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【ジャノメのミシン】家庭科嫌いだった私が8人の子供の服を縫うようになった経緯

こんにちは。大家族フォーサイス家のマミーです。

ワタクシ先日、清水の舞台から飛び降りました。なんと、800ドル(日本円だと66,600円)のミシンを購入しました。メーカーは"JANOME"(ジャノメ)です。こっちの人は、”ジャノオウミ”って言っています。

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オーストラリアに移住してきてから私の三大hobbyというと
1) 英語の習得
2) ジャザサイズ
3) 着物リメイク

この三つを私はほとんど毎日実践しています。着物リメイクは3年前から始めたのですが、その時は隣町の大手のsewing shopに行ってシンプルな一番安いミシン(200ドルくらいだったかな?)を購入し、説明書を見ながら(英語力不足で使い方がよくわからず)直線縫いだけ出来たらいいかって感じで、3年間たくさんリメイクしました。しかし、最近返し縫い機能が使えなくなり、新しいミシンが欲しくなりました。

新しいミシンはジャノメが欲しい!と心から思いました。

私は広島にジャノメミシンを置いてきています。こちらに持って来るには大きいし重たいし、置いて来るしかありませんでした。そのミシンは私の母が買ってくれたものです。なんと母は、私が誕生した1960年にジャノメミシンのローンを組み、満期になった1984年まで一月500円を24年間払い続けてくれたのです。この最高級ミシンのプレゼントに当時の私(うら若き24歳)は、嬉しさよりもプレッシャーの方が大きかったことを覚えています。洋裁も和裁もプロの腕を持っている母の娘でありながら私は、残念ながら家庭科は大の苦手で、小中高の家庭科の課題でさえもまともにできなかった記憶があります。

1984年のある日、私の職場にジャノメミシンの販売スタッフの方がミシンを届けに来てくれて、二時間ほど丁寧に使い方の指導をしてくれました。そのとき、大きな裁ちばさみをジャノメからのサービスだと言って渡してくれました。

20万円もするミシンを買ってもらったからには、使いこなして恩返しをするしかないと考え、私のミシン人生はそれから始まりました。その日から渡豪するまでの3年間、枕カバーやパジャマを時間をかけて何枚か縫いました。

オーストラリアで一番最初に友達になってくれたレイシーの家に遊びに行ったとき、高校の家庭科教師のレイシーが「ほら、ジャノオウミよ」と自慢気に見せてくれたのは私とほぼ同じ型のジャノメミシンでした。それからは、レイシーの家で何度もミシンを使わせてもらいました。可愛い可愛い赤ちゃんだった伊織のために レイシーに手伝ってもらいながら、不思議な国のアリス風エプロンドレスや、赤ずきんちゃん風コートなど、縫い上げました。

1991年に日本に帰国してからは、子育てで忙しかったのですが、母に手伝ってもらいながらサンタクロースの衣装を縫ったり、子供たちの甚平、保育園や、学校で必要な小物、子供たちのダンスの発表会で着る衣装などを縫いました。一番たくさん縫ったのは、雑巾です。学期ごとに一人一枚、雑巾を学校に持って行く決まりがありましたから、それはたくさんの雑巾を縫いました。

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この度、ジャノメミシンを私の住んでいる街、ナンボーのお店で買ったのですが きっちり丁寧に2時間かけて使い方を教えてもらいました。嬉しかったのが、ジャノメからのサービスだと裁ちばさみを渡されたことです。ちょっと感動して、24歳だった時の思い出話をお店の人たちにペラペラしゃべってしまいました。

さて、新しいジャノメミシンでの最新作は何でしょうか?

可愛い可愛いお姉さんに成長した娘の伊織が、もう着ないからと私に送ってきた浴衣をリメイクして作ったパンツスーツ?!でございます。これを伊織への今年のクリスマスプレゼントにするつもりです。気に入ってくれたらいいのだけれど、、、、、、、、。

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