女性三人組で天下統一 今更三国志11(10)
これは、シミュレーションゲーム『三国志11』のプレイ記録です
前回の記録と登場人物紹介、そして縛りなど
1 南蛮部隊、いよいよ出撃す(257年5月、6月)
張任 よし、涪水関を占拠した。皆のもの、勝鬨をあげよ。
鍾会 このまま梓潼に攻め込みたいが、被害を受けている部隊もあるようだ。一旦全軍を関に入れ気力の回復をしよう。
というわけで、梓潼攻略隊は徐々に前線を敵城へと近づけています。ですが、成都は疫病のため兵士がどんどん減っていきます。一方で、東から馬超が迂回して成都に向かってきているのですが、諸葛恪や郭氏が罹患してダウン。馬超を計略隊の援護なしで応戦しなくてはならず、姜維と夏侯覇の武勇を頼みに出陣。
結果、成都から梓潼攻略のための後続部隊が出陣できない状況に。現状のメンバーでなんとかやってもらうしかありません。疫病で減ってしまった兵をなんとか再び集めて、物資とともに涪水関に輸送。今なお40000余りの兵を要する梓潼に対しては、やや物足りないかもしれません。
そこで。
孟獲 ぐわっはっはっはっはっは、やっとわしらの出番か。
張松 隣の永安は空白地。江州の守備は多少手数になっても問題ありますまい。
祝融 ようし、あたしらの力を見せてやろうじゃないか。
花鬘 関索っちー。今行くよー。待っててー。
てなわけで、江州で念の為の守備隊として温存していた南蛮勢を出陣させることに。南蛮勢は武勇に秀でる一方知力に難を抱えるので、張松、そして新たに加わった魯粛といった知将を部隊に加え、敵の計略で簡単に踊らされるのを防ぎます。
ただ、江州からだと移動にやや時間がかかるのですよねー。
2 病身の計略隊(257年7月)
一方の成都。姜維と夏侯覇を相手に流石にジリ貧となった馬超を救うべく、梓潼から迂回路を通って李厳の部隊が近づいてきました。
夏侯覇 よし、馬超隊はもはや無力。だが、李厳を相手にするには我が隊の損耗は大きい。姜維どの、貴殿一部隊で李厳を相手どることはできますか。
姜維 僕の一部隊だけだと厳しいな。だが、孟獲どのたちはこちらを援護するには距離がありすぎる。成都から援軍を要請したい……が、できるのかこの状態で。
そして、李厳隊の武将を確認した上で、成都は一つの決断を出します。
李氏 諸葛恪どの、病身であることを承知でお願いします。郭氏どのを副将にして出撃し、李厳を撹乱してください。
諸葛恪 ごほっ、人使い荒過ぎないっすかそれ。
疫病にかかって能力値が減少している諸葛恪と郭氏を出すことにしました。それでも、知力90の諸葛恪に「傾国」の郭氏の組み合わせであれば、敵を混乱させることは可能という判断です。
諸葛恪 ごほごほ、じゃ、手筈通りにかかれ。
李厳 なんだ、部隊の統率が乱れている。敵の撹乱か。
夏侯覇 よし、好機だ。全軍突撃!!
姜維 やるな諸葛恪。病魔に犯された身とは思えん。
李厳隊は何もできずに壊滅。やるじゃん諸葛恪。
そして、李厳と交戦の最中、涪水関からも出撃を図ります。
3 梓潼攻略戦(257年7月〜)
涪水関への輸送隊が到着する前に、城に向かう途中の軍楽台を破壊しようと、張任と鍾会の弩兵隊、そして王濬の衝車隊を出撃させます。今出せる部隊数としてはこれが限界。
すると梓潼からわらわらと5部隊ほど出てきました。あれ、衝車隊が危ない。関の前で乱戦となってしまいました。ちょっと失敗した。やっぱりもう少し考えて出さないといかんな。
そうして敵の多さに辟易していると、敵軍で最も厄介だった馬超の部隊がなぜか城に戻る動きを見せます。おやどうしたことか。
孟獲 ぐわっはっはっはっはっはっ。ようやく開けた場所が見えてきたわい。…ぬ、友軍が難儀なようだ。
祝融 よし、敵の背後を突こう。野郎共、着いて来るんだよ。
馬超 そうはさせん。
そう、南蛮3部隊が到着していたのです。
馬超はこちらの対応のために移動したようです。武力97かつ特技「騎神」という凶悪な部隊が桟道の出口に立ちはだかり、南蛮隊の展開を阻みます。こうなると数の多さも有利に働きません。
なのですが、
馬超 ぬ、兵の統率がとれん。どういうことだ?
孟獲 ぐわっはっはっはっはっ。わしの計略に引っかかるとは、お前もまだまだ甘いのう。
張松 (いやいやあんたの力じゃないからな。)
なんと孟獲が馬超を撹乱。脳筋の代表みたいな孟獲がなんで?と思ったのですが、そういやこちらが計略にかかるのを防ぐため、副将に知力88の張松をつけていたのでした。
馬超が混乱したのは桟道でもちょうど2部隊を展開できる場所だったので、すかさず祝融が隣にでて攻撃。恐るべき攻撃力を誇る馬超を無力化して撃破します。
馬超を退却させた後は、これまは武力92と「連戦」持ちという強力な魏延がやってきましたが、魏延も知性派の副将をつけていなかったため、南蛮隊の副将・張松と魯粛で撹乱。混乱してしまえば、攻撃力に優れる南蛮隊の独壇場です。無事、隘路を抜けて平原に部隊を展開させることができました。
一方、張任と鍾会の弩隊。流石に多数の部隊に劣勢でしたが、南蛮軍が馬超や魏延という難敵を引き受けてくれたこと、そして成都からの補給隊が到着して鄧艾を出陣させたことで、徐々に盛り返していきます。
兵数が少なくなった鍾会は一旦関に戻りますが、張任・鄧艾・王濬の三部隊で、劣勢になって城に退却する敵を追走。合流した南蛮隊と合流して攻城戦に。こうなったら、もう勝利は確定したようなもの。
そして257年12月、張任指揮による一斉攻撃で梓潼は陥落。すでに漢中と上庸を失っていた鮑三娘の勢力は滅亡することとなりました。馬超が成都に向かって進軍してからまる1年。成り行きでの展開が多かったせいか、時間がかかってしまいました。
4 そして災害再び(258年1月)
梓潼攻略に伴い、新たな5名の配下を増やすことができます。ですが、敵軍で有力な馬超(武力97)、龐統(知力97)、蒋琬(政治94)の三名は、それぞれ姜維(武力91)、鍾会(知力93)、費禕(政治93)の数値を上回るため、縛りにより登用不可。
…いや、こいつらがまた敵に回るとかやっかいなんだけど。特に計略の大半を無効化する特技「明鏡」を有する蒋琬が再度敵に回るのは、実は大変面倒です。呂布の副将とかにならないでくれよ。
そういうわけで、今回は鮑三娘・秦良玉・郭攸之・劉セン・鄧忠の5名を獲得することにしました。
強力な特技「疾走」を持つ関索をどうしようか迷ったのですが、強力であるがゆえに仲間にすることをやめました。いや、その決断が今後どうなるかはわからないのですけど。
それ以上に、特技「仁政」持ちが複数いたので、そちらを優先。どうやら鮑三娘軍が能力開発で引き当てたようです。有力な配下の相性がバラバラな我が軍にとってはありがたい特技なので、後方担当を任せられる「仁政」持ちが複数するのは心強い。
さて、梓潼を攻略し、長年のライバルを倒したわが三人娘軍ですが、ここで今後の戦略を考えねばなりません。北に向かって王異や貂蝉と戦い涼州を確保するか、東に向かって孫尚香と争い荊州の制覇を目論むのか。
鄧艾 漢中の兵力は1万を切っている。ここで一気に漢中を攻めるべきだ。成都からの補給があれば可能だ。
鍾会 (チッ、こいつはまた前線で独断専行しようとしてやがる。また偽の書状でも作って失脚させてやろうか。)
関銀屏 確かに、君主本人とそのお父上のみならず、今や趙雲・張遼などの名将を抱える孫尚香軍とあたりたくはないな。
杜氏 荊州に向かうと水上戦になるからなあ。うちにも水軍得意な人増えてきたけど、孫尚香ちゃんとこと争うのはやっぱ不利だよねえ。
李氏 やはり、電光石火で漢中を取りに行くのがいいかしら。
鍾会 (くそっ、鄧艾の考えが私の考えと一致するのがますます気に食わん。)
伝令 申し上げます。梓潼でイナゴが大量発生。稲が荒らされ、兵糧が減っているということです。
鄧艾 なにっ。
杜氏 またあああああ?
李氏 ああ、また一方対策が遅かったのね…。
というわけで、疫病の次はイナゴに襲われ、速攻の漢中攻めは一旦保留せざるを得ない事態に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?