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in the park

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 都心から電車で小一時間。

 父親が生まれた頃にはまだ斯波川と日比川の河口に漁港があって、海苔の養殖も盛んだったという。それが数十年のうちに沖合五キロと埋め立てられて、一帯は国内有数の計画都市となった。

 業務研究地区、文教地区、住宅地区、公園緑地地区等に分かれ、いまや新都心を名乗る。ここに住まう人間は、自分たちの生活範囲を、もっぱら「ベイエリア」と呼んで得意だった。

 官民一体となって建設されたベイエリアの建築物はすべてさる規格のもとに統一されており、整然と並ぶいわゆる街区型集合住宅の景観は、「アヴニュ」と呼ばれる広い街路から見上げて一見する者にヨーロッパの町なかにいるような錯覚を引き起こす。また駅前の高層ホテルの上階からこれを見下ろす者は、壮観、の一字を浮かべるのみだった。外壁を銘々パステルカラーに彩り、中庭をカタカナのロの字に囲んだマンション群が、九十ヘクタールに余る敷地を埋め尽くす。マンションはみな、フランス語の中庭(cour)の名を冠して、「クール1番街」「クール5番街」などと呼ばれた。世帯数は一万戸を超え、人口も三万を超えると言われる。

 東京のバンリュー(郊外)の筆頭として多くの住人はプチセレブを自認するが、埋立地に成立した街と聞いて、ゴミの上の楼閣、と揶揄する輩も少なくない。その点について住人は判でついたような同じ反論をした。いわく、それをいうなら銀座や東京駅周辺も埋立地でそれこそゴミの上になるが、ベイエリアの土地は沖合の海底堆積物と斯波川・日比川両河川の河口付近の泥土の混合物が数メートルと層をなしており、ゴミの上というのはまったく当たらない。また、地震の際の液状化現象についてもベイエリアの建物基準は鉄筋の基礎杭が埋立前の海底にまで達することを要求するもので、したがって傾き等の実害はまず出ない。

 立板に水のこの擁護こそ、ほかでもない彼ら自身がこの土地に住まう決断をする際に抱いた懸念の証であり、官民一体となって捻出した理論武装の賜物ともいえる。結局のところ、人は信じたいものだけを信じるのである。
 しかし彼らにも弱点はある。虚飾の内実を少しでも知る者は、ベイエリア村、と陰口を叩く。これについては知らぬ聞かぬを通すのが住人としての作法といえた。クールの存在は互いの生活を筒抜けにする結果となり、誰々さんはどこどこの会社の役職はこうこうで……からはじまり、子どもたちは進学先はおろか通う塾でまで格付けされ、椿事が出来しようものなら噂はたちまち千里を走り……と、窮屈なムラ社会の典型が各街区に現出するのを、住人はいかんともし難かったのである。

 本作の主人公・高科傑は都心の名門私立男子校に通う高校三年生。ベイエリアに越してちょうど十年になろうとしている。あと数週もすれば夏休み。受験勉強がいよいよ本格化するのを前に、高科傑の憂鬱は募る一方だ。日本史と世界史の両方を選択したのは間違いだった。歴史に精通することは人文学を志す者の基本だ、と彼の親炙する教師はいったが、年号と事件と人物の暗記に終始する(と彼には思える)科目が学問の入り口とはとても思えなかった。出来事の因果関係にこそ注意を払えともいわれるが、どうせ偉い人間の一元的な解釈を押しつけられるだけだと思うと、胸糞が悪かった。生来権威や権力に反発するタチではある。物理や化学の明快な客観性にやはり憧れた。しかし傑は数学ができない。理科系に進むには、これは致命的だった。


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 最寄りの駅とベイエリアの行き来には必ず公園内の遊歩道を通らなければならない。公園といっても、東京ドーム十個分と言われる芝生と広葉樹林の広大な敷地だから、突っ切るだけで十分は優にかかる。さながら日本のセントラル・パークと自慢する住人もいて、初夏にはバミューダにアロハにサングラスというなりで家を出てきて英字新聞だかペーパーバックだかを手に半裸になって日光浴と洒落込む輩もいたが、日本の芝はすぐに深くなり蚊をはじめとす虫も大量に湧くのでニューヨーカーの真似事はじき流行らなくなった。もっとも敷地面積にしても、本家の五分の一にも満たず、セントラル・パークを気取るのは名折れというものだろう。
 午後は傑は五時過ぎまで図書館の閲覧室で英語と古文の問題集を解くのに没頭し、社会の暗記は通勤電車の中と決めている。駅を降りてから公園を横切る十分間は、先刻まで読み進めていた歴史の教科書の辿り直しに当てる。

「……ボストン茶会事件。1773年12月勃発。イギリス本国はフランスとの植民地争奪戦に勝利したものの戦争費用が嵩み植民地の増税を実行。……本国議会は茶法を制定、東インド会社に茶の専売権を与え植民地の逆鱗に触れる。……インディアンの格好をした数十名の有志がボストン港に停泊中のイギリス船を襲って三百からの紅茶の荷箱を海中にぶちまける。……」

「……アメリカの独立戦争がフランスに与えた影響について。1. アメリカ側に肩入れしたことにより戦費の濫用を招来し財政が逼迫したこと。2. 独立宣言を理念の基盤とする共和国建国が、ラファイエットら改革派貴族を鼓舞したこと。1789年のフランス革命を準備することになる。」

「……寛政の改革は1787年から1793年までに老中松平定信が行った幕政改革。囲い米、七分金積立、棄捐令、石川島に人足寄場、寛政異学の禁、昌平坂学問所の設置、大黒屋光太夫の受け入れとラクスマンとの交渉拒否……」

 駅からベイエリアまで導く遊歩道は馬刀葉椎と楠の樹林に鬱蒼と覆われている。越した当初は幼木でも、あれから十年して立派な太さ高さそして枝ぶりである。街灯が点々と照らして、夕刻から通勤通学のひと足が絶えないが、日付の変わる時間はさすがに淋しくなって、痴漢暴漢の出没騒ぎも一度や二度でなかった。ひと気のなくなるいっぽうで、植込みの陰に逢い引きする男女は引きも切らない。零時を回ると、どこかで梟が鳴いた。
 夏至を境に池や噴水の水辺から雨蛙の合唱が聞かれた。勉強に疲れた頭にそれは心地よく染みた。
 名を呼ばれて振り返ると、会社帰りの父親が手を振った。父を待ってから、並んで歩く。いつか父親の背を超えていた。
「どうだ。勉強は捗ってるか」
 こんな喋り方をする人ではなかった。父なりの、大人として接しようとする努力の表れなんだろう。寄ると触ると勉強のことしか聞かない。しかし父と子の間にほかに話題なんてあるだろうか。
「まあまあだよ」
「そうか」
 これでおしまい。父も傑も黙って並んで歩いて特段気詰まりもない。これが母親だと勝手がちがう。母親のイライラは年々募るように思う。父も息子も、同じ男と括って敵対するような節がある。
 この人にも、若い女がいるのだろうか、とふと考える。


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 期末テストが終わり、息つく暇もなく夏休みに突入する。夏休みは朝から夕まで都内の予備校で勉強漬けになる。まったく気乗りしないが、花音の励ましを頼りになんとか日々を乗り越えてきた。しかし昨日、入試が終わるまでスマホを封印する、と連絡があって、それ以来花音のLINEに既読はつかない。どうしてもスマホに依存しそうなら、いっそ壊してしまおう。人は意思の力では自分を変えられないから、自分を拘束する外部の存在を破壊することで自己の変革を遂げる。これ、マルクスの教えだぞ、といって花音は笑った。それにしても、どうしても連絡を取りたいときにはどうしたらいいんだ、と傑は苦々しかった。彼女の側に自分と連絡することの緊急性は入試が終わるまで金輪際ないと考えている証左でもあるわけだから。彼女の思い切りの良さが悪いほうに出た例がこれでまた一つ加わった、と傑は思う。

 ベイエリアに隣接する干潟で蛤が大量発生している、とテレビでも取り上げられて、界隈ではちょっとしたニュースになっていた。それも一個が両腕にひと抱えもあるという、巨大な蛤。珍しがって覗きにいく住人はあっても、それを獲ろうとするのは大方が他所者と見当がつく。
 ベイエリアの住人のほとんどが水道水を口にしない。飲むのはもっぱらミネラルウォーターとアーバンライフを気取るわけではなく、単に飲むのに抵抗があるのである。都心の埋立地とはワケがちがう、と虚勢を張りながら、心のどこかで不審な何かの堆積の上に生活する後ろ暗さを消せないでいるのだ。公園の一画には砂浜もあり夏は遊泳も可能と謳うが、住人はまず海水浴をしない。大雨の日に限って沖合から汚物の匂いのそこはかとなく漂う意味を知らぬ住人はいない。だから、巨大蛤の大量発生と聞いて皆ピンときていた。必ずや海の汚染が取り沙汰されて、今度はそれが騒ぎの中心になる。そのようなことで土地の風評の損なわれるのを住人は何より恐れた。

 勉強に飽いて夜食をつまみに部屋を出ると、廊下の先にかすかに灯りが漏れて、食堂の扉がわずかに開いている。母親の背中が見え、卓に両肘をつき、頭を抱えたまま動かなかった。こちらの気配を感じていないはずはない。どうしたの、と声をかける。ここのところ夢見が悪くてね、と母。時刻は零時を回っている。父さんは、と聞くと、出張よ。一週間帰らない。
 卓の上に酒の缶のあるのを傑は見逃さなかった。すでに一本空いている。母はふだん酒を嗜む人ではない。狼狽えながら、どんな夢、と聞いていた。
 アルチンボルドって知ってる? 試験に出ないのかしら。世界史の。文化。美術。16世紀末のイタリアの画家。マニエリスム……って、わからないか。果物とか野菜とか花とか鳥とか魚とか本とか……そういったものをびっしり寄せ集めて描かれた肖像画。一種の騙し絵ね。知っての通りわたしは漁師町に育った。沖合いに出る船もあるし、浜では地引網も定期的にかけられてね。太縄の一端を浜辺に固定して、もう一端を網船が持って沖を半円状に回ってくる。ちょっと離れたところに戻ってきて、その綱の端を引き子が多いときで五十人くらい、漁師だけでなく女たちも子どもたちも混じって声をかけながら引く。雨の日も晴れの日もみんなで引いて、それは町の時ならぬ祝祭だった。中央の「袋」が浅瀬に上がると、とらわれの小魚たちがもがいて水面が一斉に銀色に爆ぜる。漁師が雑魚を選り分けて浜に堆く積み上げていくんだけど、女の子も男の子も歓声を上げて群がった。
 あるとき、網に人の死体がかかった。そこにわたしは居合わせなかったのだけれど、それを見たという子どもたちの話では、全身海の生き物に覆われていたと。ヒトデにウニにナマコ、それにカニやらエビやらがびっしりと埋め尽くし、穴という穴からヌメヌメした細い魚たちが滑るようにして這い出したって。
 後年大学の講義でアルチンボルドの絵を見たとき、瞬時に網にかかった死体の、幼い日に抱いたイメージが蘇った。同時に嘔吐しかけて。
「夢の中で投網を手繰り寄せている。網の重たさに、予想がついていて、引くのをやめればいいんだけど。わたしは引いてしまうのね。そしたらそこに、アルチンボルド」
「干潟に蛤が大量発生したなんて聞いたから……」
「そうね。気味の悪い。それもそんな、大きな、シャコガイじゃあるまいし」
「……眠れそうにない」
「眠るわ。もうこんな時間だし。あなたは明日の朝は少しゆっくりでいいのよね」
「うん」
「海の近くに憧れてこの土地を選んだけれど、どうもわたしには相性が悪いみたい」
 母はそう言って、缶の残りを煽った。


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 公園の遊歩道の脇に、傑のお気に入りのベンチがある。そこに座ってなら日がな一日ぼうっとしていられる。遊歩道を背にしてポツンと一つだけそれはあり、植え込みの生長にともなって遊歩道からは死角に入り、まず先客のあることはなかった。傍の楠もまた旺盛な生長ぶりで、頭上を屋根のようにしてすっぽり覆った。  
 往来から隠れているというのも魅力だが、なんといっても素晴らしいのは眼前に広がる光景だった。樫に櫟に椎のいわゆるドングリのなる広葉樹が等間隔に並んで、樹々の間からは日に照らされて黄金に輝くような芝地の帯が覗く。芝の緑の帯の上には空の青い帯が重なり、その向こうの海の予感を孕んでいる。ギリシャはアタロスの柱廊か、はたまたグラナダはアルハンブラ宮殿の回廊か、いずれに休むと錯覚しながら樹々の黒い幹を柱に見立て、その向こうのエメラルドとコバルトのバイカラーを背景に、さながら映画でも観るようにして人々の行き交いを眺めて傑は飽きなかった。
 予備校へはここ数日行っていない。お気に入りのベンチに腰掛け、膝にテキストを広げるのも束の間、それを傍に押しやって、眼前の光景に見入っている。先日は、木々の向こうを大名行列が通った。中間の呼び声が伸びやかに立って、一斉に地を突く錫杖が間遠なリズムを刻む。毛槍を持った先払いたちが一糸乱れぬ舞を披露し、沿道の者たちは地に額をつけてやり過ごそうとしている。かと思えば、ある日は黄金の二頭立て馬車が木々の間を駆け抜けて、向かうはプチ・トリアノン、マリー・アントワネットが愛人フェルゼンとの逢い引きに急ぐ一場面であり、それを追うようにして廃兵院を襲うのであろう群衆のどよめきが遠くの潮騒のように聞こえた。すると見る間に芝地と空の境は朧に霞む水平線に変貌して、二本マストの黄色い帆船が幹の黒々とした列柱に見え隠れしながらゆっくりと入港し、やがて日も落ちて、五十人からのモホーク族に扮した男たちが舫綱を伝って甲板に降り立ち、342箱といわれる積荷を次から次へ海中に投げ入れてあたりに紅茶の匂いが漂った。
 おりしも予備校の古文の講師がテレビのニュースにもなったベイエリアの蛤のことを話題にして、その時に配られた『今昔百鬼拾遺』からの写しの絵を傑はしばしば眺めた。絵には波打ち際が描かれていて、左下に二枚貝やら蟹やらが打ち上げられている。白い波頭の砕ける中央の岩場の陰、それらの生物の十倍はあろうかという巨大な蛤が絵の右の隅に陣取って、わずかに開いた口からは画面いっぱいに広げた漫画の吹き出しのような煙が漂い出て、その煙の中に深山幽谷に聳える楼閣の景色が茫と浮かび上がった。添え書きにこうある。

「史記の天官書にいはく、海旁蜃気は楼台に象ると云々。蜃とは大蛤なり。海上に気をふきて、楼閣城市のかたちをなす。これを蜃気楼と名づく」

 蜃と呼ばれる蛤の化物が見せる幻こそは蜃気楼であるという古人の発想を、傑はいつか愛するようになった。大気に満ちる蜃の吐く気に感応すればこそ、彼の目の前に歴史絵巻は出来するのである。きな臭さが鼻先をかすめて、今や群衆は葬列のような重い足取りで進み、それら群衆に付き従う死刑執行人らの捧げ持つ銀の盆の上には、先刻刎ねられたばかりの王とその妻と子供たちの首が人々の進むほうへ向かされて、森閑として目を閉じた。

 歴史幻想の幕間に、傑は二つの現実を見た。一つは己の肘を抱くようにしながら俯いて小走りする女とそれに遅れて両手をズボンのポケットに差し入れて大股に歩く男の姿で、それは紛れもなく病み疲れた母親と、それを追う、ないしは通り一遍の追うそぶりをする父親だった。もう一つは、ケータイ電話を耳に押し当てて誰かと談笑するふうの若い女。花音。彼女の闊歩の姿は自信に満ち溢れていて、もはや自分の存在など彼女の脳中にないことを傑は一瞬で悟った。ここで後を追い、背中に呼びかけて、ひとしきりの愁嘆場を演じるような傑ではなかった。彼女を見送ってしばらくすると、彼の心を表すかのように帆走フリゲートが座礁して、舳先が樹々の柱廊の中程まで乗り出し、その船体の脇腹をすかさず無数の銛を突き立てられ血の汗を滝のように流す白亜の巨鯨が頭から襲って、その余波に公園全体は海の底に沈んだ。


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 月が出ていた。
 いつになく潮の匂いが立って、誘われるまま防潮堤の手前に高科傑は立っていた。コンクリートの堤の上に攀じ登ると、彼はようやく海に対峙した。
 堤の向こうに街の灯りは届かないはずが、雲間に覗く月のせいで干潟は白く輝いていた。風のそよぎに戯れて、かしこに残された潮溜まりにさざ波が立つ。無数の蛤の化物が口を開いて妖しの煙を吐く光景を想像したが、干潟は何の変哲もなく静まり返っていた。耳を澄ませば沸々と貝どもの潮を吐く音でも聞かれるかと思ったが、それすらも聞こえない。
 堤の階から干潟へ降りる。この時間の侵入は禁止されていただろうか。ふと思ってしかし気にしなかった。干潟に足を踏み入れると、あっという間に膝下まで埋もれる。慌てて片足を前に出すと、それはさらに深く泥に取られて、バランスを失い、両手に泥を受けるが、その両手がまたずぶずぶと沈んでいく。
 もがきもがきしながら、沖のほうへ進んでいく。泥の中の行進にいい加減疲れると、傑は仰向けになった。接地する面積を広げれば圧力が小さくなってこの身は沈まない。簡単な理科の知識だ。そうか、これも学校の勉強が役に立ったことになるか、と思うと、なんだかおかしくて傑は声を立てて笑った。
 傑のまわりは見渡す限りの泥地であるのを、彼はまだ知らない。

(了)

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