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なぜノート術は続かないのか~自由のためのノート術

今回はちょっと寄り道を。

なぜノート術は続かないのか

ノート術だというのに、これまで書き方については触れてこなかった。それは、そもそも書き方のルールなんてないからだ。あるとしたら、最初に日付を書くことくらい。

ノート術といえば、大抵は、アイディアが湧いてくる書き方やページの使い方を教えている。たとえばページを線で分割し、右側に何を書きなさいとか、チャートの書き方はこんな風に…といったことだ。
そういった書き方の約束ごとは、このノート術には一切ない。書き方はさして問題ではないからだ。それよりも、そこに何を書くかの方が大事だからだ。

書き方やそういったメソッドに意味がないと言っているのではない。そうじゃなくて、こういう書き方をしないとアイディアが湧かないとか、効果がないなんてことはないと言いたいのだ。つまりどんな書き方であっても、アイディアを思いついたり、問題を解決することはできるってこと。自分のスタイルを見つければいいんだ。

私も過去に、何冊かノート術の本を買って、試してみたことがある。でもどれも続けられなかった。なぜ続かなかったのか。
そういった本に紹介されている書き方の例を見せられると、たしかに真似したくなるんだよね。かっこいいチャートが描かれていたり、その間を矢印が四方に飛び交っているのを目にすると、なんだかすごいアイディアが降ってきそうに思えてくる。ページに広がっている世界を想像するとワクワクしてきて、さっそく試そうとする。
でもね、結局は事実や問題点を書き出したところで止まってしまって、そこから思考が進まなかったんだ。

書き方というのは、その人の思考回路が表れたものだと、わたしは考えている。でも思考回路は人それぞれ。誰にでも当てはまる万能な書き方って、ないんじゃないだろうか。たまたまそのノート術を考えた人と思考回路が似ていれば、上手く活用できるだろう。でなければ自分の脳回路を、それに合わせて開発していくことになるのだと思う。長い時間をかけてね。

それに、箇条書きでどんどん書き進められる人は、そもそも優秀な思考力が備わっているのではないかと思う。最初の前提や、キーワードをいくつか書き出したとして、その間を埋めたり、その先を書いていくには思考や想像力を必要とするからね。

くどいようだけど、書き出した言葉を眺めていて、アイディアが降ってくるのは書き方の問題ではない。書き方を学んだからといって、いいアイディアが出てくるわけではないのだ。
目的は書くことではなく、アイディアを思いついたり、問題を解決することだよね。だから自分の思考回路に合った書き出し方を見つけていけばいいのだ。
そこへきて『自由のためのノート術』は書き方も自由。工夫を重ね、自分のスタイルを見つけていってほしい。

何を書くのかについては、これまで4回に渡って話してきた。手を動かして書くべきことを書いていれば、思考は深まっていくだろう。自分との対話で、今を超えていこう。

それではまた。
すべてはバランスだから。

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