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虹の樹

 その土地の言い伝えでは、虹はさる大木の樹幹から空へとすっくと伸びるのだという。その名も「虹の樹」といった。

 それを聞いて私はカロッサの『幼年時代』を思った。そこでは、虹の根元には金の皿があることになっていた。「ニジマス」とあだ名される、怖い話ばかりして子どもたちから敬遠されている年嵩の少女がいて、ある日この娘の家が火事で焼け落ちる。途方に暮れる少女と野を歩いていた「わたし」は、向こうに虹の立つのを認める。あの足元に行って金の皿を手に入れれば、家を建て直すお金になるかもよと励ますと、ニジマスはいう、「ああいうものは、求めれば得られないものなの。偶然出くわすものなんだから」

 はたしてその土地の誰も、虹の樹を見た者はなかった。どこにある、とは私は訊かなかった。たがらそれは虹の足元に、と彼らは苛立たしげに答えただろうから。あるいは、眉根を顰めていったかもしれない、「そういうものは、求めれば得られない」と。

 仕事納めの日に痛飲した私は、どうにか家の最寄駅で下車した模様で、はて自転車はどうした、とおのれに問いただしながらふらふらと歩いて家路を辿っていた。そして迷った。駅から家までは徒歩で二十分とかからぬ道行で、そこを棲家と定めてから十余年、土地のことなら隈なく知り尽くしているつもりでいて、迷いようもないはずが、まるで見知らぬ一画を彷徨っていた。幅広の街路は石畳に覆われ、かつて瓦斯灯と呼んだに違いない灯りが両側に等間隔に並んでいる。中の火は大きくもなり小さくもなり、そして時折揺らめいた。往来に人の気配はなく、車の音も絶えた。瓦斯灯越しに見る家々はみな瀟洒な洋館で、白枠の窓からところどころ明かりが漏れるが、人影がよぎるとか人声が聞かれるとかそういうことはなかった。この静寂といい、底冷えといい、予感がして見上げると、はたして薄汚れた布団のような空から羽毛がひとひらふたひらと舞い来たるように見えて、雪。

 行けども行けども街路は尽きることなく、夢見を疑う私だった。家が建て込んで、あいにく脇道らしいものもない。思えばさっきから同じところを通るようでもある。しかし道は前も後ろも定規で引かれたようにまっすぐで果てもなく、これは円環に閉じるにしても球体の上を歩くような按配だろうと納得するのも妙だった。

 今更のように思い出してスマートフォンを取り出し、現在地を検索する。一本道とおそらくは私の位置を示す青い点とがその中央に現れて、そのほかの余白はすべて黒く塗りつぶされている。なにかの間違いだとは思うものの、住所を入力すると、青の点を起点に経路を示す同じ青の半直線が道沿いに伸びて、その先をスクロールしていくと、やがて目的地の赤い印が現れた。

 これでうちに帰れる、と本気で思ったのだから私も相当に酔っていた。前方に黒い影の次第に屹立するのが見えだして、やがて大樹の影とわかり、クリスマスあとに飾りつけを取っ払った樅木と私は思った。あるいは大きさからしてヒマラヤスギかメタセコイアかとも思ったが、さして木に詳しいわけではなかった。根元までくると、そこは往来の中央に設置された円形の広場のような、あるいは劇場のような外観を呈していて、大人ふたりで抱えても足らぬような幹の太さを仰ぎ見ながらしばし言葉を失った。そこへ、背後から声をかけた者がある。
「虹の樹ですよ」

 銀髪をきちんとうしろへ撫でつけ、臙脂のマフラーを差し色にグレーのカシミヤのロングコートに身を包み、駱駝色の革手袋と濃緑色の革鞄という出立の老紳士が立っていた。瓦斯灯に視線をやると、舞い来たる雪片はよほど繁くなっていた。灯りのなかに老紳士は進み出て、その顔を認めるなりたちまち私はある懐かしさにとらわれた。
「道に迷いましてね」
 私はいった。
 男は笑った。
「いや、あなたは道に迷ってなんかいませんよ。そこがあなたのうちです。遠くから眺めれば、ここから虹の立つのが見えるでしょう」
 うながされるまま、私は見知らぬ家の門扉に手をやり、それは造作もなく開いて、玄関の踊り場まで導く五、六段の階に足をかけた刹那、前庭に植わった紫陽花と躑躅の植え込みがすっかり雪に覆われているのを認め、振り返るともうそこに男の姿はなかった。一階の窓からカーテン越しに明かりが漏れて、顔を近づけると、かすかにピアノの音と、子どもらの笑い声が聞こえるように思った。

 玄関の扉を開くと、四方で爆竹が炸裂して、火薬の匂いが充満した。撃たれた、と思った。私は髪にかかった紙テープやら紙屑やらを払いながら、子どもたちの歓声と拍手に導かれて家のなかへ入っていった。

 私はすっかり部屋着に着替えていた。息子がいう。
「虹の樹は、秋に葉が七色に色づくのでそう呼ばれるのです」
「それは違うわ」
 長女が反論する。
「落葉したあとで雨が降って、そのpHの加減で葉に含まれるアントシアニンが赤になったり青になったり緑になったり黄になったりする。それで虹の樹と呼ばれるの。虹はだから地面にできるのだわ」
 すると今度は次女が異論を唱える。
「虹の樹の葉は秋になると毎年毎年異なる色に色づくのよ。それであの土地の人たちは、翌年の吉凶を占ったの。赤なら大火事に見舞われる、青なら大地震がくる、明るい緑なら実りは乏しく、黄なら実り豊かな一年になる。紫なら……」
「紫なら」
「口にするのも不吉だわ」
「ところで君たちは、本物の虹の樹を見たことがあるのかい」
 私は訊いた。子どもたちはいっせいに首を横に振った。往来に屹立する虹の樹のことをいおうとして、私は敢えて口をつぐんだ。

 バッハの小曲を弾いていた少女がピアノから離れ、なにやら企み顔浮かべて安楽椅子に座る私に近づいてきた。
「やぁ、お友だち」
 子どもたちのいずれかの友だちと思ってそんな声をかけたのだが、その顔一面を覆うそばかすを認めるなりそれがニジマスであるのを私はすぐにも悟った。
「人は寿命の半分のところで、死ぬ間際の自分と出会うのよ。そうして大事なことを教えられる。あなたはなにか教えられて」
「いや、なにも」
「嘘よ。思い出して」
「ああ、お前は道に迷ってはいないとはいわれたよ。しかしそれは……」
「とても大切なことじゃない。忘れないようにしないと」
 そういってニジマスは、テーブルの上の皿を取って私に寄越した。
「マカダミアナッツ、食べるでしょう」
「食べるね」
 渡された皿の上に、白いナッツが四つ五つ。一度なると百年は収穫できるといわれ、だから長寿や繁栄のシンボルとして知られる種子。しかしそれよりも、私はナッツの皿のほうが気になって、尋ねた。
「これは」
「金の皿。どこのお家にもあるでしょう」
 ニジマスはそういって、悪戯っぽく笑った。

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