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毒叔母


日常生活に追われている間にずいぶんと更新期間があいてしまいました!
前回微妙に気になる感じで終わってる・・

▽▽▽▽▽▽

前回からの続き。

のまえに、まず、私の母方親族の中でも天敵といっても過言ではない、A子母について。

A子母は私が物心つくまえから、ド近眼で分厚いレンズの勉三さんメガネをかけていたのですが、(キテレツ大百科を知ってる人はわかるかな)
そのメガネの奥の目が腐りきっていることから、思春期突入頃から、心の中で密かにク○メガネと呼んでいました...

あくまでも、このA子母に対する黒い感情からくる呼称で、メガネをかけている人すべてにあてはまるわけではありません。
むしろ、メガネ男子もメガネ女子も大好き!
うちのだんな様も現役のメガネおじさんです!

○ソメガネの特技は実の姪である私をディスり、自分の娘ふたりを極限まで褒め称えること。
自分の娘がいつも一番でなければ気が済まない、そんな毒叔母でした。

以下より、A子母改め、クソ○ガネ改め、
毒叔母改め、毒オバと呼称します

△△△△△△

母方実家では、祖母が絶対的な存在として君臨しており、唯一無二の司令塔。
家事や育児に関する一切合切を取り仕切っていて、自分がやらなければ気がすまないタイプ。

母方の実家は、母の妹である、毒オバが婿をとり、家を継いでいた
祖父母、毒オバと夫、そしてA子とB子の3世代同居家族。

長男が家を継ぐのが主流だった時代に、次女である叔母が家を継ぎ、両親との同居になったことには理由が。。。
毒オバは子ども時代に体が弱い子だったことから、祖母から一生自分が守っていかなければいけない娘認定されており、必然的な形で、家の跡継ぎは次女となったそう。

逆にうちの母は体が丈夫だったことから
「しっかりした長女」と、祖母にとっての都合の良いレッテルを張られ、長男に嫁ぎ、嫁ぎ先で大変な苦労をしたのだけども。(それが原因で私が母方祖父母宅へしょっちゅう追いやられていた。)

そんなこんなで、A子一家の家でもあり、祖父母の暮らす家でもある、母方実家。
物心ついた頃から、年の近い子ども同士が遊ぶのが楽しいだろうという、大人の勝手な思い込みと都合で、私は毎週、母方の祖父母宅に一人で預けられていた。

3歳上の兄は、孫4人の中で唯一の男の子で初孫長男だったことで、いつも特別待遇、特別枠。
当時発売されたばかりのテレビゲーム機を買ってもらっていた兄はゲームに夢中だったこともあり、「男の子」という理由もあり、母方実家に預けられるのはいつも私。

ただ、兄は兄で、私が産まれてから数年間は、母方実家に泊まらされることが多かったらしく、
自分が親になった今思うと、兄は幼児なりに寂しい思いをしていたのだろう。
そして結果的に、隠れマザコン的に成長している・・・
兄の選んだ結婚相手と初めて顔を合わせたとき、雰囲気なんかが母にそっくりで驚いた
外出先でも、母と兄嫁は99%の確率で実の母娘と間違われるほど。

幼少期の経験は侮れない
本人に記憶として残らなくても、体験したことは、心のなかの奥深いところに刻みこまれている

兄の育ち方にしても、A子B子にしても、私自身のことにしてもそう。
幼児期からの育ち方を身近で見てきて、そして大人になった姿も見ているからこそ、子育てをする環境の大切さを思い知った。
そして、大人が子どもの心に与える影響の大きさも。

さてさて、ここからようやく、前回続きで書きたかったことを。

私が物心ついた頃、習慣化していた毎週末の祖父母宅へのお泊まり。いつからか、毎週日中は毒オバ一家と遊びに出かけるのも当たり前になっていた。毒オバと夫、A子B子と私の5人。
遊びに行っている間に祖父母が家事の一切を終えているので、何時に出かけて何時に帰ろうが、
核家族にありがちな、帰宅してから母親にのしかかる家事の重圧なんてものもない。
食事の心配も、お風呂の心配も、洗濯物の心配も、戸締まりの心配も、なにもない。

そんな中、お出かけ先は普通に日用品の買い出しであることもしょっちゅう。
いまだに印象深く覚えているのが、A子B子の洋服選びに付き合わされていたこと。
毒オバは夢中でA子B子の洋服を選ぶ。私のことはまるで眼中になし。A子B子に可愛らしい洋服を合わせながらご満悦の表情。
私は横で見ているだけ。所在なし。

そして当時、太めの体型だった私に対して
「よつばちゃんはどうせ入らないし仕方ないよね」
と、私をガン無視する理由を私の体型のせいにしていた。
子ども時代に刷り込まれた「普通サイズの洋服が入らない子」というレッテルは、けっこう長いこと私を苦しめていた気がする。
もちろん、毒オバの言葉だけに囚われていたワケではなく、他にも原因はあったけども。

その時間はひょっとしたら数十分程度のことだったかもしれない。でも当時の私にとっては、果てしなく長い時間に思えた。
その時間が終わると、A子の希望するお店に行くというのが定番化したルートだった

そんな中で、毒オバからたまにA子B子と同じ小物を買ってもらえることがあった。そんなときは、必ず毎回囁かれる
「これを買ってもらったって、お母さんにちゃんと言いなさいよ」
自分が欲しくもないものを買い与えられたときもそう。
「お母さんに言いなさいよ。感謝しないといけないよ。」
と、囁いてくる。
そんなときはメガネの奥の腐った目が一段と光輝いている・・

私は素直に、毎回母に報告していた
そして母が毒オバに毎回丁寧にお礼を言う度に
「いいのよそのくらい全然。よつばちゃんお出かけ楽しかったねー。また行こうね~」
と、私に笑いかけてくる。でもその目は笑っていない。

かきながら思った!
ある意味ホラー!!
あぁ、私に画力さえあれば!
いつか毒オバの目を描いてのせたい!!

というのはさておき、
囁き女将よりタチの悪い毒オバの囁きは、
私以外、誰も気付いていなかった
もちろん、私の母も。

母からすると、娘を可愛がってくれる優しい妹だという印象しかなかったそう。
自分が嫁ぎ先で舅(私にとっては大好きな祖父だった)のイビリに辟易していた頃だったから、子どもの面倒をすごく良くみてくれるし、安心して預けることができていた、と。

母は毒オバが陰で私をディスっていることも、囁いていることもまるで知らなかったと言うが、
私としては子どもながらに、小さな抵抗をしていた。祖父母宅に行かないと言ってみたり。
でもそんな時は必ず私が母に叱られた
「あんなに良くしてもらっているのにあんたにはそれがわからないの!?」
と、この恩知らずが!の勢いで怒られるし、子どもだったからうまいこと話せないし、「みんな嫌いだ」と、核心てきなことも言えなかった

結局、毒オバが自分の都合の良いことしか言わなかったこともあるけど、母自身に余裕がなかったことから、母にとっても、都合の良いことを信じたかったというのもあると思う。

次回は毒オバのことをもう少し詳しく。

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