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工場を訪ねてみました! #4 新潟県燕市  工房アイザワさん

新潟県燕市にある工房アイザワさんは大正11年の創業です。

人との繋がりを大切に美しさと使いやすさを心がけ日々の生活になじむ道具をひとつひとつ丁寧につくられています。細部の処理加工や仕上げの磨きなど時間がかかっても職人さんによる手作業を大事にして日本の伝統工芸を生かした良質なものづくりは高く評価されています。

そんな工房アイザワさんの社長相澤保生やすおさんに燕、三条の色々な工場を案内していただきました。
工場見学の終盤アイザワさんの会社にて色々とお話しを聞かせていただきました。

まず工房アイザワさんの創業者は現社長、相澤保生さんの祖父保治やすじさんで最初の名前は「相澤保治商店」だったそうです。

「祖父は新潟市の出身で洋食器の問屋さんに丁稚奉公に出されていました、当時から分業をしている町でしたからいろいろな人をまとめる役割も問屋さんが行っていました」

洋食器とは調理道具のことでしょうか?

「いえ、スプーンやフォークなどカトラリーがメインです。その後祖父は独立したのですが、商売が安定する前に亡くなってしまい祖母(フイさん)に社長が変わりました。祖母からは昭和初期の大飢饉の時は商売が成り立たず信濃川の氾濫防止の分水路、大河津分水を掘りに行ったとも聞いています。そして叔父さん(後に三代目となる相澤狩野かりのさん)と父(東京の刃物問屋さんの丁稚奉公から家業に戻ってこられた後の四代目となる寿夫ひさおさん)と最初のブランド「BOXERボクサー」を作りました。「BOXER」は大工道具のブランドとして、そしてもう一つ「乕徹こてつ」は刃物、カンナ、ノコやノミなどのブランドとしてスタートしました」

「父の関係かと思いますが百貨店さんよりヨーロッパから輸入している銅の鍋を国産にしたいので作ってもらえないかという依頼がきました」

工房アイザワの銅製品の歴史はこの時に端を発します。

四代目の相澤寿夫さんと五代目相澤保生さん

「最初は寸胴の鍋だったかと思います。そして徐々に種類が増えていきそれに付随するお玉などのキッチンツール、カトラリーをこちらはステンレスで作り出しました、しゃれた小道具シリーズはその頃できたものです」

「燕に鎚起銅器ついきどうきが伝来したのは江戸時代中期から後期と聞いています。当時弥彦山で銅がとれており銅の鉱石をこのあたりで生成していたので材料はありました、その後東北の方から鎚起の技術が伝わり現在も続いています。またその技術を生かしカトラリーをつくりハウスウエアーへ移行してきました」

そして自社ブランドが増えていきました。その後MONOPRO DESIGNERSさんよりカトラリーを作ってほしいと依頼がきます。「三代目はオールステンレスのカトラリーに日本の墨の色をのせたいと作り出しました」ご自身で商品台紙やロゴなども書いてしまうほど字を書くのが好きだったそうで見せていただいたすずりの数に驚きました。

モノプロデザイナーズは1972年8月 東京・青山でスタートしたデザイン事務所です。そのデザイン領域はCI、グラフィック・パッケージ・プロダクトデザインなどを網羅しています。これまで手掛けてきた分野はステーショナリー、テーブル・キッチンウェア、DIY工具、ガーデンエクステリア用品、コンビニエンスストアPBパッケージなど、生活と産業全域にわたっています。私たちの姿勢は、使う人にとって誠実で良質なデザインを提供すること。結果としてお客様である企業が、将来に向かって明るい存在であり続けること。これらを念じつつ両者の間に立つ、堅実なインタープリターとしての役割を果たしたいと思っております。

MONOPRO DESIGNERS http://www.monopro.co.jp/index.html 2023.12.14

「当時洋食器はより銀に近い方が高級という認識で光り輝くものが多い中墨の黒さを落とし込む事に取り組みました。墨の色を求めての試行錯誤の中、三代目本人が検品を行なっていてそれがとても厳しく3割ぐらいしか残りませんでした、工場からすると仕事にならないと言われていました」そんな声を現社長の保生さんも実際に仕事をしながら聞いていたそうです。

「元々、燕は自宅の1階を工場にしたり狭いスペースで塗装をしたり、家の使えるスペースでちょっと研磨をしていたりと家内制手工業の様でした。」

完成したカトラリーを発売しましたがあまり売れ行きはよくなかったそうです、そんな中、一通の手紙が届きます。

「全てが英語で書かれていて中を開いてもよく分からない、そして英語の分かる人に見てもらったらアメリカの美術館に永久保存デザインコレクションとなる事が決まりました、と書いてありました」

COUTELLERIE WHITE&BLACK モノプロ+BOXER

1986年、それはMONOPRO DESIGNERSさんとBOXERで作った墨色のカトラリーでした。どのような経緯で選定されたかは教えてはくれないそうですが「三代目が箸は色が入っているのにカトラリーがステンレスの一色だけだと面白くないと、ベースはデザインですが光に当たると青っぽく見えたりグレーに見えたりと日本の墨の色で選ばれたのではないか。三代目は画家になりたかったと話すほど美術品、絵画が好きで、それが好じて美術館も作りました」

「平成元年に開館し16年まで行なっていました、その三代目は19歳~78歳まで社長を務め4代目(保生さんの父、寿夫さん)にバトンが渡りました」

三代目の相澤狩野さん(直人はペンネームだそうです)

61’マグ WHITE&BLACKは永久保存デザインコレクションに選ばれたちょっと後ぐらいの発売らしくその頃のデットストックを当店で販売させていただいています。真空ではありませんが二重構造で溶接が難しかったそうです。このマグカップの黒は永久保存されている墨色のカトラリーと同じ配合で作られ同じ色となります。

WHITE&BLACK 61’

「製造設備はないですがアイデアは無限です、設備投資は考えた事がなく周りにこれだけ作ってくれる土壌があるので磨きの表面加工は人手不足で今問題ですが他の表面加工を生み出したりと何とか打開できると思っています。先代、先先代も言っていましたが先の仕事をしてくれる人、工場の人や印刷屋さんなどが色々な注文を出し分かりにくい事もなんとか汲み取ってくれるんです、そんな人達がいて形になる、形にする事ができる。お客様、問屋さん、小売店さん、メーカーさんの4つが栄えていく事が1番の理想です、お客様と対話をして作り手の想いを伝えてくれる人、理想の部分も伝えてくれる事によって色々な事が繋がっていき最終的にお客様の買ってよかったになればと思っています」

今回の燕三条訪問の間は場所場所でお話いただきました。また色々な質問に答えていただきました。相澤社長、他メーカー様の工場見学の調整、ご同行いただき本当にありがといございました、また伺わせて下さい。

引き続きお客様に長く使える道具を届けていければと思います。

今回の工場見学、もう少しだけ続きます。