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「また、あしたね」と放り出す夜もわるくないと思うんだ

頭は疲れているのに、どうしても歩きたくなる夜が増えた。

動いていれば、気がまぎれるからなのか。

動いていれば、どこまでも行ける気がするからなのか。

動いていれば、口の中にできた口内炎の痛みも、誰かの言動に翻弄されて乾ききった気持ちを、ぜんぶ今日に置いていけそうな気がするからなのか。

日がまわりそうな時間に、じぶんの足音しか響かない道をとおって、

大きな道路に差しかかったら、車の数が少なくなったころを見計らって、

道路の真ん中で深く呼吸をして、

昼間は何千台ものの車でひしめきあっていただろう道をひとりじめする。

「なんかみじめだ」とおもう日もあれば、

「充実していたなぁ」とおもう日もあって、

やっとわかりかけそうな気がした「じぶん」という輪郭が、月のひかりに照らされてぼやけてしまう日もあった。

夜はずるい。

意味もなく誰かに連絡をとりたくなるし、

なにかにすがりたくなって、いろいろと昔のものを引き出してしまうし、

ここから抜け出したい衝動にかられて、あてもなく彷徨うすべを考えては、なんでもできるような気さえしてしまう。

これまで、いろんな夜に翻弄されてきたし、これからも夜にまどわされていくんだろうと覚悟するべきなのかもしれない。

だから、翌朝「連絡をとらなきゃよかった」と後悔するじぶんが目に浮かんだとしても、

なんでもできそうな気がしたのに、目が覚めたら臆病なじぶんに出会うとわかっていても、

ぜんぶ夜のせいにして、身をゆだねてみる。

たまりたまったしごとも、

モヤモヤして踏み出せないきもちも、

信号機が青から赤にかわる点滅のあいだ、「また、あしたね」って唱えて、もう二度とこないこの夜にすべてを放り出す。

そんな夜も、悪くないと思うんだ。

#夜に読む #心持ち #またあした #エッセイ #コラム

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