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Silly Ally

 帝鳩ハンズに文具を求めて立ち寄ったら、「携帯おしり洗浄機」なるものの実演販売が5階の生活用品売場で17時からあるとの案内があり、ガラにもなくときめきだして、17時までの30分が気の遠くなるような長さに感じられる真多子だった。

「携帯おしり洗浄機」という字面からまず思い浮かんだのは、生理用品のCMなんかであらわになる若い女のヒップラインで、ぷるんと剥かれた尻を細かい泡で満遍なくクレンジングしてゆで卵の白身のような肌に仕上げる絵を想像したのだが、下着を脱いでそのように本格的に尻を洗うことと「携帯」という手軽さと親和する文言とがあまりにミスマッチなのが引っかかり、まさかのまさか、尻は尻でも尻穴かとようやく思いついて分け知り顔になったかどうかはともかく、だとすると実演販売とは何するものぞともうそのことばかりが気になって仕方がなくなった。

 10分前には5階のフロアをウロウロしていて、エプロンした禿頭の販売員が準備するのを尻目に、自分のようなうら若い女が見物の先頭になるのはいくらなんでもはばかられるというかはしたないことのように思われて、それでなかなか踏ん切りがつかなかったわけなのだが、「えー、なに、アレの実演販売とか、マジ、ウケるんですけど」と女子高生の二人組がキャッキャキャッキャ言いながら販売台の前に陣取ったものだから、これに勇気を得たのは真多子ばかりではなかった、これ幸とばかりにわらわらと人が集まってきて5分前には時ならぬ黒山の人だかりとなっていた。

 17時を幾分か過ぎて、実演販売台の準備にいそしんでいた深緑のエプロンした禿頭の例の中年男が台の前に来てひとつ手を叩くと、揉み手しながら深々と頭を下げ、皆さまようこそお越しくださいました、今からご覧に入れますのは……とガマの油売りもさぞやという古風な口上ながら立て板に水の澱みなさ、聞いて心地よくないわけがなくあれよと絡め取られて、背後に控えるエプロン姿もほかにないことから、この御仁が今からひとりで実演するのかと思えばその場からすぐさま逃げ出したくなるようなバツの悪さを感じなくもないけれど、ここは烏合の衆と気持ちはひとつ、なにがどうなるの好奇心のほうがいやまさって、むしろ両足は床に釘付け、動悸は早鐘、手汗湧水、こんなエキサイトするのも久しくなかったと真多子は覚えず涙目になるくらいのものだった。

 実演台に置かれた山には白い布がかぶせられてあって、それを惚れ惚れするような鮮やかな手つきで引いて客の前にふわり広げると、布の下から現れたるは臍から下、足の付け根より上の部分の人体の実寸大の模型で前は黒のテープで目張りされており、さてもさても実演と聞いてお集まりの方々のなかにはわたくしめが尻をまくってなにするかにするを想像された向きもあろうかとは存じまするが、そんなことすれば帝鳩ハンズの名折れもいいところ、とんだミソをつけることになりましょうし、わたくしとしたところで臭い飯食らうなんて御免ですから、あなくちおし、ここはひとつ水に流していただいて、ここにご紹介いたしまするは重量から質感から何から何まで本物そっくりに模したシリコン製の「マドモワゼル3号」でございます……と言いながら臀部の二つの膨らみを両手でむんずと鷲掴みしてこちらを向いてニカッと笑ったものだから、怯んだのは真多子ばかりではあるまいとそう思われるのも、劣情に端を発した魂胆を見透かされた決まり悪さのせいであり、またここに集まる誰も彼もが共犯者として今、目に見えぬお縄に十把一絡げに括られたと観念したからにほかならない。

 こちらはBGのタネ、こちらはKGのタネ……って若い人にはなんのことだかわかりませんよね、BGとはビチグソKGとはカチグソのこと、酒の量が増えてくると老いも若きもなにかとBGに悩まされるもの……って今ではNBというのが通るかな、NBAとは軟便アナルのことでしたっけ、軟便難便と言うとか言わぬとか、なんべんトイレに駆け込んでもスッキリしないのが悩みどころでしょうし、肛門、失礼、菊門玉門に至るまでキレイにしておかないとケツペキなる現代人は悶々として方々で前払いを食らうとか食らわぬとか、で、このBG改めNBのタネとは固める前の温かなチョコレート、バレンタイデイも近いことですし、お帰りの際は一階のチョコ売り場に立ち寄って……ってわたくしもとんだ商売上手だ、さてさて、こいつをですね、マドモワゼルの上蓋開いてここにこうやって詰め込みましてね、いやはやここでとぐろ巻く必要もないんでしょうけど妙なクセがついてしまいました、そいで蓋を閉じましたらば、この柔らかななんとも素敵な膨らみのお腹を上から下へゆっくりとこうやってさすってやりましてね、するとマドモワゼルのお腹を巡り巡って、ほら、ここ、菊門さんにたどり着いたの、後ろの御仁、ご覧になれますか……って、臀部を両手で左右に押し広げて奥所をあからさまに剥いて見せた。

 と、ここでいきなりマドモワゼルの下腹部を二、三度拳を槌にして乱暴に叩いたもので、その際に放屁の濁音が漏れて見物の何人かは声を立てて笑い、こうなっては飛散、いや悲惨、とあいかわらずのシャレを飛ばしながらも至って顔は大真面目、面に吹きかかったチョコの飛沫を拭いもしないでふたたび奥所をご開陳すると、ほら、こうなったら紙で拭こうにも不幸神、残念至極の残便感、勘弁ならんと往生するわけだが、そこへ取りいだしましたるは本日の真打、今話題の携帯おしり洗浄機、その名も「雪女王ホライゾン」、こいつでもってしこたま汚れた菊の御門を清めれば、爽快なること清冽なる雪をまぶしたかのごとし、洗浄力だって侮るなかれ、「ロザーナ」だか「アフリカ」だかの備え付けのウォシュなんちゃれっとなんかと比べたって遜色ない、水勢はアナログ式の無段階レバーの調節ですから、あなた好みのA感覚が手に入る、ご覧のとおりものの1分でマドモワゼルの菊門もきらびやかになりました、これなら Je t’aime と言われて moi ,non plus plusっと応じて2回戦だってあながち夢じゃないとまくし立て、最後にマドモワゼルの秘所をペロリとやったものだから、真多子ばかりか見物の皆々あんぐりお口が塞がらなかった。

あんなアナーキーな実演販売もあろうかと慨しつつも誰彼の手に「雪女王ホライゾン」の箱が握られていたのは、ひとえにやましさからであり、腐れ縁の兄弟、これがほんとのお知り合いとオチをつけるより先に、真多子の手にもしっかりと「雪女王ホライゾン」が握られていたとは付言しておきたい。

 以来、真多子は携帯おしり洗浄機を一度も使用していない。ペットボトルにヘッドを接続することでタンクの持ち運びも不要という優れものだが、やはり家の外でA感覚を得ることにちょっとした罪悪感がいまだ伴うのである。それでも彼女は外出時は少し大きめのバッグに替え、雪を常時携帯することを怠らなかった。要するに彼女にとってのお守りみたいなものである。嫌いな上司とか、意のままにならない友人や恋人たちと対決するときに、彼女はバッグのなかをまさぐって、雪に触れる。それだけで妄想される背徳の味が、どんなストレスをも乗り越えさせてくれるようだと、今の真多子は信じて疑わないのである。そうしていつかはこう言ってやりたいと思っている。
「わたしの携帯おしり洗浄機、よかったらお使いくださいな」

(了)

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