、一触即発の危機になりかねないと思って避けていました。けれども、今は停戦中。しかも孫尚香は新野を獲得し、中原に攻め入る機を伺っている。

 これは、上庸とってしまった方がいいのではないか?

 そう考えていた矢先、上庸から文聘が単騎で侵攻してきました。これを機に、上庸攻めとってしまおう。ここを明け渡すと、また孫尚香に有能な配下を奪われてしまう。そう決断しました。
 張任と夏侯覇で文聘を撃退した261年8月、そのまま上庸攻略隊を編成。比較的最近になった武将が多く配置されています。

魯粛(弓5000)、夏侯覇(槍6000)、張任(弓6000)
鮑三娘(馬5000)、呂蒙(槍5000)、馬忠(井蘭5000)

 蔡氏の支配地域はすでに上庸の一都市のみ。黄忠や文聘、そして蒯越や蒯良のような有能な武将はいるにはいますが、こちらには知力93の魯粛と知力89の呂蒙がいます。いかに黄忠といえど無双はさせません。
 こうして、261年11月、呂蒙の一斉攻撃で上庸は陥落。騎馬戦法が使えない地形を利用するなど、敵も最大限の抵抗をしてきましたが、多勢に無勢。蔡氏の勢力は滅亡することになりました。

 新たな都市を確保したことによる新規の登用は、現時点では傅僉・蒯越・蒯良の三名。傅僉は武力85の猛将です。我が軍は姜維の武力92を超える武将は登用できないので、武力80台の人材は貴重です。


 そして、隣接する新野では、やはり黄月英が孫尚香に滅ぼされていました。
 当然、黄月英の配下が流れていないか確認します。いやまあいますよね、大物が。当然取りに行くことを画策しますが、誰がいいか…。登用人数には制限があり、あと2人しか取れませんからねえ。




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