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【読書感想文】『サヨナライツカ』辻仁成著

先日に引き続き、今回も辻さんの著書『サヨナライツカ』を拝読しました。
前回読んだ『ピアニシモ』とは全く違う大人の恋愛小説でした。
あとがきには、『Men’s Extra』という雑誌に1999年4月号から掲載されていた『黄金の寝室』という小説に、加筆・訂正を加えて2001年1月に刊行されたとありました。

※多少ネタバレあるかもしれません。これから読もうと思っている方ごめんなさい。
物語はタイ・バンコクで働く「好青年」と評判の高い主人公豊の婚約パーティーから始まります。そこで出会った謎の美女・沓子との恋に溺れ、婚約者との間で揺れ動く好青年。やがて別れを決意し別々の道を歩む2人ですが、25年後に思わぬ再会を果たします。

表紙をめくると最初に詩が現れます。
その詩のタイトルが「サヨナライツカ」

サヨナライツカ

いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思う方がよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す

辻仁成著『サヨナライツカ』より 

なんて美しい詩だろうと思いました。
印象に残ったのは、冒頭の「孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思う方がよい」という部分と、「愛されたことを思い出す」のか、「愛したことを思い出す」のかという、最後の部分。
少し悲しげな詩ではあるけれど、この歳になって読んだからだろうか。
妙に腑に落ちてしまったのでした。

結婚を控えている好青年が、赴任先で知り合った美女との愛に溺れてゆく話。最初はあぁ、きっとこうなるんだろうなと思っていたとおりの展開になり、婚約者・光子と謎の美女・沓子のどちらを選ぶんだろう、と思いながらも、沓子の奔放さにハラハラしながら読み進めていました。

女性の目線から、豊という男の身勝手さに少しの不快感と、婚約者がいる豊への沓子のふるまいにも違和感を覚えながらも、二人の夢のような時間に時々吸い込まれそうになりました。
結婚式の日が近づくにつれ、沓子のいらだちや悲しみのようなものも感じられて、男の狡さに「はっきりしろ」と言いたくなるような気持ちも湧いてきて、もどかしい気持ちになりました。
しかし沓子も始めは、別れた夫を嫉妬させるために豊を利用していたことがわかり、沓子のふるまいの違和感がなんだったのかわかってきます。

中盤、突然沓子との別れの時がやってきます。
それは予想していた展開とは少し違っていて、え? と思うような別れ方でした。沓子がこんなにもきれいに身を引くなんて思ってもいなかったから。
愛されたことを思い出すと言っていた沓子が、愛したことを思い出すというのがとても悲しげに映りました。別れた夫への復讐のつもりが、いつの間にか豊を本気で愛してしまったからこそ身を引いたのでしょうか。

25年後に再会した後の沓子は、昔とは違う一歩引いた大人の女性のように見えました。再会を予感する一節を読んだ時には、ありがちな恋の再燃のようなものを思い浮かべていました。しかしその後の展開を読んで、そんなありふれたことしか思い描けなかった自分の想像力のなさが恥ずかしくなりました。

沓子は読み始めたときの最初の印象と、25年後の印象ががらりと変わっていて驚きました。この物語は豊と沓子にとっては愛の物語だなと思うのですが、やはり妻・光子の存在が心に引っかかるのは読者である私が女性だからでしょうか。

豊はきっと別の意味での愛をふたりに持っていたのだろうと思いますが、なんとなく出世と愛を天秤にかけた印象が残りました。

それなのに!
最後のあたりで私の目はウルウルしていました。
それは二人の愛に感動したのか、沓子の健気な姿に感動したのかわかりません。でも、間違いなく私の心は動きました。

話しは前後しますが、光子との結婚が差し迫るある日、タイでお世話になっている滝沢ナエから豊に手紙が届きます。長い手紙の中にこんな文章がありました。

でもどうか、迷わないでほしいと思うのです。悩んでもいいけれど、迷うとろくなことがありません。悩んで悩んで悩みぬいて人間は大きくなるのです。けれども、迷って迷って迷い抜いた人間は結局擦り切れて薄っぺらになり最後は悲惨な場所に押し流されてしまうのです。

辻仁成著『サヨナライツカ』より

悩んでもいいけど、迷ってはいけない。
この言葉に私は動揺しました。
私が今まで悩みだと思っていたことは、本当は迷いだったのではないだろうか?
そもそも悩みと迷いの違いは何だろうか?
「迷い」が答えがどこかにある場合を指すのだとしたら、「悩み」は自分の中に答えがない状態をさすのだろうか?

豊かにとって迷いとは光子と結婚するか、沓子との生活をとるのかということになるのだろうか。そして悩みとは沓子を愛しているかどうかなのだろうか。

私の中では最後まで答えが見つからない物語でした。
豊と沓子の過ごした日々は若々しく、情熱にあふれた美しい愛の物語だった。と思うと同時に、光子と豊の25年は何だったのだろうかという気持ちも残る物語でした。もし、この小説が光子に焦点を当てていたら物語はどう見えるのか気になったのは歳のせいかもしれません。

美しく悲しい物語で、久しぶりに胸が締め付けられるようなドキドキする感情を思い出ししたり、涙ぐんだりするところもありました。しかしながら、愛に生きるとは一体なんなのか、どう生きればよかったのか、沓子は本当に幸せだったのかを少し離れたところから見ている自分と、やはり豊の狡さに少し苛立ちを感じたのでした。

愛とは難しいものです。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
実は感想文を書き始めた時に描こうと思っていた内容と、実際に書きあがった感想があまりに違っていて、我ながら驚いています。

最初は詩の美しさ、流れるような文章、豊と沓子と光子の先行きにハラハラしながら引き込まれ、最後は少しばかりセンチメンタルな気分で本を閉じたのです。
それなのにいざ書き始めたら、豊の狡さを腹立たしく思う自分がいて、沓子に翻弄された感はありながらも、それを選んだのはやはり豊自身だったとい気持ちも残り、美しくて少し悲しい愛の物語だけではなくなっていました。

いずれにしても、人はいつかサヨナラをいう。
それだけは間違いないことのようです。

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