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悩みに答えを出すノート術②~自由のためのノート術

前回は、心に居座り続けている嫌な出来事や感情をノートに書き出してみようという話でした。その先に起こる変化の話に入る前に、今回はこの話を聞いてください。

書くことは表現すること

嫌な出来事や感情を、ノートに書き出していくと、だんだんと気持ちが高ぶってきて、手の速さが追い付かなくなることがあります。特に誰かに対しての怒りの感情は、抑圧されたエネルギーが相当たまっているものです。
いったん書き始めたら、堰を切ったように言葉が溢れてくるでしょう。それでも、前回お話したように、自分が正しいという立場で、正直にどんどん書いていってください。

そうやって夢中に書いていると、あるときふと手が止まる瞬間が訪れます。それは、もし実際に相手が前にいたら、絶対に口にしないような言葉が浮かんだとき。
コッソリここに書くのでさえ、誰かに見られているような気がして戸惑ってしまう。そういった汚い言葉。相手をひどく罵ったり、「死ね」などといった過激な言葉が浮かんできたとき。
「誰も読まないからといって、こんなことを書いていいのだろうか…。」

もし僅かでもそう感じたなら、それはあなたが正常な感覚の持ち主だからです。こういった言葉は、使わないに越したことはないのです。

いえ、道徳的な話をしたいんじゃないんです。書くという行為は、外に吐き出すことでもあるけれど、一方で表現することでもあるのです。

でも、心に浮かんだことはぜんぶ書いてしまった方がスッキリするんじゃないか。内に溜めておかない方が、むしろ心身の健康のためにはいいのではないか。そう疑問に思うかもしれません。王様の耳はロバの耳というおとぎ話が示唆するように、それを言わないと心に溜まって身体に悪いのではないか、と。でもそれは本当でしょうか?

こういったことは、昔から当たり前のように考えられ、言われてきたことです。たしかにその瞬間はスッキリするのでしょう。しかし、もういちど言いますが、書き出すことは表現することでもあるんです。悪態や罵る言葉を使うのは、僅かながらも、相手を呪うことだと自覚しておいた方がいい。

人を呪わば穴二つという諺があります。誰かを呪ったら、いつか自分もその報いを受けるという戒めです。でもそれは“いつか”ではないのです。呪ったその瞬間に、小さな変化として、すでに自分に降りかかっているのです。なぜなら、何かを表現すれば、その人は、それを表現するにふさわしい人間に、いっぽ近づくからです。

罵ることを書いてスッキリした経験を得たら、嫌な相手が現れたとき、次もまたノートにそういったことを書けばいいと、心のどこかで理解するでしょう。小さくても、そんな悪の成功体験が、一歩づつ自分をそちらへと押し進めていく。これは怖いことです。

多くのノート術や成功法則ではよく、書けば実現すると教えています。そのことの真偽はさておき。もし何らかの理由で、本当にその相手が死んでしまったら、よかった、よかったと手をたたいて喜ぶでしょうか。そんなことはないないはずです。だって、本当に死んでほしかったんじゃなくて、ただ自分の前から消え去ってほしかっただけとか、したことを償ってほしかった、誤ってほしかっただけなのではないでしょうか。ということは、そもそもは正直な、心からの言葉ではなかったということです。

だいじょうぶ。何もそんなことを書かなくったって、自分の立場や気持ちを分かってもらえるように、説明するように書けばいいのです。それでも十分に効果はあります。なぜならこれは、書いてスッキリするという体験が目的じゃないからです。悩みを永久に終わらせるための、前向きな答えを出すことが最終目的だからです。そのための大事なステップ、次に起こる不思議な出来事を呼び起こしたいからなんです。

次に起こる不思議な出来事…それはまた次回に。

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