(連載)霧のような雪の中に散る不遇のモダニスト ー 谷崎潤一郎「細雪」にみる写真師・板倉 文:打林俊

『文豪たちの写真史 ー エクフラシスと「写真経験」の冒険』タイトル一覧
#1 文豪たちの写真史 ー 文学でよむ日本の写真表現の地と図(はじめに)
#2 キャラメルとヴィーナス — 開高健「巨人と玩具」にみる「婦人科カメラマン」秋山庄太郎
#3 霧のような雪の中に散る不遇のモダニスト ー 谷崎潤一郎「細雪」にみる写真師・板倉
#4 三島由紀夫没50年に寄せて 大いなる葬送 ー 『春の雪』と〈男の死〉をめぐる二つの死の完成

 たとえば永井荷風のように写真を撮るのが好きだった文豪はいるが、荷風の小説には写真はほとんど登場しない。反対に、写真を趣味にしていたかどうかわからないが、作品の中に写真やカメラが頻繁に登場する文豪もいる。その最たる作家の一人が谷崎潤一郎だ。
 仄暗さへの愛着を日本文化の歴史に位置付けたエッセイの名作「陰翳礼讃」(1933-34年)でも、「われわれに固有の写真術〔ここでは薬品やフィルムを指す〕があったら、どんなにわれわれの皮膚や容貌や気候風土に適したものであったかと思う」と語っていて、谷崎ほど綿密かつフェティッシュに写真を作中に登場させた作家はほかに見あたらない。この連載では谷崎の作品を二編紹介しようと思っているのだが、今回は彼の代表作の一つに数えられる『細雪』を見ていくことにしよう。
 舞台は1930年代後半の京阪神。大阪船場で江戸時代から栄華を極めた蒔岡家の没落を、四人の姉妹を中心に描いた谷崎後期の代表作だ。新潮文庫版の解説にあるように、物語は基本的に、三女雪子のお見合い物語を主軸にしている。
 谷崎は物語中にカメラをたびたび登場させ、カメラ好きな一面をうかがわせる。『細雪』では、上巻で次女幸子の一家が京都に花見に出かけたおり、婿の貞之助が広沢の池のほとりでライカを構えて家族を写すシーンがさりげなく描かれている。日本に入ってきて10年足らずの超高級カメラが、いかにも芦屋住まいのブルジョアを演出するのに映えている。
 そんな谷崎のカメラ好きが発揮されるのが、中巻の名脇役ともいえる写真師板倉の登場である。本家を仕切る長女の鶴子、芦屋の分家の女主人である次女の幸子がそれぞれ結婚して子供もいるという設定に対し、名家蒔岡のプライドにふさわしい嫁ぎ先を求めて幾度となく見合いをさせられてはのらりくらりと断りつづける物静かで保守的な三女の雪子と、奔放で近代的な女性として描かれる「こいさん」こと四女の妙子は対照をなす。妙子は洋服を好んで着、夙川にアトリエを構えて人形作家として成功している。そのうえ、恋愛にかんしても、幼なじみで貴金属商のドラ息子奥畑啓三郎、通称啓坊(けいぼん)と駆け落ちした過去まであるのだ。
 その妙子の目下の恋愛相手として登場するのが、芦屋近くで写真館を営む板倉である。いわゆる世間に認められない「格差婚」の相手として描かれる板倉、どういった人物なのかを、物語中の描写を引用しながら合成してみよう。

われらが板倉の身の上
 まず、上巻の後半に雪子の見合いの席上で「シュシュニック墺首相の辞職、ヒットラー総統の維納入り等が暫く話題に上った」という描写があり、板倉の登場まで同じ年のこととして描かれているので、舞台は1938(昭和13)年であることがわかる。板倉は妙子の舞の披露を撮影するという名目で現れ、まずは写真家としてのおおよその骨子が与えられる。

板倉というのは、阪神国道の田中の停留所を少し北へはいった所に「板倉写場」という看板を掲げて、芸術写真を標榜した小さなスタディオを経営している写真館の主人であった。もとこの男は奥畑商店の丁稚をしていたことがあって、中学校も出ていないのであるが、その後亜米利加へ渡ってロスアンジェルスで五六年間写真術を学んで来たというのだけれども、実はハリウドで映画の撮影技師になろうとして機会を掴み得なかったのだという噂もある。そして帰朝してから間もなく、今の場所に開業するに際しては、奥畑商店の主人、-啓坊の兄が多少の資金を出してやったり、得意先を世話してやったり、いろいろ庇護を加えてやった縁故があるので、啓坊も贔屓にしていたところ、ちょうど妙子が自分の製作品を宣伝するためにしかるべき写真師を捜していたので、啓坊の紹介でこの男に頼むようになった。で、それ以来、妙子の製作品の写真は、パンフレット用のも絵端書用のも、板倉が一手で引き請けて撮影しているというわけで、板倉は始終妙子から仕事の注文を貰っている上に、広告もして貰っているようなものであった〔…

 直後には、「二十七八の青年」が「閾際に膝を衝いて〔妙子に〕ライカを向けた」とある。正直にいって、この当時のライカはいま見た描写にあるような出自の青年がもつようなレベルのカメラではない。とまれ、これではまだ板倉の人となりの全貌をつかめていないので、もう少し先に進むことにしよう。
 中巻になると、それまでも奔放だった妙子は人形作家としての自分にいささかの飽きを覚えたといって、玉置女史のもとで洋裁を習い始める。そんなある日、豪雨で住吉川の堤防が決壊して大洪水が起こり、女史の教室もみるみる浸水していく。部屋の水位は瞬く間に上がり、もはやこれまでというところで、板倉がアクション俳優顔負けの身のこなしで妙子を助けに来る。 
 のちに、命をかえりみず板倉が自分を助けに来てくれたのに対し、「パナマ帽に瀟洒とした紺背広を着、秦皮のステッキにコンタックスを提げて、こんな時にこんな風をして擲られはしまいかと思うような身なり」の啓坊が、彼女を探しに行くのもほどほどに自宅に戻ったことが発覚したことを表向きの理由に、妙子は板倉に惹かれていく。「表向き」というのは、すでに妙子はこの段階で啓坊には恋心などまったく無くなっていたのに、多額の金品を貢がせていたのだ。
 やっかいなのは、板倉と妙子の出自があまりに不釣り合いなだけではなく、彼が過去に奥畑家の丁稚だったという設定にもあった。そして、妙子の板倉に対する言動は、いつしか蒔岡の姉たちや啓坊もあからさまに気がつくようになっていく。しかも、妙子が都合よく啓坊を利用しているのを、彼自身は華麗な家柄の娘を許嫁にもつ者の責務だと勘違いをすることで、三角関係の様相を呈する。
 ある日、啓坊は東京に逗留している幸子に「現在のところでは全く僕一人の疑念に過ぎないのですが、近頃こいさんは板倉と何かあるのではないでしょうか」という書き出しから始まる長い手紙を送る。ここで展開される啓坊の慇懃な板倉像によれば、洪水の日に家から近くはない玉置女史の学院の近くに板倉がいたのは、本人がいうような偶然ではなく逢瀬の約束があったのだ、ここには書かないが証拠もある、という。さらに、蒔岡家ではすでにどうしようもない馬鹿息子の烙印を押されている啓坊が、愛する妙子に手を出された憎悪がたたり、下には下がいるといわんばかりに板倉を貶める。

彼がこいさんに会う必要があるとすれば、写真撮影の打ち合せだけですが、僕は最近彼がこいさんの仕事をすることを禁じましたから、もうその用件もなくなった訳なのです。にも拘らず、彼は近頃いよいよ頻繁にお宅に出入りしています。〔……〕板倉と云う人物には全然信用が置けません。何しろアメリカ三界を渡り歩いていろいろなことをして来た人間です。御承知の如く手蔓を求めて何処の家庭へでもずるずるべったりに入り込むことには妙を得ている男です。金を借りたり女を欺したりすることにかけては定評があります。僕は彼を丁稚時代から知っているので、何も彼も分っています

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