日記➖もやもやと風
緊急地震速報の朝
アイフォンからけたたましい警告音が鳴り、画面には緊急地震速報の通知が映し出されていた。月曜の朝、体も心も一層重い時に、突発的な不安が劈く。
震源地が遠いことで一安心を覚えることに罪悪感。何処かの誰かのことに寄り添う余裕の無い自分が、小さくて小さくて嫌になる。
世界では戦禍や天災に苛まれる人が居る一方で、私はつまらぬ仕事のことで鬱々と
沈んでいる。いつか、大人になった時には、苦しい誰かを助けることをしようと思い立った若き日は何処、夢も希望も無くただ会社に隷属しつつ、自由な余白を血眼に探している。人生はかくも悲観的なものであったのか。
朝からもやもやが晴れない。日を浴びようとカーテンを開けると、曇天だった。
テレビでは震源地付近の映像が流れ、不安そうな人々のインタビュー。自分に何ができるだろうかと反射的に考えるが、妄想の域を出ないことに再度の悲しみを覚える。困っている人が居るのに、好きでもなく、誰の役にも立ちそうも無い仕事へ向かうのだ。
もやもやが体内に立ち込める。何食わぬ顔の並ぶ雑踏に絶望する。
風を待つ
昔から強風にさらされるのが好きだった。海沿いの故郷は、自転車の直進を押し返すほどの強風が吹いた。
もやもやを吹き飛ばす風が吹いて欲しい。都会のビルの中には、停滞した空気が充満している。呼吸が苦しい。会議室では、気を失わないように必死に耐え、疲弊した体を家に持ち帰る。帰路も都心の風は乾き切っている。
一昨日、広い公園を歩いた時は、心地よい風が吹き抜けて、もやもやも幾分か吹き飛ばされるのを感じた。良い風を浴びたい。鬱屈といた気分を飛ばしてしまいたい。
故郷の風は、強く吹かない限りは水気の多い柔らかな心地がする。やっぱり海沿いの風が一番落ち着く。江ノ島も熱海も気持ちを軽くする風が吹いていて幸せな時間を過ごせた。いつかまた海沿いの街に暮らしたいな。YouTubeの画面越しに緻密な妄想を試みたが、やはり無風で虚しくなる。
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