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子どもに感謝、サッカーに感謝。サッカーは私の生涯スポーツ。

こんにちは、イシカワケイタです。
私が小学生の時、またもう少し前かな、
サッカーチームで覚えているのは、日産自動車とか、読売クラブ。
天皇杯をおばあちゃんの家で父親と見ていた記憶があったり。
そのころからずっと日産を応援している流れで、今は、そのままF・マリノスを応援している。ただ、好きなサッカー選手は、カズ。

父親と一緒にはじめてサッカーを見に行って、24番のカズのプレーを見た時のことを今でもはっきりと覚えている。

初めてみたカズは24番、私の大好きな番号です。

今回は、私にとって、サッカーは生涯スポーツなんだっていう話。

私とサッカーの繋がりについては、
・幼少期にサッカーボールが家にあった ※黄色の通称ハリボー
 (ハリボーは縫い目がない、生地を貼っているボールのこと)
・マラドーナを知った
・小学校で2年生になり、少年団の勧誘チラシをもらい、サッカーを始めた
・中学3年間はサッカー部
・高校は入学後、数週間のサッカー仮入部のみ、その後をサッカーやめた

それからというものは、全力で高校時代を満喫、
高校卒業後は、音楽やらバイトやらフラフラしながら生きていた。
20代前半くらいに、小学生からずっと繋がっていたサッカーの仲間や、
学生時代の友人と一緒に草サッカーを始めた。
ユニフォームを作ったり、大会に参加したり、やべっちFCを見まくっていた。

この草サッカーチームは、サッカー仲間だけではなく、
私の大切な友人も一緒に、チームメイトとして練習したり、BBQしたり、
キャンプして遊んだり、ウイイレしたり。とにかく毎週遊んでいた。
高校時代の野球部の友人とか、少しヤンチャな友人とか、そいつらとサッカーの仲間が繋がり、大好きなサッカーをやれていたことが本当に楽しかった。2002年W杯のパブリックビューイングに行ったりもした。

そこから、私のサッカー熱も再燃し、やがて、フットサル場で働くことになった。

その後、大きな転機がきて、結婚することになり、転職。
創業3年目くらいのベンチャー企業に就職し、今では考えられないくらいの時間を働いた。ただ、本当に仕事が楽しかった、最高の職場だった。働くことの価値観や生きていくうえでの軸など、私にとってとても成長できた期間だった。
サッカーなんてやっている時間もなく、どんどんサッカーから離れてしまい、7~8年くらいは離れていた。興味もなくなっていってたと思う。

子どもがサッカーを始めた

とても幸せなことに、二人の子どもが生まれ、息子がサッカーを始めた。

私が幼かった頃、黄色のハリボーが、家にあったように、
私の自宅にもサッカーボールが転がっていて、子どもが遊んでいた。

少しずつ、サッカーに再び興味が戻り、むしろ今まで一番熱中しているかも。お姉ちゃんと息子、妻と一緒にJリーグを見に行ったり。
そんなことをしていると、初めて父親に連れて行ってもらったサッカーを思い出し、父親にやってもらっていたことを自分がしている嬉しさもあったり。(お父さんありがとう)

そして、私の父親と一緒に、息子を連れて日本代表の試合見に行ったり。
子どものサッカーのビデオを父親に見せたり。私の通っていた学校の校庭で
父親と息子と私とサッカーして遊ぶこともある。

何とも言えないのが、
息子のサッカーの試合を見に行くこと、それが本当に楽しい。
自分がプレーするよりも見ている方が緊張してしまう。
とくにPKのあのドキドキはどうにもこうにもで。。。たまらない。
最高に楽しませてもらっています。(息子ありがとう)

こんな風に、
私の人生にとってサッカーって結構大きな影響を与えてくれている。
プレーするだけではなく、ずっと関わり続けられるサッカーに出会えたこと、そのサッカーが大好きになれたこと、サッカーを通じてたくさんの大切な人と出会えたこと。繋がりを強くしてくれること。
時には、感動や勇気をサッカーからもらっている。(サッカーありがとう)

こんな最高で素敵なココロオドルスポーツなんですね、サッカー。

親がサッカーを心から楽しむこと、それもきっと子どものサッカー上達へ続く方法のひとつですね。

ずっとずっと、サッカーと繋がり、関われることに感謝しながら、
日本のサッカーがもっともっと強くなってW杯で優勝することを楽しみにしながら、過ごしていきます。
フットボールのある日常が私の人生を豊かにするひとつの魔法かな。

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