意欲と実行

1


 先月末、また久しぶりに人前で演奏する機会をいただいた時のこと。
 僕のライブにしてはお客さんがたくさんきてくれて(あくまで僕のライブにしては。当社比)、ありがたいことこの上なかった。年内にまたやることが決まったけれど、同じくらいの人がきてくれるといいなと願うばかり。来ていただけるようなんとかしたい。
 そして、これまたありがたいことに、聴いてくださった何人かの知人から感想のメッセージをいただく。その中に、印象深いものがあった。かいつまんで言えば、こういう内容だ。

きちんとやりたいことがあるというのはとてもいいことで、またうらやましい。

 確かに、「独自のワールド」とか言われたことは何度かあった。実際、やりたいことの方向性は比較的明確だろうと思うし、自分がライブを構成する上ではそうあるよう意識し努力してきた。もっとも、実態はと言えば「いろんなことをできる力量がない」からという側面もかなりある。自身の音楽的技術の不足を埋めるための苦肉の策でもあるわけだ。
 ともあれ、どんなに独自性があり、どんなに自分の色が明確に聴き手に届いたのだとしても、技術的な側面についてはアマチュア基準としてすら難が多すぎるため、高く評価されることはなかろうとは思う。それはそれで何も問題ない。しかも、その独自性ですら、もっと耳の肥えた人からすればさほど独自のものでもないかもしれない。市場の評価を得られるとも思っていない。それもそれで構わない。
僕は単に好きなことをしているに過ぎないからだ。

 ただし、好きなことをできるということは、単に自分の意志や努力の帰結なのではない。才能に由来するものでも、もちろんない。これはいくら強調してもしすぎることはない。
 僕が今、好きなことをできているのは、たまたまそういう巡り合わせだったからだ。そういう流れがあったからそうなっているだけだ。


2


 少し前、僕はもう人前で音楽をすることをやめようと思ったことがある。人を呼べる見込みがなかったからだ。
 人を呼べないと、会場や共演者に複数の意味で迷惑をかけてしまう。それは避けたい。けれども、人脈形成や営業活動が全くできない僕にとって、人を呼ぶのは本当に不得手な領域で、どうやって努力していいのかわからなかった(未だにわからない)し、過去の経験上そこにあまり注力したくなかった。そうである以上、集客に関しては本当に為す術が見つからず、当然結果も思わしくない。
 純粋に音楽的力量だけで人が呼べるならまだしも、僕よりはるかに優れた力量を持っている人すら集客には苦労していると聞く。いわんや僕の場合をや、ということだ。
 そして、そういうことが続くと、自分自身の精神が持たない。

 そんなに辛い思いをしなければならないのだったら、もう人前で演奏するのはやめよう。そう決意したのは2年前だっただろうか。
 好きなことをするのは、それなりの対価を払わねばならない。その対価を支払うだけの精神力を、僕は持っていなかったのだと思う。


 でも、今年に入って2度ほど、また人前で演奏する機会をいただいている。 
 そういうことになったのは、僕が努力したからでもなければ、成長したからでもない。
一緒にやろうと言ってくれた人がいたから


 やはり、求められないことをし続けるのは、それなりにしんどいことだ。
 いや、自分の音楽がそこまでの市場価値もなければ、音楽という領域における重要性を持つものでもない、ということくらい理解している。ただ、そうわかった上であえて「人前で演奏し続ける」ことは、それなりの精神力を必要とするのだ。だって、演奏するたびに人に迷惑をかけることになるのだから。共演者や会場の生活に影響を与えかねないのだから。
 人に聴かせるということは、単に「やりたいからやる」で済むものではない。たとえ自分の力量に自信を持っていたとしても、やりたいことをやる上ではそれなりの責任が発生するのだ。もちろん、その責任をあえて意識しないという選択肢もあるのかもしれないけれど、僕はそこまでいい意味で太々しくはなれない。
 やりたいことをやるのは、それなりに大変なことなのだ。

 だから、一緒にやろうとか、やってくれとか、そういう声を聞くことができなければ、やりたいことだってできはしない。


3


 僕がやりたいことをできているのは、一緒にやろうと言ってくれた人がいたから。そう勧めた人がいたから。要するに、ほんの少しだけれど、僕にも求められる要素があるかもしれないと思えたからだ。
 だから、僕の今は、僕の努力によって手に入れたものではない。僕がやりたいことをできているのは、運がよかったからだとしか言えない。

 僕の好きな音楽も、僕が努力して好きになったわけじゃない。単純にただただ好きだっただけだ。そういう音楽ばかりやっているのも、他のことができる技術がなかったからというだけだ。そして、そういう音楽ができているのも、たまたま一緒にやってくれる人がいたからだ。
 だから、僕の今は、僕の意志や努力で手に入れたものじゃない。たまたまそういう巡り合わせだったというだけだ。ついでに言えば、そもそも欲しいものを努力すれば手に入れられるとも思っていない。そこまで努力の効果を信用していない。

 たまたまそういう巡り合わせだったのだとしたら、その巡り合わせが変わったり途絶えたりすることもあるかもしれない。
 今、得られているありがたい機会も、いずれはなくなる時が来るのだろう。それはそれで仕方のないことだろうと思う。

 そういうときが来ても来なくても、僕は僕のやりたいことを実現できる個人的な技量を高めるべく日々練習をするだけでいいし、それしかできないし、それ以上のことをするつもりもない。そして、人前で演奏する機会が失われたとしても、機会を得ようと努力することはないだろう。ただ自分のために練習するだろうと思うし、そうしていたい。次の機会を得るためではなく、ただ自己満足のために練習したい。
 もう、余計なことに気を回したくないから。


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