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人生の扉 #09 困難から学ぶ -どうしたらできるかを考えるー

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【連載「人生の扉」について】
FOSC名誉会長の小山さんに、どのような会社人生を歩んできたか、そしてそれを支えてきたものは何かを「人生の扉」というシリーズで語っていただきました。
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「Yes But!」で考える

1985年のこと。
本社エリアで計画から完了まで3年がかりの大規模再配置が行われました。
C号館3階に研究部門が入り転出後の跡地に人事開発本部が入居することで計画の一つは進んでいました。

ところが、研究部門移転の1か月前に役員の交替で人事開発本部長が変わり、新本部長が業務遂行の観点から自部門を先に3階に入居させるよう要求してきました。
突然、本部長に呼び出されこの要求を突き付けられた私は、すでに関係部門も準備をしているので即座に「No!」と回答したところ、私を睨みつけ「分かった。できないことにいくら時間をかけて議論しても無駄だ。帰れ!」と一括されてしまいました。

職場に戻った私は、すぐ上司に事情を報告するとともに、ダメ元で研究所長のM常務取締役に相談してみたいとコンタクトをとる了解を得ました。
その日のうちにM常務にアポイントを取り事情をお話しすると、

「人事開発本部が優先的に移転したいのなら構いません。当方の移転担当者(研究部門の総務課長)に話をしておくので再調整してください」

と、快く移転の順番とフロアの変更を了承してくれました。 私は即、人事開発本部長に電話で「研究部門の常務が快く変更了承してくれたので、要望された内容で移転できるように調整します」と報告しました。

この時に、一度決めたことでも必要であればその後の変化にいかに対応するか、「No!」ではなく「Yes But!」で考えることを改めて身に染みて心に刻むことになりました。

 「やればできるじゃないか」と言われたこの本部長には後々(12年後)SMOJ(※1) 初代総務部長 としてゴルフ会員権購入の際、「あなたにはお世話になったから」と快く推薦人になってもらったことを思い出します。
※1 SMOJ:ソニーマーケティング オブ ジャパン 設立時6,000人の営業会社

大規模事業所総務課長としての挑戦

1994年10月、本社総務部企画管理課統括課長から厚木総務部総務課長として転勤します。
当時の厚木テクノロジーセンター(厚木TEC)は、第1TEC・第2TEC合わせて9,000人以上の社員が働く大きな事業所でした。
総務課だけでも健康開発機能を含めて100人以上の人員がいました。

どうしたら出来るか 1

総務課長就任早々、映像研究部門で新しいディスプレイの開発プロジェクト責任者の課長でスキー部の指導員仲間のA氏から、
「ベルリンショーに出品する薄型プラズマディスプレイの開発をしているが厚木の施設部門が協力してくれず困っている、何とかならないか」
と電話がありました。

早速事情を聴くと、年内にインフラの目処をつけて来春のベルリンショーに出品したいのだが、「現段階ではEQ(エクイップメント)リストは概略の数値しか出せない」と言う開発部門と、「正確なEQリストを出さなければ計画できない」という施設担当が水掛け論を繰り返しているうちに時間はどんどん無くなりタイムリミットは過ぎてしまったとのこと。

開発した新ディスプレイを何とかベルリンショーに間に合わせたいという開発部門の要求に応えるために私は関係者を緊急招集することに。
そしてそれぞれの関係者にお願いしたことは、

  1.  施設部門:20%精度のEQリストには20%の精度で良いのでインフラ計画の準備を始めること。そして開発部門から出る資料の精度が上がるたびにインフラ準備の精度も上げるように。

  2.  開発部門:EQの精度が低いということは予算の振れ幅が大きいということになるので概算予算で決裁を取るときに桁が一つ違うということは無いが±50%の振れ幅は覚悟していただきたい。

  3.  施工する協力会社:準備が遅れているので土日はもとよりXmasも正月も無いかもしれない。それでも一緒にやってくれるか?

と相談し関係者の皆さんが了解したうえで、さらに私から

「私がインフラ提供のプロジェクトリーダーを務めます。通常週1回の定例会議を週2回行い通常の2倍のスピードで物事を決めていきます。さらに、1日は24時間あるので施工については3交替制をとり合計6倍のスピードでこれを進めます。皆さんとの連携でこのプロジェクトを成功させたいのでよろしくお願いします。」

と話し私の厚木総務課長としての最初の大仕事がスタートしたのです。

このプロジェクトはその後順調に進み、12月には施工会社が週2日休んでも年内にはインフラ回りは完成し、関係者の皆さんは無事正月を休むことができました。

出来上がった薄型プラズマディスプレイ1号機完成セレモニーでは開発部担当常務をはじめ関係者の多くがそのパネルに記念のサインを記しましたが、なんと私には常務取締役の次にパネル中央にサインせよとの指示が。
頑張る総務を見てくれていたのです。

どうしたらできるか?この繰り返しの実績は社内の信頼を得ると同時に総務を大きく育てていきます。


どうしたらできるか2

その翌年の1995年。
景気も少し上向き、メインロビーの大改修が行われることに。ロビーの機能上、工事期間は5月の7連休に決まりました。

連休中の仮ロビー等、社内での調整も終わり連休まで1か月を切った時、担当の係長が半ベソをかいて突然相談に来たのですが、そのわけを聞いてびっくりしました。

施工会社との打ち合わせに行ったら工事を依頼していた常駐の大手ゼネコンの所長(課長級)から「工事期間が短くて5月連休ではできない!」と言われ途方に暮れて戻ってきたのです。

私はこのプロジェクトの進捗及び課題については熟知していましたのですぐに手を打つことにしました。
その所長の上司であるエリア統括所長(部長級)に来てもらい、

「大手の工事会社が数億円の工事をなぜ簡単にできないというのかわからない。」
「私ならできる。ただし条件は付けるかもしれないが、しかしやり切る自信はある。プロのあなたたちがなぜできない。」

と言って説明したところ、「わかりました。」 と言って戻っていきました。

問題だったのは、トイレのリニューアル工事での洗面器具の納期が間に合わないということでした。それに対して私の提案は仮の器具をつけて機能は確保し1週間後の土日曜日に付け替えるというものでした。

結果として、トイレのリニューアル工事の問題は解決し、無事にメインロビーの大改修を進行することが出来ました。

出来ないと決めつけるのではなく、【Yes But!】と考えることで仕事を前に進ませられることを再認識した一件でした。

厚木TEC総務課長時代のエピソード

1. 振り向いたら誰もいない?

赴任当時、会社は不況の影響を受けて投資は縮小し、進行中の大型案件もモラトリアムがかかるという厳しい状況でした。
私は、「こういう時こそ絶好のチャンス」だと思い、この事業所でこれからやるべきことの準備に取り掛かりました。

メインゲートにセキュリティセンターを建設、防災センター建設と消防車の購入、省エネ・CO2削減に向けたエネルギー設備の大規模更新、そして、オフィスのリニューアル推進等。

後輩の係長からは「小山さん、積極的にいろいろ仕掛けて途中でいなくならないでくださいね。」と言われたので、私は、「そんな心配は無用。それより振り向いたら誰もいないということのほうが怖いけど。」と返答しました。

2.労組員の賞与評価

総務部には会社が嫌がる労組員の女性が2名いました。
仕事もしっかりできるし人付き合いも良く、ただただ組合員というだけで昇給、賞与の査定は低くなっていた。

私がマネジメントするようになって仕事の評価を適正に行った結果、前年よりも評価は良くなり人事へ提出すると猛然と反発が届きました。
それでも、「成果を出したら評価する」という基本を貫いた結果、組合員からも仕事で成果を出せば評価してもらえる と、その客観性は歓迎されました。

3.新人の人事評価

入社2年目の女性社員の評価をめぐり人事と対決。
彼女には明確に成果が見える業務をアサインし期限までに結果を出すことができたので、標準より1ランクUPの評価で総務部と人事部の合同評価会議に臨みました。

しかし、人事課長から「入社2年目の女子社員が標準以上の評価なんてあり得ない」と声高らかに異議を唱えてきました。

総務の担当課長から説明を行ったが納得しないので、私は
何のための評価確認会議なのか。やった時は評価する、これが基本ではないか!人事課長は部下の目標設定や成果をどう見ているのか聞かせてほしい。
と言ったところ黙ってしまいました。
以後の合同評価会議では、客観性のある総務課の評価について誰も異議を唱えなくなりました。

余談.夏祭りと出井社長

総務課長在任中、厚木TEC夏祭りに出井社長がお見えになったことがあります。
アテンド役としてアサインされた私は、社長がヘリコプターで到着してからお帰りになるまで付きっ切りでお世話をしました。
身近なところで仕事以外の話も聞けてとてもハッピーな気分になったとともに気さくな人柄に親近感を感じました。

続く
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