文豪たちの写真史 ー 文学でよむ日本の写真表現の地と図(はじめに)文:打林俊

『文豪たちの写真史 ー エクフラシスと「写真経験」の冒険』タイトル一覧
#1 文豪たちの写真史 ー 文学でよむ日本の写真表現の地と図(はじめに)
#2 キャラメルとヴィーナス — 開高健「巨人と玩具」にみる「婦人科カメラマン」秋山庄太郎
#3 霧のような雪の中に散る不遇のモダニスト ー 谷崎潤一郎「細雪」にみる写真師・板倉
#4 三島由紀夫没50年に寄せて 大いなる葬送 ー 『春の雪』と〈男の死〉をめぐる二つの死の完成

 ある小説家をめぐって、不思議な体験をしたことがある。その小説家の経歴は、おおよそ次のようなものだ。

ハートフィールドは1909年にオハイオ州の小さな町に生まれ、そこに育った。父親は無口な電信技師であり、母親は星占いとクッキーを焼くのがうまい小太りな女だった。陰気なハートフィールド少年には友だちなど一人もなく、暇をみつけてはコミック・ブックやパルプ・マガジンを読み漁り、母のクッキーを食べるといった具合にしてハイスクールを卒業した。卒業後、彼は町の郵便局に勤めてはみたが長続きするわけはなく、この頃から彼は自分の進むべき道は小説家以外にはないと確信するようになった。
 彼の五作目の短編が「ウェアード・テールズ」に売れたのは1930年で、稿料は20ドルであった。その次の1年間、彼は月間7万語ずつ原稿を書きまくり、翌年そのペースは10万語に上り、死ぬ前年には15万語になっていた。レミントンのタイプライターを半年毎に買いかえた、という伝説が残っている。
 彼の小説の殆んどは冒険小説と怪奇ものであり、その二つをうまく合わせた「冒険児ウォルド」のシリーズは彼の最大のヒット作となり、全部で42編を数える。〔……〕そのうちの幾つかを、僕たちは翻訳で読むことができる。(村上春樹『風の歌を聴け』、講談社、1979年)

 司書出身の作家久保輝巳は、『図書館司書という仕事』(ぺりかん社、1986年)の中で、大学図書館でハートフィールドの著作を読みたいという学生のリクエストに応えて本を探したものの、翻訳本はおろか原書の出版の形跡すら見つからずに軽い苛立ちを覚えたというエピソードを紹介している。それもそのはず、そんな小説家はいないからだ。しかし、いかにも実在しそうな迫真性である。僕自身、久保の回顧談に出会うずっと以前に、やはり村上春樹にだまされたひとりだった。
 小説の冒頭の章ではハートフィールドの言葉が「引用」されてその典拠まで記されているし、あとがきには彼の墓をアメリカに訪ねたという嘘まで書かれている。
 僕がここで嘘といったのは、小説のあとがきとは本来、パラレルワールドを脱して作家本人の経験に基づいたことばが書かれていると信じきっていたからにほかならない。実際、このことについて、村上はのちにインタビューでネタばらしをしている。

でっちあげなんですよね、あれは。つまり架空の作家。ぼくはヴォネガット好きだし、R・E・ハワードも、ラヴクラフトも好きだし、そういう好きな作家を混ぜあわせてひとつにしたものですね。彼の本の註文がいって、某洋書店が迷惑したっていう話があるんです(笑)。出版社でも問題になりましてね。「あとがき」に書いたでしょ。「あとがき」で嘘書いちゃいけないって(笑)すごく問題になりまして、難しいですよね。(『幻想文学』3号、幻想文学会出版局、1983年)

 そもそも自叙伝的な色合いを帯びた村上のデビュー作が、現実と虚構のかぎりなくマージナルな地点で生み出されたことが浮かび上がってくる。
 もし村上が沈黙を守っていたら、ハートフィールドのモデル探しは現代文学研究の格好のネタになり続けていたかもしれない。だが、本というものに対して僕たちがもっている先入観までまきこんで徹底した「でっちあげ」をしてみせた村上ほどではないにしても、文豪という存在を通じてあらわれてくる、いかにも実在しそうな登場人物たちに妙に心を揺さぶられた経験はだれにもあるだろう。
 ひとたび僕たちが文学少年/文学少女になれば、写真家は小説の中にそれなりに登場することに気がつく。そこには少なからずモデルが存在するだろうし、それを丹念に集めてみれば、それなりに大きな、見過ごせないひとつのかたまりになるのではないかと、以前から考えていた。小説の中の写真家(あるいは彼らが生み出した写真にもあてはまることだが)というのは、ふつうの登場人物とはことなった存在感をまとっているように思えるのだ。

 写真史や美術史のようなイメージを扱う学問に携わってきた僕にとって、絵の中に現れるあるひとつのモチーフをたよりに複数の作品を横断的に見ていくという手法は、かなり身近なものだった。そうした見方は、これまでに見えなかったものを僕たちの前に現出させる。たとえば、デイヴィッド・ホックニーは『秘密の知識(Secret Knowledge)』の中で、16世紀末の西洋絵画に左利きのモデルが多く現れることに着目し、そこから画家たちが鏡をもちいて描いていたのではないかという興味深い仮説を引き出している。
 こうした特定のモチーフに特化した読み解きは文学の研究にも応用できるのではないだろうか。その方法論と通じる研究として思い出されるのが、鹿島茂の『馬車が買いたい!』(白水社、1990年)だ。鹿島は19世紀のフランス文学の中に登場する、社交界入りを目論む若くて野心的な主人公に共通する描写を丹念に拾いあげ、チュールのような薄いレイヤーを重ねることでそのプロトタイプを現出してみせた。
 けれども、それが写真家となると少しわけがちがってくる。まずもって、これまで小説の中の写真家はまともに論じられたことがないのだ。フランス文学と写真の関係をテーマにした論集『写真と文学』(塚本昌則編、平凡社、2013年)にも、登場人物としての写真家について論じたものはみられないし、日本の文学に限ってみても状況は同じである。
 しかも、日本にはじめて職業写真家が登場してから150年あまりがたち、その広い時間軸の中では写真家の社会的立場は大きく変わってきた。そのため、文学の中の写真家はフランス文学の主人公たちのようなひとつのプロトタイプを浮かび上がらせるような存在としてはとらえられない。だが、彼らの存在を線でつなげてみることによって、文豪たちのパラレルワールドからなる写真史を紡ぐことができれば、従来の写真家主体の写真史では見えなかった別の側面が浮かび上がってくるはずだ。
 このいささか無謀とも思える企てをかたちにする第一段階として、「エクフラシス(Ekphrasis)」という文学の手法に注目してみたい。その定義は必ずしも明確ではないが、文学作品の中で絵などの造形物をことばで描写するといった意味の用語だと思っていただきたい。
 エクフラシスはもともと「はっきり述べる」「描写する」という意味をもった古代ギリシャ語が由来である。こんにち、西洋の諸国語でその意味をになう単語は英語の「Description」に相当するものにとってかわられているが、「エクフラシス」は古代から現代にいたるまで、芸術作品をことばで詳細に描写するという限定的な意味をもってきたという(渡辺浩司「エクフラシス−ローマ帝政期における弁論術教育」『弁論術から美学へ』、大阪大学、2014年)。
 場合によっては実在すらしない芸術作品が精緻に描写されている文学作品は古代からあり、それは近代美術史学の成立以降、研究者たちにとって恰好の謎解きの材料となってきた。エクフラシスは、実在する作品を描出した「現実的エクフラシス」と、架空の作品を描き出す「観念的エクフラシス」に分けることができるとされる(日本美学研究所HP)。そして1839年の写真術の公表以降、このエクフラシスは写真もその対象にしていき、現実と観念の双方で写真が描出されてきた。
 とはいっても、このエクフラシスの定義にしたがえば、写真家という人物の描写はそこに含まれ得ないことになる。だが、古代ローマ時代に弁論術の予備教育に用いられた教科書『プロギュムナマスタ』の一つとして著された、アエリオス・テオンによるもの(1世紀)では、エクフラシスの対象はかなり広く、人物、できごと、場所、時とされている。その定義だと「デスクリプション」とたいしてかわらないようにも思えるが、テオンはエクフラシスの目的を「主題を眼前にいきいきと描き出すこと」だといっているので、ここではその定義を少し広く、人物描写にも適応できると解釈することにしてみよう。そう考えれば、そもそものきっかけを僕に与えてくれたハートフィールドの描写も、人物を対象にした観念的エクフラシスであるに相違ない。
 いってみれば、ここではエクフラシスは「文豪の写真史」の枠組みをなす写真家を文学作品の中から抽出するための機能をはたす。そこでは谷崎潤一郎が小説で描く「板倉」のような観念的写真家にせよ、白洲正子のエッセイに登場する鹿島清兵衛のような実在の写真家にせよ、その姿がいきいきと描き出されている。
 しかし、実在の写真家と架空の写真家をひとつの枠組みのなかで等しく論じることなどできるのだろうか。
 そこで、このテーマでいまひとつ重要な視点になってくるのが、文学作品に表れた写真家と文豪の関係である。それを欠いてしまえばこのエッセイの一方の主人公である文豪たちはおいてきぼりになってしまうし、そこから浮かび上がってきたもう一方の主役である写真家も宙吊りになってしまう。ゆえにわたしたちは、文学から抽出した写真家をパラレルワールドから引き剥がしてみたとき、文豪と読み手とのあいだに立つ彼らの存在を、文豪たちの視点に立って見つめてみる必要があるだろう。
 そのためにもう一つ取り上げたいのが「写真経験」である。「写真経験」とは緒川直人らが社会学の視点から写真を扱う手法として提唱した概念で、その写真に何が写っているかを問題にする美術史学的な手法ではなく、「写真(あるいは写真にかかわるモノや出来事)と人間との、相互的で社会的な交渉」(緒川直人「「写真経験の社会史」考−史学と写真史料研究−」『写真経験の社会史』、岩田書院、2012年)をさす。
 文豪たちが描き出す写真家は、彼らと写真家との「社会的な交渉」に基づいたものであることはまず間違いない。これから登場する文豪たちは間違いなく、文学作品に転化するためのインスピレーションとして、なんらかのかたちでその写真家や写真を「経験して」いるのである。そうした文豪たちの「写真経験」は、文学作品とその時代の背景を読み解き、写真史として再構築するためのコネクターとなるのである。
 ここにあらわれる写真家を深読みするという行為は、文豪の写真経験、それに基づく文学作品内での描出、そして文学作品を通じたわたしたちの受容−追経験という、「写真経験」をめぐる入れ子の構造の中にある。文豪たちの写真経験とパラレルワールドへの転換という二重性を損なわないためにも、このエッセイの一編一編も、たえまなく物語と事実とを行きつ戻りつすることになるだろう。それゆえ、文豪の写真経験を掘り下げていくのは重要な作業になるはずだ。
 文豪たちの「写真経験」とエクフラシスの間には、彼らの事情や思考、心理が如実に表れている。わたしたちは文学作品を深読みし、そこに登場する写真を掘り下げ、その背景に入り込んでいく。そうすれば、文豪と写真家・写真との出会いという事実と、虚構の中での写真の役割とが綾となって日本人の写真をめぐる経験と表現の両面から文学史と写真史の未知の側面を描き出してくれるに違いない。
 虚構と現実、観念と実態、これらが文学という枠組みを飛び出して、写真史という枠組みに代入されることで、驚くほど不思議な世界がわたしたちの目の前に立ち現れることだろう。塚本昌則がいうように、「人々が論じ、意識される水準での写真というものと、言葉の世界に巧みに取りこまれた写真とのあいだにはずれがある。文学はそのずれを巧みに利用してきたが、そのずれがどのようなものであるのか、はっきりとした言葉では語られてこなかった」(前出、『写真と文学』)のである。
 いってみれば、わたしたちはこれから文字で造形された写真家や写真を切り取り、それを写真史という台紙に張り込もうとしている。その作業をおこなうとき、おそらくは輪郭のずれが生じてくるはずだ。それは写真経験とエクフラシス、つまり現実世界とパラレルワールドのずれにほかならない。このコラージュの写真史は、継ぎ接ぎであるゆえに、そのずれをかえって明確にしえる新たな地図になることが期待できるのである。

打林俊 写真史家・写真評論家、エッセイスト。1984年東京生まれ。日本大学芸術学部、ソルボンヌ大学で写真史・美術史を学ぶ。2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。専門は日欧視覚文化交流史、写真史、美術史。主な著書・論文に『写真の物語−イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、『Dr. Paul Wolff & Tritschler: Light and Shadow−Photographs from 1920 to 1950』(Kehrer, 2019)(共著)、「アンリ・マティスの写実絵画不要論における写真をめぐって」(『イメージ制作の場と環境』、中央公論美術出版、2018)ほか多数。2015年、『絵画に焦がれた写真』にかかる研究で花王芸術・科学財団第9回美術に関する研究奨励賞受賞。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?