韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降(はじめに)文:紺野優希

韓国のコンテンポラリー写真事情 ― 2010年代を中心に:写真以降
#0 はじめに
#1 イメージと画像の狭間で
#2 仮に平らだとすれば 
#3 ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻

本稿では、韓国のコンテンポラリー・アートにおける写真(作品)について分析する。だがここでは、韓国の国民性や韓国らしさ、また時代区分に基づくディスクールを紹介するわけではない。本稿の目的は、作品に焦点を当てながら、今日の韓国のアートシーンで写真というメディウムがどのように扱われているかについて、紹介することである。それはモチーフ(インターネット上の画像など)に限った話ではなく、メディウムの変容や折衷、受容態度の変化を、作品をとおして表している。本稿は、「イメージと画像の狭間で」「仮に平らだとすれば」「ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻」の3つのテーマに沿って、韓国のアーティストと作品を紹介する。

(1) イメージと画像の狭間で

韓国語で画像検索は「イメージ検索」と言われる。検索エンジンを使ってお望みの画像を見つける現状を、よく表している言葉だろう。今日において写真は、撮るだけでなくネット上で探したり、SNSで出回るスクリーンショットだったり、ネットショッピング用によく撮れた画像でもある。理想的な「イメージ」と単なる記録である「画像」は、今日においてどのように捉えられるのか。ここでは、理想図(イメージ)と記録(画像)を区別しながら、今日における写真芸術について、話を展開する。
(キム・チョンス、ホン・ジンフォン、CO/EX、バク・ドンギュン)

(2) 仮に平らだとすれば

プリントに限らず(幅広い意味での)「印画」は、写真を平らなメディウムとして限定させる。しかしながら、結果としては平らであったとしても、そこには様々な変数が生じる。プログラムで編集した過程、フラットさを意識した演出、そしてプリントしたものをスペースに展開する仕方など、それぞれ平らなメディウムという共通点に様々な違いが存在する。ここでは、メディウムや形式のアプローチだけでなく、いかに私たちが作品を理解するのかについて紹介する。
(オ・ヨンジン、キム・ギョンテ、ジ・ヨンイル、キムパク・ヒョンジョン、など)

(3) ひょっとすると、ロマンチックは抜け殻

映像作品や写真という媒体は、自明な記録と言われるが、果たして何が自明なのだろうか? どこで撮って、どんな経験をして、何を表しているのだろうか。写真に捉えられたシーンや場面は、どこかロマンチックに映し出される。しかしそのとき覚える郷愁や浪漫は、果てしなく埋められない距離感として表現される。ここでは、記録をモチーフにしたアーティストの作品を参照にしながら、話を展開していく。
(イ・ミンジ、パク・ソンホ、ジョン・ユジン、キム・イキョン、など)

紺野 優希 美術批評家。主な研究分野は韓国のコンテンポラリー・アート。「依然として離れているが故に、私たちは虚しさを覚える: ソン・ミンジョン <Caroline, Drift train>における災難の状況と破綻したリアルタイム」で、GRAVITY EFFECT ART CRITIC 2019 次席に選ばれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?