エイリアンズ
alien (形)
1 (略)
2 風変わりな、異様な、(…と)異なる、異質の、(…に)適合しない、
(…と)相いれない
小学館 プログレッシブ英和辞典 より
1.
僕は、普通に生きることができない。
学生時代の友人からは、お前がサラリーマンをやっているというのが信じられないと言われた。結婚せずに独身貴族を通しそうとも言われた。変わってると言われたことなど枚挙にいとまがない。
当時の僕はその意味がわからなかったが、後に、彼らの直感がいかに正しかったかよくわかった。
普通に働くことに関して、僕はほんとうに無能だった。とりわけ、人間関係を作る、組織の代弁者として交渉や依頼をする、宴会などを仕切る、といった社会人としての必須スキルが壊滅的になかった。あのまま会社にいたら、いずれ向こうから不要の烙印を押され、追い出されていたと思う。
かといって、一人でやるはずの生活周りのことならできるかといえば、そうではなかった。同居人に何度配慮の至らなさを指摘されたかわからない。どうすればきちんと物事をこなすことができるのか、ほんとうにわからなかった。努力とはどうすることなのかさえわからなかった。
違う道を模索したが、最終的には人との繋がりをうまく作ることができず、失敗した。趣味の世界でも同じだった。友人がいないわけではなかったし、飲みに行ったりすることも何度もあったのだけど、最後には離脱する方向を選んだ。そうしないと、下手をすれば全てを壊してしまいかねなかったからだ。
これでも、学生時代の勉強はそこそこできたし、試験だの機会だのに挑戦してそれなりに成功してきたこともあった。でも、結局、人に対して自分の価値を説明できないと、生きる術を確保することはできない。人との関わりの場面では負け続けた僕は、最後のところで自分の価値を信じきることができなかったんだと思う。
努力という行為は、努力という行為によって成功した体験が乏しければ、続けることが難しい。努力を続ける条件は、自分を肯定できる心理だ。100mを走って13秒を切れない男性が、オリンピック出場を目指しつづけることは、残念ながら難しいだろう。それと同じだ。
要するに、僕は社会で生きる上での必要条件を満たしていなかったんだと思う。だから、生きるために必要な競争には、負け続けた。負け続けたから、生きる上で必要な能力を得られなかった。
生活の糧を自力で賄うことすら覚束ず、家族に養われて生きている時期もあった。まともに生きている人から見れば、僕の人生は真っ当なものじゃない。運と人に恵まれ、そこに寄生しているだけだ。
僕は、普通に生きていけないと思っていた。
どこに行っても、居場所はなかった。いつも、エイリアンだった。
2
かろうじて生きていけるようになったのは、色々なことを諦めたからだ。
僕は一時期、芸術について何かを書く仕事をしようと、修行を積んでいたことがある。あくまで愛好者として細々と創作もしていたが、アートで飯を食うほど才能に恵まれているわけではない。でも、書くことであればなんとかなるかもしれないと思ったのだ。
勿論甘かった。そういう仕事ほど、自分の仕事をきちんとアピールしなくてはならないからだ。根性がなかったといえばそれまでかもしれない。それ以前に、仕事に必要な知識とスキルすらなかったのかもしれない。
そこで、それまであえてやらなかったある領域に踏み込むことにした。自分にかろうじてできることといえば、それしか思い浮かばなかったからだ。いくつもの「ご縁がありません」の返事の後、なんとかひどい待遇の小さな会社に滑り込んだ。それが今に至る出発点だ。
それは、目標に向かって努力したつもりでいた僕が求めていたものでは決してなかった。むしろ、反対に目標を諦めることで初めて、ようやく「現実を生きる」ための準備ができたと言ってもいい。
言い方を変えれば、生きる上での困難から逃げることで初めて、別の生き方があると知り、その結果として今を生きることができているとも言える。運と環境に恵まれたおかげでそうできたことは認めるけれど、今ある程度きちんと生きられるようになったのは、逃げることを自分に許した結果だ。
だから、僕にとって、生きるとは諦めること、逃げることに等しい。
僕は、「普通」の生き方を諦めることで初めて、ようやく現実を生き始めることができたのだ。
いってみれば、エイリアンとして生きることにしたということだ。
ただし、そこに喜びがあるかといえば、また別の話ではあるけれど。
3
僕が彼女を必要とする理由は、ここと繋がっている。
彼女は、僕の芸術という「生きる上で必要としない力」を高く評価してくれていた。アーティストでもある彼女から、決して芸術を生業としているわけではない僕が評価されたことは、この上ない喜びだった。
単に芸術に対するだけの評価であれば、ここまで僕に存在意義を与えることはなかっただろう。でも彼女は、芸術を人間にとって不可欠なものと看做していた。そしておそらく、僕の芸術と僕という人間に強いつながりを感じていたと思う。
彼女の僕に対する評価は、僕という一人の人間が、この世に存在していい理由を与えてくれた。普通であることを諦めなくてはならない僕を、そのまま受け入れてくれた。自分一人の力では到底持ち得なかった自分を肯定する力を、彼女は与えてくれた。現実から逃れ虚構の世界に逃避するくらいしかできなかった自分に、光を当ててくれた。その逃避先にこそ人間の本質があると、僕にとっては福音以外の何物でもない言葉を与えてくれた。自分の芸術に関する能力は、何の役にも立たない娯楽以下のものなのではなく、まごうことなき人間として必要な領域であると、自信を持って思うことができた。
彼女のそういったものの見方は、色々なもの捨てることでようやく生き始めることができた僕に、この世界で存在する意味を与えてくれるものだった。
喩えるならば、彼女は僕に対して、エイリアンでいいといってくれたのだと言える。それは僕にとって、生きるよすがだった。彼女の存在が、僕にとって比較できないほど重い理由だ。
彼女と過ごした日々は、本当に素晴らしいものだった。そんな陳腐な言葉で表現することが冒涜であるように思えるくらい。
かつて、現実は僕を打ちのめした。現実は、自らのありように即した「普通」のあり方を僕に要請し、それに適応できない僕を容赦無く排除しようとした。だから、僕は「普通ではない」生き方をするしかなかった。
だが、彼女はその「普通ではない」部分に、現実から弾かれた僕の「普通ではない」部分に、光を当ててくれた。僕に存在する理由を与えてくれた。普通でない僕を排除しようとした現実の中に、僕の居場所を作ってくれた。
単なる作品の評価ではなく、その評価が僕という人間に結びついていたからこそ、僕は存在する意味を見出すことができたのだと思う。
僕はようやく、世界に存在してもいいと思えた。エイリアンにも仲間がいたのだ。
4
けれど、僕はやっぱり普通ではない。
かつて言われたことがある。「普通でない生きかたをするのは、本人がそれでよければ何も責められる筋合いはない。けれど、普通でないだけで、他人に負担を与えてしまう」と。
心を病んだ知人も言っていた。自分自身の心の不安定さのせいで、そばにいる人も同じようにしてしまう。だから私は恋人を壊してしまう、と。
僕が普通でないことも、彼女に負担を与えていた。
僕に存在意義を与えてくれた大切な彼女は、僕が普通でないことによって損なわれていった。
彼女は僕と違い、芸術の世界の中からも「現実」をきちんと見据えられる人だったからだ。芸術が現実の上に成立していることを熟知し、自身の芸術を完成させるために、現実を生きることを達成していたからだ。彼女は、きちんと現実を生きるすべを持っている人だった。
そんなまともな彼女にとって、僕という異分子は負担だった。
彼女が僕の元から去っていったのは、つまるところそういうことだと、僕は理解している。
普通に生きられない僕は、普通でないがゆえに、最も大切にする人を損ない、失ってしまった。普通に生きられないから、彼女に対して何もしてあげられなかった。
僕は恨まずにいられない。僕が普通に生きられないことを。そして、彼女を僕から奪っていった現実を。普通に生きられない僕を排除したばかりか、わずかばかりの生きるよすがすら奪っていった現実を。
エイリアンは、結局エイリアンでしかなかった。
5
でも、僕は普通じゃない。
だから、僕は信じている。僕のせいで損なわれた彼女が僕から離れてしまっても、それでもまだ彼女は僕のことを思い続けていると。周囲から嘲笑されようとも、そう信じている。
だって、根っこの部分では同類だと思っているから。彼女も僕も、同じように芸術を愛し、そこにこそ人間の本質があると信じて疑わない人間だから。
現実を生きる上での違いなど、愛情を減じさせる要因にはなりはしない。芸術に現実を超える価値があるのと同じように。僕はそう信じている。
僕を打ち負かした現実などより、僕に存在する意味を与えてくれた彼女の方が、僕にとっては遥かに価値があるし、揺るがない真実だ。
君は言ったよね。死ぬまでずっと好きでいてほしいって。
そんなの、頼まれるまでもない。ずっと好きでいるに決まってる。
だから、君のことを吹っ切ったりはできない。死ぬまでずっと君を求め続けるだろう。
君は簡単に切り離したりしていい存在じゃない。
だから、いずれ僕が君と会うことになったとしても、それは君を吹っ切ったからじゃない。
そもそも、君が僕から離れていくことを、僕は認めても許してもいない。
僕にとっては、何かが終わったわけじゃないんだ。
思い起こしてほしい。君が好きだったあのうた、どこででも普通に生きていけない僕のことをそう呼んでいるとしか思えないタイトルの、あのうたを。
手に入れられないからこそ求めてしまう禁断の果実をほおばりながら、普通の人には見えない月の裏側を夢見る。それはまさに僕の姿だ。
違いは、タイトルが複数形なのに、僕は今一人だということだけだ。
僕は信じている。僕らは必ず、月の裏側でまた出会うと。
君は僕から離れていったんじゃなく、ちょっとお出かけをしているだけだと。
君も僕も現実を生きなければならないから、しばらくの間そうしているだけだと。
そう信じている。
だって、僕は結局のところ、エイリアンでしかいられないのだから。
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