無頼の輩たち/有馬記念まであと1301日

ある土曜日の午後のことだった。

午前中のみの授業が終わると、生徒たちは突如活気づく。彼女たちは月曜の朝まで続く自由時間をどのように消化すべきかを、この瞬間から画策し始めるのだ。食堂へランチに向かう者、颯爽とグランドを走り始める者、意気揚々と外出する者と、まさに十人十色の様相で彼女たちは目まぐるしく動き始める。そんな中で、私は1人の生徒を探していた。

エアシャカールである。

ロジックを口癖に持つ超理論派として名を馳せる一方で、性格に難があり、友好的な立場にある生徒は数えるほどしかいない。だが、そのロジックに裏付けされたデータ解析力と収集力は、中央に在籍するほぼ全てのトレーナー達から信頼されており、どちらかというと、生徒間ではなくトレーナー達とのコミュニケーションが多いという、少し変わった生徒である。トレーナーはいるにはいるが、タイトルへの興味も示す事はなく、偶にレースに参加したかと思えば、その目的はデータの裏取りだというのだから、その徹底ぶりには恐れ入るばかりだった。
私は、エアシャカールの姿を求めてキョロキョロと栗東寮の食堂を見渡した。確かこんな土曜日のランチ時刻には、どこかのトレーナー達と会話しながら学食で食事をしている事が多いはず......と、私は思っていたのだったが、先程から彼女の姿は見つけられなかった。あてが外れたのだろうか。

「どーしたんだ、そんなところでキョロキョロしゃがって。もしかしてオレを探してんのか?っていうか、アンタと会う約束、してたっけ?」

私の真後ろから声がしたので振り返ると、アイブロウが強烈に目立つ生徒が1人、私を睨んでいた。エアシャカールである。
「いえ、会う予定はなかったけど、いるかなと思って。ランチでもどう?」
私はそう言ったのだが、シャカールは手の甲を私に向けてヒラヒラさせると、言った。
「実はファインに連れられて美浦寮に行っちまってね。ヒシアマ姐さんの新作ラーメンランチを食べてきたところなんだよ。悪りぃな」
「そうなの?それじゃ──」
「ドリンクなら付き合う」
「奢るわ」
「青汁な」
私たちはそんな会話をしながら、ドリンクカウンターに向かった。

「──美味い!やっぱコレだな!」

Mサイズの青汁ことロイヤルビタースムージーを一口啜って胃袋に流し込むと、エアシャカールはまるで残業明けのサラリーマンのような台詞を口にした。このロイヤルビタースムージーは非常に滋養効果が高く、疲労回復にも役立つドリンクなのではあるが、味のクセが強く、ほとんどの生徒たちからは敬遠されている。それを愛飲するエアシャカールは、学食の中でも目立った存在なのだが、その嗜好もまた、彼女のロジックなるものが成したものなのだと気づいた時、私は何故か彼女の事が好きになっていた。
「こないだの話なんだけど──」
「無理だね」
私の口から出た言葉を一行も聞き取らず、シャカールはドリンクカップを持ったまま顔の前でX印を作った。
「新入生の走行解析なんてただでさえデータが少ないんだ。それを、どこに目を向けて判断すべきなのか、っていう、とっかかりを探すところから始めなきゃならないんだ。昨日も言ってあるけど、とにかくデータ数がまだまだ足りないんだよ。それと日数もな」
そう言われるだろうと重々わかっていたとはいえ、シャカールの返事は私を落胆させた。
「じゃあ、その結果を早めるにはどんなデータが必要なのかしら?」
食い下がる私に、シャカールは怪訝な表情を見せ、顔を私の方へと突き出し、声をひそめて言った。

「ハルウララに一体何の秘密があるってんだ?」

私はシャカールが詰めた距離が更に狭まるように顔を寄せ、耳元で囁いた。
「まずはそれを探るのよ」
シャカールは露骨に嫌な顔をしてみせた。スムージーの残りを飲み干して、口の端を手の甲で拭いながら、彼女は観念したように言った。
「わかったわかった......でもな、時間はかかるぞ。データも今の倍は欲しい。データは多ければ多い程助かりはするが、あんまり重複されても困る。今のところはパターンの数を重視して集めてくれ」
「わかった。他に欲しいものは?」
「毎晩11時に缶の青汁を出前してくれ。それが条件だ」
「交渉成立ってことね」
「それとだな」シャカールは半身を乗り出して言った「ハルウララの情報はアンタとオレだけで共有する。間違ってでもタキオンに声なんかかけてみろ。今後一切、アンタの依頼は受けないからな」
それは意外な一言だったが、私を喜ばせた。この条件が出るという事は、エアシャカール自身もまた、ハルウララに興味があるという証拠なのだ。
私は頷き、シャカールを残して食堂を後にした。

今日のウララは何をしているのだろう。トレーニングでグランドに出ているのか、それとも部屋でのんびりしているのか。友達とカラオケや買い物などもするかもしれない。地方から来た事を考えると、東京見物として遠出する可能性もある。何しろ今日は土曜で、明日は日曜なのだ。誰だって何かをやってみたくなる、そんな36時間である。

「まずは下駄箱、か」

私はとりあえず、中等部学生用の昇降口まで行ってみる事にした。ウララの使用してる下駄箱に、上履きがあればウララは帰ったことになり、外履きがあればまだ校内にいることになる。学生相手の人探しは、いつの時代になっても、まずはここから始めるに限るのだ。

「ハルウララ──もう校内にはいねぇな」
「じゃあ寮か?栗東だったか?」

私が階段を降り、中等部の生徒が使用する下駄箱の正面まで来た時のことだった。丁度ウララの下駄箱があるあたりに、数人の生徒の姿を見つけ、私は少し驚いた。私と同じ事を考えた者が他にもいたという奇遇あるが、驚いたのは彼女たちの風貌である。髪は奇抜に染められ、制服は着崩している。いわゆる不良と呼ばれるファッションセンスの持ち主達で、そんな彼女達がウララの知り合いであるようには到底思えなかった。

「どうする。寮で張るか」
「こんな時間だ。帰ったとは思えないけどな。一応寮に1人張ってろ。他はグランドを探しな。ディープ、お前はアタシと来るんだ」

そんな台詞を残しながら、彼女たちは外へ向かって行った。横一例に並んで歩く彼女達に、何人かの生徒が慌てて道を開ける。歩き方も嫌われ方も、まさに無頼といった感じだ。

あんな連中がウララに用があるというのか。

彼女達の背後に何か黒いものを感じた私は、別方向の出入り口に走り、外へと急いだ。

私は目立たぬように、それでも急ぎ足で歩いた。視線の先には、さっきの連中がいる。よく見ていると、数分置きに1人離れ、数分置きに1人が帰ってくる。彼女達はそうしてウララを探しているようだった。

そうして15分、20分も経過しただろうか。彼女達の中の1人が同じように帰ってきた後、彼女達の歩くスピードが明確に上がった。理由は言わずもがな、ウララの所在を掴んだからに違いなかった。私もまた、足を早めようとした。

その時である。

「──オラァ!」

突然、私の背中に強い衝撃と痛みが走り、私は地面に転がされた。何事か、と振り返ろうとした時、私の背中に靴が3つ、乗っていた。そして3人分の視線が、嘲るように私を見下ろしていた。私は後ろから蹴り飛ばされたのだった。

「アンタ、ちょっと邪魔になりそうなタイプだな」3人の中の誰かが言った。「少しの間、ここで大人しくしておいてもらおうか」
3人分の力が、私を地面に押し付ける。かろうじて見える風貌からしても、あの無頼達の仲間だという事は間違いなかった。
「ちょっと、何するの!ウララに何の用!?」
私は地面から叫んだが、彼女達はただ笑っているばかりだった。
「アンタもそうなんだろうけど、ウチらもあのハルウララに用があるってだけの話だよ。もっとも、ウチらの中でも用があるのは1人だけなんだけどな」
私は考えた。彼女達はここでこうして、私を足止めするつもりなのだろう。つまり、ウララと連中は遭遇しつつあり、その距離も、私とそうは離れてはいないという事。そうに違いなかった。

ここから、見えるだろうか。

地面に押し付けられた身体をよじらせて、私はなんとか、ウララの姿を視界の中に探そうとした。

目の前に何かが飛んできた。
白っぽい、紙の束。
違う。本だ。破られて半分になった本だった。

そしてその後、ウララの悲鳴が聞こえてきた。

地面で頬を擦りながら、無理矢理首を捻ってその方向へ目を向けると、とあるベンチの前に無頼の連中の姿が見え、その中央に、一際背の低い生徒が1人、囲まれて泣いていた。
近い。その距離十数メートルといったところだろうか。

「な......何するの!何でそんな事するの!何で!なんで!なんでぇ!」

ウララだった。おそらくそのベンチに座って読んでいた本を、連中に破り捨てられたのだろう。無頼達の中央で、ウララは火が付いたように泣き喚いた。投げ捨てられた本へと懸命に腕を伸ばそうとするが、その腕を掴まれ届くわけもなく、なおもその手を取り巻きが蹴りつけていた。
「うわあぁあ!」
叫ぶウララの拳が無頼の胸を何度も叩く。しかし、まるで万力にでも支えられているかのように、ウララの体は離れる事はなかった。

「こんな目に遭うのはてめぇのせいだろ、え?奨学生」

取り巻きの1人がウララに詰め寄り、耳元に口を寄せてそう言った。
「お前みたいなのが特別奨学生なんかに納まったおかげで、ココに来られなかったウマ娘がいるんだよ。アタシのダチは...ルーラーシップは、ここに入れなかったんだ!ルーラーシップはお前なんかよりずっとずっと強いんだ!速いんだ!お前なんかとは違うんだ!なのに、何でお前がここにいるんだ!」
目に涙まで浮かべてそう怒鳴るその取り巻きに髪と胸ぐらを掴まれて、ウララの泣き声は一瞬止まった。
「わ......わたしは......合格通知が、届いたんだもん......試験はダメだと思ってたから、諦めてたけど......ルドルフさんに来ていいって、言われたんだもん!嘘じゃない!」
声を震わせながら、そう言うウララだったが、その言葉は相手をさらに苛立たせただけのようだった。
「嘘に決まってる!金でも積んだんだろ、卑怯者!」
「嘘じゃないもん!痛いよ!離してよ!」
その声はまるでサイレンのように周囲に響いたが、誰かが近寄ってくる気配はなかった。何しろ所謂「札付き」と呼ばれている不良生徒が揃っているのだ。わざわざ関わろうとする者もいないのだろう。
背中の重みに耐えながら、私は地べたの上で首をなんとか曲げ、視界の中に助けになりそうな存在を探そうとした。

その時、破り捨てられた本が風に舞った。
偶然開いた目次とおぼしきページの文字を読んだ時、私の躰の中枢を電流が走り抜けた。

現代ウマ娘走法概論/著 レヴューオーダー

曾々祖母の書いた本だった。

カバーは無く、表紙の代わりなのか、ボロボロになった厚紙がセロテープで貼り付けてあった。小口は擦り切れ、よれたページが本を不恰好に厚く見せていた。そしてそれが今、半分に切り裂かれ、地面に身を投げている。

「そんなにやめて欲しけりゃなあ」
そのうちの1人、ウララの腕を掴んでいた無頼が、ウララの腕をさらに高く捻り上げた。
「2000mでこのアタシと勝負しろよ。お前が負けたら、ココから出て行け!お前なんか辞めさせてやる!」
無頼は野獣のように吠えた。
「やめて!痛い!いたぁい!やめてよ!」
ウララの弱々しい声は、無頼の力に緩ませるどころか、さらに怒りを誘ったようだ。体格差がありすぎて、ウララの爪先が地面から今にも離れそうだった。

その時、私の中で何かが弾けた。

私は、地面を掴むようにして両腕をを体の下で広げると、全身の力を両腕に込めて、一気に体を跳ね上げた。うお、と間抜けな声を上げながら、私の背中に乗っていた取り巻き達がバランスを崩して地面に転がった。

「やめろ!」

気づけば私叫んでいた。心臓が跳ね上がり、全身の血管の中を、激しい怒りが濁流のようにかけめぐった。
無頼はこちらに顔を向けたが、拍子抜けだと言わんばかりにヘラヘラと笑っていた。その横っ面をぶん殴りたいと、心の底からそう思った。
「その勝負、私が受ける」
私の声を聞いた無頼は、ヘラヘラ顔のままとりまきたちと顔を見合わせると、今度は奥歯が覗いて見えるほど大笑いした。取り巻きたちも笑っていた。
「引退したロートルが何言ってんだ」
「トレーナーさんの出る幕じゃねーんだよ」
取り巻きの誰かが私を睨みつけるとそう凄んだ。全員の視線が私の体を貫き、その場に釘付けにした。
「2000mのタイムアタック勝負でどう?5秒遅れて私がスタートする」
「粋だね、お姉さん」私の提案に無頼がヒョウ、と口笛を吹いた。「でもアタシの趣味じゃないねぇ」
無頼はウララを解放すると、上着を脱いだ。意外な程鍛え上げられた上腕がtシャツの袖をはち切れんばかりに押し上げていた。そしてその腕を私の前に振りかざすと、中指を突き上げてこう言った。
「アンタがアタシとやるならデスマッチだ。それ以外受けねぇ」
「デスマッチですって?」
私は泣きながら本に走り寄るウララを目で追った。痛めつけられはしたものの、怪我はしていないようだった。そのことにだけは安堵したが、私は怒りを収めるつもりはなかった。
無頼は言った。
見たような顔ではあったが、名前が出てこなかった。
「距離は決めない。ゴールはない。相手がくたばった時に前にいたヤツの勝ち、それが基本ルールだ」
私が頷いたので、無頼は続けた。
「後ろにいるヤツが20秒間追い抜けなかった時点でそいつの負け。スタートから200mは加速ゾーンとして追い越し禁止」
「それだけ?」
今度は無頼が頷いた。私を見下すように上がった顎が、自信を表していた。

なるほど、と言う代わりに私はもう一度頷いてみせた。

「芝でいいな」

無頼が顎をしゃくってから運動場へと歩き始めたので、私はその後を歩いた。私の背後に取り巻きが回り込み、何やら暴言のようなものを私に言い浴びせ始めたが、私は気にしない事にした。

「アンタが負けたらトレーナーバッジを返上してもらうからな」
一応のスタートラインが決まると、アップのつもりなのか、その場で小さくジャンプを繰り返しながら、無頼は不敵な微笑みを浮かべた。よほど自信があるのだろう。私は上着を脱ぎ、上半身を軽くストレッチしながら改めて相手となる無頼を見た。
体躯は私を1回りも上回るだろうか。驚かされるのはその筋肉量だ。腕周り、腿周りともにはち切れそうな程の筋肉が覗き見えた。体重の不利をパワーでフォローするスタイルなのだろう。そしてそのスタイルを貫ぬく事が出来る程度には、レーサーとしての下地、心構えが出来上がっていると見て良さそうだ。ウララに2000mの勝負を挑んでいたのを思い出してみても、スタミナとパワーには特別自信があるのだろう。
「さあ、やろうぜ」
無頼は私に向かって拳を突き出すとそう言った。先行か後追いかを決めるジャンケンでもしようというつもりなのだろう。
チョキとパー。
勝ったのは無頼である。
「先行はもらったぜ」
無頼の声に、取り巻きたちが色めき立つ。
「勝ち確だろ!逃げんなら今のうちだぜ!」
そんな声が聞こえてきた。先行を選べば負けた事は無い、という事なのだろうか。なおも囃し立てる外野の声を私は無視した。

「オルフェーヴル」

私はその時になって、ようやく思い出した無頼の名前を口にした。
「オルフェーブルが走りで勝負するとはね」
オルフェーブルはニヤリと笑った。ポケットから小さな髪留めを取り出し、金色に染めた髪を纏めていた。
「そうだ。それがアタシの名前だ。覚えておきな」
彼女はそう言ってからぐいと腰を落とすと、後脚を大きく引いた。スタートの爆発力と、その後のパワーを活かしたコース取りに自信のあるウマ娘が見せる、独特の構えだった。
私もまたその場で構えた。ストライドはとらず、半身に構えて背を丸め、腰を落とし、前に出した脚を少し引いた。上半身は脇を締め、構えはするが拳は作らない。そして両腕はできる限りリラックスさせて脱力を心掛けた。現役の頃から続けている私のスターティングポジションだ。
「なんだその構え?ボクシング?いや、ムエタイか?」
無頼が、不審物でも見るような目つきを私に向けてきた。

「私も名乗っておいた方がいいのかしら」

私はそう言ってみたのだが、オルフェーブルはもう私の方を見ることもなく、両脚に力を込めていた。
「アタシより弱い奴の名前なんか──」
オルフェーブルの顔が正面を向いた。コースを捕らえたのだろう。
「──興味ねぇんだよ!」
オルフェーブルがスタートを切った。蹴った芝がごっそり抉れていた。

1秒。
2秒。
3秒。
4秒。

たっぷり5秒数え、私はスタートした。

多分、オルフェーヴルは知らないのだろう。
彼女がデスマッチと呼ぶこの競争すたは、相手との実力差がない場合、先行が圧倒的に不利である事を。先行で負け無しという記録は、格下ばかりを相手にしていたからに違いない。
それともう一つ。
このデスマッチルールは、私が学生時代に考案し、当時の生徒会に禁止されるまで流行した特訓メニュー「殺人ダッシュ無限地獄」のルールを、そのまま採用しているという事を。

加速ゾーンの終了間際、既に手を伸ばせば届く距離にオルフェーヴルはいた。

さあ、お勉強の時間だよ。

私は、知り得る限りの、なし得る限りの「地獄」を、オルフェーブルの体に刻み込んだ。

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