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あいのさんか #4/10

公園で逆上がりの練習をしていたわたしは、背後にアツコちゃんの気配を感じる。ぶつぶつとなにかを呟いていて、それがわたしたち姉妹の身体に関わることだと知ったママは、アツコちゃんを叱った。
前回までのあらすじ


4

 その日の道徳の時間のテーマは「平等と公平」だった。担任のホカワ先生は、黒板に貼りつけたマグネットシートのスクリーンに、プロジェクターで二枚の絵を写しながら、平等と公平のちがいについて説明した。

 二枚の絵とも、同じ球技場の観客席らしき場所。そこに人が三人、こちらに背を向けて並んで立っている。左端が背の高い男の人、真んなかが男の人より背の低い女の人、そして右端が女の人より背の低い子どもで、左の絵では、三人が同じ高さの踏み台にのって球技を観戦している。背の高い男の人にとっては視界良好、女の人にとっては囲いの壁が前方にあって手前が見えにくそうで、子どもは視界が完全に壁にさえぎられている。いっぽう右の絵では、三人とも視点が同じになるよう、高さの異なる踏み台を与えられ、眼下を隈なく見渡せている。

 ホカワ先生は、左の絵が平等で、右の絵が公平だといった。みんなに同じものが与えられるのが平等。でも、それだと、困る人もいる。バスの乗降口のステップが高いと、健康な成人には不都合はなくとも、子どもやお年寄りは乗り降りがしにくい。だからステップをなくす設計にする。階段しかない施設だと、車椅子の人が利用できない。だからスロープを取りつけたり、エレベーターを設置したりする。このように、どんな人でも困らないようにするという前提が、公平ということ。平等に基づいて公平が考えられるのではなく、公平に基づいて平等を考えなくてはいけません、と先生は結んだ。

 道徳の時間のあとは、給食の時間だった。この頃では食事のあいだはみんな一言もしゃべらない。黙々と食べ、食べ終わった子から三々五々に散っていく。わたしはこの時間に目を開けながら瞑想する。食べ終わったらひとりで図書室にいく。そして陽だまりを見つけて休み時間が終わるまで本を読む。

 平等と公平について、ずっと考えていた。たとえばクラスメイトのタキタくんのこと。道徳の時間でも、タキタくんはちょいちょいホカワ先生に注意されていた。もういまでは慣れてしまったが、タキタくんはわたしのすぐ後ろの席なので、ホカワ先生がふいに教卓を立ってツカツカとこちらへ向かってくるのが初めのうちはほんとうにこわくて、きまってわたしは肩をすくめ、目をつむった。大人がほんとうに怒っていて、その爆発をこらえている、という顔を先生はしていた。わたしを通り越すと、真後ろで止まって、「いまは先生の話を聞く時間ですね」と声を押し殺していう。いいながら、先生はタキタくんが机上に出しているものをことごとく机のなかにしまわせた。今日のタキタくんは、先生の説明のあいだ、新調したノートの表紙の裏にある、おそらくは表紙の写真の説明書きを読んでいて、それで叱られた、というか、注意された。注意されたタキタくんはおとなしくしたがった。

 ユキヒコくんのことも考えた。ユキヒコくんは、自分の席にじっとしているということができない。教室の外に出ていくということはないが、今日の道徳の時間のあいだも、一番後ろの廊下側の自分の席には座らず、風邪で欠席した窓際のフウカちゃんの席にいて、先生のお話の間も、窓越しにずっと空を見上げていた。ユキヒコくんは、ホカワ先生だけでなく、音楽のクミコ先生も、家庭科のチハル先生も、図工のクマダイ先生も、叱らないし注意もしない。ホカワ先生のことばを借りれば、ユキヒコくんは「心が疲れやすい」らしい。タキタくんもユキヒコくんも勉強はよくできる。タキタくんはほとんど発言しないが、ユキヒコくんは時々ふいに発言して、先生を困らせる。不規則発言で授業を妨害するからというより、その発言自体が、大人には答えにくいなにかだからだとわかる。さっきもユキヒコくんは、「そもそも公平とか平等とかを前提にするのがまちがいじゃね?」とボソリとつぶやいて、ホカワ先生はきれいにこれを無視した。ユキヒコくんはこの頃では学校も休みがちになっている。

 アツコちゃんもそうだ。アツコちゃんはれいの独り言を繰り返すことがあって、
「ちょっと、黙ろうか」
 と先生にやさしく注意される。アツコちゃんはそのときはやめるが、気がつくとまた始めている。ささやくような独り言なので、わたしたち生徒はとっくに慣れていて気にならないし、先生だって一度気にし始めると黙らせたくなるという感じで、いつもいつも注意するわけではなかった。今日の道徳の時間は、アツコちゃんはどうだっただろう。

 みんな、同じ高さの台しか与えられていない、とわたしは思うのだった。考えてみれば、逆上がりができるようになるよう課されるのも、そうだ。わたしは逆上がりができない。おそらくはX脚だから。あしが短いから。大人はそれをはっきりいわないだけだ。わたしが傷つくと思って。先生もママもパパもいう、がんばればなんでもできるようになる、と。ほんとうだろうか。アツコちゃんは、わたしのようなあしの曲がった子で、逆上がりができる子を見たことがない、といった。たぶんそれがほんとうなのだろう。わたしはもう、自分が逆上がりができるようになるなんて、これっぽっちも思っていないのかもしれない。ひとりで黙々と練習する自分が好きなだけなのかもしれない。練習で一番になれば、逆上がりのできないことがチャラになるとでも思っているのかもしれない。でもどうだろう。わたしはひとりでなにかをするのが好きだ。一番かどうかは人が決める。そういう人の判定というものが、わたしにはとても、なんというか、うるさくて、しんどい。一番かどうかなんて、どうでもいいのだ。

 そろそろ休み時間が終わる頃合いになって席を立ちかけると、書棚の向こうからアツコちゃんがひょっこり顔を覗かせた。わたしはドキリとして、それからやっほー(B)を繰り出すと、アツコちゃんには似合わず、満面の笑顔して手を振って返した。ママいわく、ギャルっぽい服装は今日も健在。かかわりたくないな、と思って別の書棚の通路から向こうへ出ようとすると、その先に待ち構えてまたもやひょっこりしてきて、ねぇ、と呼びかけられた。わたしに用事があるなんて、こわすぎる。
「こないだは、ごめんなさい。悪気はなかったの。よかったら、今日、学校終わったら、うちにきて。お詫びしたいから」
 そういって、アツコちゃんはこちらの返事も待たず、飛ぶように立ち去った。

つづく

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