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モチベーター (4年 #4 此本 暁公)

4年の春、進学・就職を目前に本当に最後の最後まで、大半が活動を続けた、今年の卒業生9人。
最後の1年では、史上初となる3つの全国大会出場を勝ち取りました。
そんな彼らが過ごした4年間を、ぜひお読みください。

7人目は、 #4 此本 暁公(このもと あきひろ) です。

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チームのために。
これに尽きた4年間だった。

毎週水曜日6時半の朝練から始まり、毎週末は試合がある。
週3回の練習に加え、練習時間外での仕事や、ミーティング。
バイトの時間を極限まで削り、遊ぶ時間なんて、残されたわずかな時間のみ。

時間の経過は本当にあっという間で、気づいた時にはもう4年間、その生活をやっていた。

よくやった。
まずは素直に自分をほめたい。

こんなに充実した4年間を送った大学生なんて、そうそういない。
自分は本当に環境に恵まれていた。
FORZAに入る選択をして、大正解だった。

入学当初の自分には全く想像できなかった、この4年間。
その4年間の日々は、本当に刺激的でかけがえのないものだった。

FORZAというチームは、ここ4年間で大きく変化した。
部員が多く増え、組織としての仕組みも変わった。
そして、何よりも「大学日本一」を目標へと掲げるチームへとなった。

このチームは、まさに発展途上である。
そんなチームのために自分に何ができたのか、少し振り返りたい。

まずは、幹部としてチームの中心にいる立場としてやったことについて。

自分は2年時の途中から幹部を任せられていた。
当時のチームは3年生を中心とした幹部がほとんどのチーム運営を行っており、ほかの部員にはそれほど仕事が与えられていなかった。

別にそれでチームが悪い方向に向いているわけではなかったが、幹部や監督の負担や仕事量は莫大であり、大変だった。
一応、仕事が割り振られて部門にも分かれていたが、他部門が何をやっているのかあまり共有ができていないし、もはや活動してないところだってあったと思う。

何よりも、幹部中心とした一部でチーム運営をやっている感が強く、チームとしては全くやれていなかった、と今では思う。
FORZAにいて、よく聞いた言葉「一体感」。
言葉だけ聞くといいように聞こえるが、この時期のチームは勢いでやっている感があって、まさに、感があるだけに思えた。

そんな中で行われた、KANSAI INTER COLLEGE CUP 2020。
その年の全日本大学選手権がコロナ禍の影響で中止となり、その代替大会であった。
FORZAは九州代表決定戦において、北九州市立大に敗れていたが、他地域の辞退により奇跡的に出場することができた。

急に出場するかもという話が来て、急いで大学に申請する書類を作成し、なんとか許可をいただいた。
この大会に、自分は選手としてではなくスタッフとして帯同させてもらった。
初めてピッチレベルで見る全国レベルの試合、何もかもが新鮮だった。

1回戦に勝利しベスト8をかけて臨んだ2回戦。
相手は明治学院大学。結果3-4負け。2点先行しながらも逆転負け。

目の前の光景が信じられなかったのと同時に、これが全国レベルなのかと感じ、勝負の世界の厳しさを最大限に感じた。
11月末の大会開催だったので、代替わりとなる時期、つまり自分たちが中心となる3年生になるのも、すぐそこにある時期でもあった。

試合に敗れ、みんながベンチから引き上げていく中で、同学年の光稀はずっとベンチに座っていた。

光稀は、自分と一緒の2年生ながらも幹部で仕事をしながら、プレーでもチームを引っ張っている存在だった。
誰よりも悔しがっているその姿に声をかけずにはいられなかった。
それと同時に、来年も必ず全国へ戻って来よう、強いチームを自分たちで作っていこう、そう心に強く誓った。

敗戦から、一夜明けた次の日のミーティング。

「俺やそうたさんをまた全国へ連れてきてくれ」、健さんがそう言ってくれた。
チームに課せられたのは、全国大会出場。

そして何よりも、全国の舞台で戦えるチームになる必要があった。

全国の舞台において、戦えるチームとは。

技術レベルが、全国レベルに達するにはもちろん、チームの組織としての強さも求められていた。代が変わり自分たちが中心となり、新チーム体制を考えるミーティングが何度も行われた。

そこで、決めたのは競技目標と目指すチーム像というもの。
目標・目的が提示されることで、曖昧になっていたものがはっきりとされた。
そして、幹部中心に割りふられていた仕事も、しっかりと部門ごとに分けられ、各個人がある程度の仕事を抱えるようになり、それぞれがチームのために仕事を行える環境を作ることができた。

そんななかで、2022-23シーズンより「For the FORZA」を大きなチームの柱とした。また、競技目標は、大学日本一。大学日本一のチームになるために、全員がチームのために行動しようとなった。

まだまだ未熟なところも多いが、みんながチームのために動ける環境をつくることができた。ただ技術的に強いチームを目指すのではなく、組織として強いチームを目指す。
全国レベルを経験し、チームを全国レベルへ近づけるための土台をしっかりとすることができたと思う。

細かいことを言い出したらキリがないから、幹部としての自分がチームのためにやれたことはこんな感じ。何度もミーティングを重ね、結果として得られたことは素直にうれしい。とはいっても、幹部の仕事を苦に思ったことは一切なかった。

むしろ、チームのためにやれていることであり、チームの中心に携われていることが光栄だった。

ここまでがフットサルのプレー以外がメインのはなし。
ここからは、フットサルのプレーメインのはなし。

自分は決してうまい選手ではなかった。

もちろん練習をさぼったことなんてないし、手を抜いてやっていることなんて全くなかった。
だけど、幹部でチームの中心になり仕事をどれだけやったとしても、試合のプレーにおいて活躍できる場面は自分にはなかった。

4年になったらさすがにトップチームで試合に出られるだろう、そう思っていたがそんなことは全くなかった。
4年の最初はサテライトだったし、トップチームに上がってからも、自分だけ試合に絡めないことが多かった。

練習で自分なりにうまくいっているなと思っても、試合でやれる時間がほとんど与えられなくて、悔しかった。
あの時怪我してなかったらとか、いろいろ後悔はあるけれど、これが自分の実力だった。

つまり、試合でチームのためにプレーで貢献する、これはあまり叶わなかった。

試合に出てチームのために、これは部活動としてやっている以上は誰もが目標とするだろう。しかし、なかなか試合に絡めず、自分の実力もわかっていたので、割り切っている自分もいた。

そして、みんなにとってのモチベーターでいよう、そう考えるようになった。

とは言っても、言葉にするのは簡単で行動に移すのが難しい。
自分だけ試合に出ないだろうなと思いながらアップをする、なんなら出ないとわかってアップした試合のほうが多い。

大事な試合前の練習は自分だけが試合で組むセットに入れず、まともに実践練習もできないことだってあった。
悔しい現実だけれど、自分はそれでもチームのためになりたかった。

「モチベーターになる」

自分にはそれしか残されていなかったというのが正しいかもしれない。
チームのためになるにはどうしたらいいか、その結論だった。

常にメンバーを鼓舞する声を出す、アップで出し切るくらいの気持ちでやる、選手がベンチに戻ってきたら声をかけに行く、点が入ったら最大限に喜ぶ、率先して準備をしたりチームの備品を運んだり、など。

特にこれについて考えたことは無かったけれど、なぜか勝手に行動していた。
結果として何か得られるものでもないし、試合中はただうるさいだけのやつかもしれないけれど、それでいいと思った。

「うわ、あいつあんなにやっている」そうみんなに思わせることで、みんなにもっとやる気が起こり、最大限のパフォーマンスを発揮出来たらいいなと。

チームにフットサル以外で貢献する。
自分は,圧倒的にこれを考えた時間の方が多かった。
さっきあったように、幹部に所属していた時は毎日のように問題が出てきてそれに追われる、まさにFORZA中心の生活だった。

みんなに見えない仕事だろうと、多少の理不尽だろうと頑張れた。
試合に全然出られなくても、はやく辞めたいとか一切思わずに4年の最後までいれた。

なぜか。
1番FORZAが好きだったし、1番FORZAを本当にいいチームにしたいと思っていたから。
そして、みんなの存在、FORZAというチームの存在があったから。

今のチームは本当に強い。
トップチームは、今年は九州3冠を獲り、全国大会もFORZA史上一番多く経験できたシーズンだった。
サテライトも自分が1年生の時は8人とかで試合をやっていたし、しんどかったけど、今は環境も充実していてうらやましい。

最後の最後まで、自分が試合に多く出てチームのために貢献したいと思っていたが、叶わなかった。

でも、みんなとの練習、みんなとの試合、みんなと話している時間、どこを切り取ってもすべてが幸せだった。
ここはこうでしょ、ってしっかりアドバイスをくれる後輩がいたり、いいプレーがあったらみんなで盛り上げてくれたり、スーパーオウンゴールしたらとことんバカにしてくれたり。

特に、練習試合だったとはいえ、点が取れたらみんなが喜んでくれたし、点が取れた以上に、みんなの喜ぶ姿を見られたことみんなが褒めてくれたことが本当にうれしかった。

書きたいことが多すぎて、全然まとまらないが、最後に一つだけ。
みんなはどうしてFORZAでフットサルをしていますか。

これは、以前のノートにも書いたこと。

FORZAというチームが好き。自分は、それ以上の何物でもなかった。

そして、結果論かもしれないけれど、自分はFORZAというチームが成長していくことに楽しさを感じた。
チームを良くしたい、微力かもしれないけれど、微力でいいからそれに携われたことを光栄に思いたい。

繰り返しになるが、このチームはまだまだ発展途上のチーム。
正解とか終わりとかはないけれど、みんながチームをよくしたいと思えば、必ずもっといいチームになるはず。

自分たちは時間とお金と犠牲にしてフットサルをやっている。
大学生は自由なのに、自分でFORZAを選んで生活している。

それをどれだけいいものにするかは、やらされているだけ、誰かがやってくれるだろうではいけないし楽しくない。

あの問いに対して、みんなが少し考えてくれたらうれしい。
チームのために尽くすことは、試合に出ているとか、学年とか立場とか、本当に関係ない。

「For the FORZA」で。
最高に楽しい4年間でした。みんなの活躍に期待しています。

フットサル、そしてFORZAでの活動を通じてお世話になった人たち、バイトや大学生活で自分に関わってくれた全ての人に感謝を伝えてノートを締めます。

本当にありがとうございました。
VAMOS FORZA


#4  此本 暁公(このもと あきひろ)
学年:4年
学部:工学部
出身地 / 出身校:大分県 / 大分県立大分上野丘高等学校


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