火水 #2/4
二
湯上がりの夕涼み。
障子を左右に開け放し、欄干にしなだれかかってお清が団扇なんぞ物憂げに使っていると、ふいに紙トンビが二階の座敷に舞い込んで、それこそは木場の若旦那のおとないの合図。そんな合図を寄越すのも、店に上がれぬ事情が出来したからで、はてと往来へ顔を覗かせると、藍の夏大島の涼しげなる立ち姿が、落ちかかる陽を柳の下に避けて、こちらを仰いでおいでおいでの手招きをする。
愛しい男の求めとあらば、さながら早瀬に浮いた丸石を次々と跳び渡る仔鹿のごとき軽やかさを見せたのもここひと月ばかりのこと。寝物語に身請けの話を聞かされて、以来、お清はすっかりのぼせあがったが、この頃でははや疑心暗鬼にとらわれている。無理もない、そんな話、若旦那のほうではとうに忘れたふうなのである。
「今日はちと寄れない。亀井戸のほうで株仲間の会合があって」
まさか、それが若旦那とその許嫁の、祝儀の前の両家の顔合わせの会とは、お清は夢にも思われない。
散歩に誘われて、女は素直に付き従うが、なんだか様子は浮かぬよう。いっそ派手にいじけて見せて、男を存分に困らせてやりたいとも思うのだが、機嫌を損ねては大変と自戒されて、向こうの気がつくのを待つばかりだが、こうして浮かぬふう装っても、いっかな顔色をうかがうようなことをしないから、よぼど鈍いか、わざとか、愛しい人にかぎって馬や鹿と同等の野暮ということはあるまいから、いずれ後者に決まっている、そうであればこそ、そのつれなさはいかにも憎らしいが、つれなくされるというのも当たらない、現にこうして堤防まで連れ立って、福々しい笑顔を見せていかにも楽しげな若旦那なのである。これではもう、なにが憎らしいやらわからなくなってくる。
土手の上から拝む西の空は、雲の端切れも見えず、一帯茜色に焼けて、墨西に広がる町家の屋根屋根も赤々と染まって、怖いくらいのものだった。毎年ぽつぽつと植え増やされる桜の幼木の並木も絶えるあたりまで歩を進め、暑気を避けるべく身を寄せる影などひとつとてなく、右手には大川の水面が砂金を撒いたようにきらきらと輝いている。連日の日照りで江戸の城下はすっかり干上がるようでいて、墨田川の水は相も変わらず満々と湛えられている。大川の光を見るうち、お清の胸中に希望のようなものが、もう幾たびと萌しかかるが、今日もまた、なんの返事も得られないかもしれないと先回りするおのが心こそ、恨めしかった。
土手の一本松はまたの名を首くくりの松といい、その見事な枝振りも、人によっては格好の絞首台と見えるらしい。この松を不吉ととらえてわざわざ迂回する御仁もないが、いまのお清の心境では、あえてここに足を止めるいわれはなかった。しかし男はこの松につと寄ると、女の名をあらためて呼んでにっと笑いかけ、懐より出だしたる懐紙をおもむろに開いてそこにある細いものの束をつまみ上げると、誘うようにして鼻先に揺らした。
「あら、花火線香」
お清の顔が、ぱっと火のついたように明るんだ。数えで十六、いまでいえば十四、五の娘のご機嫌取りなど造作もないと笑うなかれ、寛文年間にそろそろ世に出はじめたこの玩具、天和の時分にはまだまだ珍しかったというのもあるが、夏に花火線香する意味合いがいまとは全然異なった。花火線香を焼く匂いが戸外に渡りはじめると、親にうながされた子どもらが、家うちからぞろぞろと出てきたもので、その煙を胸いっぱいに吸えば、翌夏まで無病息災と信じられたのである。だから、こんなひと気の絶えた場所まで連れてこられ、花火線香を焼こうなどと誘われれば、干上がりかかった心に水を撒かれるのも同然。
「やるかい」
こくりとうなずく面に嬉しみは隠しきれず、そこにあるのは女郎なんぞと蔑まれるいわれなき初心の生娘、男は雪駄で足元の砂利を均すと、やおらしゃがみ込み、懐中に忍ばせた火口入れから蓬屑を取ってそこに盛り、火打ち石と火打ち金とをかっか鳴らして手際良く種火をこしらえた。
火の雫が落ちかかるところでじりじりと震え、震えながら、やがて、四方へひとつ、またひとつ、と訥々と火花を散らしていく。その儚げな風情にお清はすっかり魅せられた。白い煙が濛々と上がり、肺腑に吸い込むどころか、これに取り巻かれて無病息災どころか棘さえ刺さりはしない、と子どもらしい軽口を叩いていると、ひゃっと男が叫んで宙に躍り上がった。白い煙は花火線香のそればかりでなかった、振り返ればかたわらの一本松の根方からも煙はさかんに上がって、ほむらの赤い舌先が、根と根の股の暗がりからちろちろと覗いた。
「水を取ってくる」
いうが早いか土手を駆け降りる若旦那、あれよという間に煙に巻かれて見えなくなった。すぐに戻ると思ったら、これがいっかな戻らない。そうこうするうち煙は松の幹のだいぶん先からも上がるようになって、これは事後の検分から知れたことだが、折からの猛暑で一本松は立ち枯れかかっていて、ここ数日のうちにぱしりと縦に割れたところを松脂が滲んでこれを埋めたもので、それへ引火して松はたちまち火炎に包まれる仕儀と相なった、と。
土手の一本松の焼ける一部始終を、吉原の楼上から見た客らも少なくなかった。なかには、首くくりの松に人魂のたかると見て、怖気を振るう者もあった。あるいは、にわかに立ち上がった火柱を巨大な燭の火に見立て、おりから地平にさしかかった柄杓星が水をかけて消そうとするように見えたなどと洒落臭いことをいった。
火の粉の城下へ舞うのを恐れたお清は、動顚するのも束の間、とりあえず土手下に降りて帯を解き、それを汀に放って水を吸わせてから、また土手を駆け上がって燻る幹に抱きつくようにした。ほむらの先が鬢を焼く。かまわずまた土手を降りてゆき、帯に水を吸わせると、えいやっと今度は根方へ押し込んだ。焼石に水とはまさにこのこと、水を注げば注ぐだけ炎はさかるようで、か弱き女ひとりの大童では二進も三進もいかなくなった。へなへなと地面に座りつくと、しどけない姿して途方に暮れる。
火柱は天を衝き、永遠に燃えさかる業火とお清には見えたそれも、松の高さからいって八尺程度、もともと松は枯れかかっていたから燃え尽きる時間もせいぜい半時足らずで、風もない宵のこと、大火の種にはならずに済んだ。
故意の火付けではないにせよ、この頃城下にはやる花火玩具の、火種になることを恐れたお上は、その戒めとして、この椿事を火付け相当と取り沙汰した。かくして捕縛されたお清は、火付人として扱われるに至る。火事の当日、若い男がひとり同伴するのを見た、との証言が少なからず得られたが、どうやら相手は道灌の時代より続く材木屋の若旦那、横十間川の掘削には多大なる貢献をしたとして家綱公より直々に苗字帯刀を許された豪商の跡目ともなれば、同心らの調べも自ずと及び腰。もとよりお清の家が上客のことを売るはずもなく、お清自身、すべてはひとりでしたことですといったきり、拷問されても寸とも口を割らなかった。
火付人が数えで十五未満なら遠島、十五以上なら、市中引き回しの上、火あぶり。
火水 #2・了
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