身の丈

 あるところに書いたものを、加筆して、ここでも。



 今まで、アマチュア音楽家としての活動における主な舞台は、ライブだと思っていました。それ以外が思いつかなかったというのもあります。僕はずっと生音の環境で音楽してきたし、マイク通す音楽とかむしろ苦手だった。だから、ライブが大前提でした。
 そして、先日知人のライブ配信動画をみて、ああライブいいなあって改めて思ったのです。聴くのもやるのも。自分のやったライブのことも思い出したりしてしまいました。ああ、あのときは楽しかったなあって。ライブはいいものです。ほんとに。


 でも、だからこそ、ライブは原則としてもうやらないことにしようとも思いました。

 だって、ライブをするには演奏以外のこともいろいろと考えなくてはならない。自分の最も不得手とする分野のことを。それが理由で仕事を辞めなくてはならなかったことを。それを抱えて辛くなるのはもういい。好きな音楽を嫌いになりたくない。
 だからこそ、演奏は動画の制作とセッションへの参加だけにして、ライブは専ら聴く側にまわろうと、そう決めたのです。あんな素敵な空間は、むやみに僕なんぞがしゃしゃり出ていいものじゃないんです。きっと。


 ただ、ひとつだけ例外を設けることにしました。ある条件を満たしたときだけ、ライブをやろうと。さまざまなことを受け入れてでも、もう1度あの場に戻りたい、そう思える条件がひとつだけある。それが満たされたときは、もう一度挑戦しようと。

 その条件とは、
「いま僕が、プレイヤーとしても人間としても、世界で一番信頼するひとから、僕を必要としてもらい、共演を持ちかけられること。」

 つまり、僕にとってのライブとは、この人と音楽をすることに他ならないということです。それほど、ライブとは貴重な場で、同時にそれほどその人が貴重な人だということです。

 ただし、自分からは持ちかけません。あくまで持ちかけられることが条件です。理由は、これ以上信頼するひとから拒絶されるのは、もう嫌だから。

 そんな機会が将来ほんとうにやってくるのか、正直わかりません。けれど、その時がくると信じて修行に励み、それまでは自分がやりたい世界を動画で表現して、時折セッションで他の人と一緒に音を出す日々を過ごすことにします。



 僕にとって、音楽とはそれ自体で自律した対象であって、その評価は演奏者や作曲者の人格とは別物だと思っています。ですが、音楽も人によってつくられる以上、音楽と人を完全に切り離すこともできないとも思います。
 だから、音楽を通して思ってしまう嫌なことのほとんどは、人間についての嫌なところなのだと思っています。

 僕は職業音楽家ではなく愛好者なので、音楽を生活の糧とするつもりもなければ、商品として割り切ることもできません。むしろ、自分の出す音は良くも悪くも自分そのものだといえます。そんなものは売れるわけがありません。
 だからこそ、音楽を通して人と関わることは、その人の人格とダイレクトに関わることに限りなく近くなります。もちろん、技術が足りなくて伝わらないことはあるのけれど、それでも。

 僕は、人間として関わりたいと思う人と音楽をしたい。音楽を通して、その人に触れたい。それは、単なる音楽上の関わりというより、素の人間としての関わりだと思っているのです。
 僕が心の底から素敵だと思うライブという空間はは、そう思える人とこそ共にしたいのです。
 そして、できることならば、音楽することを通して、音楽を語り、いろんな芸術について語り、そして世界のありとあらゆることについて語りたい。できることならば。
 そんな風にも思うのです。




追伸
 僕がなぜ、あのような形で求めることをしたのか。ここで書いたことに共感する部分があるなら、少しだけ理解してもらえるのではないかと思っています。
 もっとも、僕はそうであったことについて、少し後悔しているのだけれど。



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