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北京西駅のホームレスと公の精神

北京西駅の変化

動画自体がけっこう長いのだが、内容を要約するとこうだ。
北京の一大ターミナル駅である北京西駅が、地方から来た人たちや、家賃が払えず家を追い出されたホームレスたちの「家」と化しているというのだ。

北京西駅といえば、京広線という日本で言えば東海道本線や東北本線のような鉄道の大動脈のターミナル駅で、武漢や広州、西安など中国南部や西部へ向かう高速鉄道列車はもちろん、香港やベトナムのハノイ行きの国際列車も発着する。
日本なら新宿駅や昔の上野駅に相当するが、駅のコンコースが浮浪者で溢れたら読者ならどう感じるだろうか。

なぜ駅に集まるのか。それは生活する上の「インフラ」が整っているからである。
北京は夏は暑く、冬は凍えるほどの寒さである。が、駅の中は冷暖房が完備され、トイレも公共のものながら備わっている。しかも、旅客のためのお湯も完備されている。
「住人」いわく、下手な北京のアパートより快適であると。

人民に見る「公」

この動画の中に、中国人の「公」に対する感覚を示す一幕がある。

Youtubeの動画より

「ははー!駅に住んでりゃトイレットペーパー使いたい放題!」
「水も使いたい放題だから身体も洗えるのよ!」

とホームレスは自慢気に語っているが、日本人の感覚では公衆トイレの紙や水道は公のものであって、そんな無闇矢鱈と使うものではないと思うだろう。

そう思うのが、日本人に「公」があるという証拠である。

しかし、100%の「私」しかなく「公」の精神が全く欠如している彼らにとっては、水やトイレットペーパーがタダで使える、ラッキーくらいにしか思わない。
もちろん、公衆トイレの紙が北京市民の税金で賄われている…という想像もできるわけがない。目先の利益にしか飛びつかない彼らにとって、「公」など自分らの飯の種にもなりやしない。

中国人の公の精神の欠如は、昔から指摘されている。


中国の偉大な革命家…とされる孫文が好んで揮毫した言葉に、

「天下為公」(天下は公の為にある)

という言葉がある。
日本人には、この言葉を持ち出して中国には公の精神で溢れていると寝ぼけたことを言う輩が少なからずいるが、それは中国の現実を見る気もない、「ぼくがかんがえるすばらしいちゅうごく」の妄想に取り憑かれた「チャイナルファンタジー症候群(略称:CFS)」患者である。

これはむしろ、「中国世界には公がありません」と公言しているのと同じこと。中国社会が「公」に溢れた世界であれば、いちいちこんなことを書く必要がない。

中国・中国人論の古典に、アーサー・H・スミスが書いた『中国人の性格』という本がある。
魯迅がこの本の内容に一目惚れし、終生絶賛し続けた本で、明治から昭和初期の日本の知識人にも幅広く読まれた書である。

そんな白眉中の白眉には、こんなことが書かれている。

そう、中国人の「公」のなさは100年以上前から指摘されていたのである。

120年前のこの記述と北京西駅のホームレスの行為を比べてみよう。何も変わっていないことがわかるはずだ。


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