認知の歪みを矯正して、今より少しでも楽に生きるためのファーストステップ

「私にはこれしかないから」

「この人には私がいないと駄目だから」

「これをしなければ私でなくなってしまうから」


このような言葉を使って
自分自身を特定の対象に縛り付けないように

それが認知の歪みの原因となる


認知の歪みを矯正するのに有効な手段は
『自分の考えとは違うと感じる意見に対して
 一旦立ち止まって、注意深く耳を傾けてみる』


最初は
相手の言葉の裏に隠された意味を考えたり
発言者の意図を汲み取ろうとしたりしなくて大丈夫

相手の方が正しくて
自分の方が間違ってるかもしれない
という可能性についても、一旦無視して大丈夫


まずは耳に入ってきた音をそのまま受け止めて

そこで感じた言葉の意味が
スッと自分の心に入ってこなければ

それは自分の考えとは方向性の違う意見かもしれない


最終的にその意見が正しくても、間違っていても
自分の考えと方向性が同じでも、異なっていても
どちらでも構わない

どちらであるかということは
全く重要なことではない

大切なのは
【自分の認知の歪みを矯正する】
ということなので

そのために
自分の考えとは異なる意見を
利用させてもらうのである


では、もし自分の認知が歪んでいるかどうか
そもそも分からないよ、という場合には
どうすれば良いのか


答えは簡単で
いつだって自分の認知は歪んでいるかも知れない
と、常に自分の考えを疑ってみることである


ネット上でも実社会でも
他者に対して『想像力を働かせること』を
強く求められる昨今だが

それと同程度か、あるいはそれ以上に
自分の認知が歪んでいるかも知れない
ということに対して『想像力を働かせること』も
大事なことなのではないだろうか


つまり

『私の認知が歪んでいるはずがない
(と過信している)ので
 他者の意見を頭ごなしに排除する』

のではなく

『あなたも私も、誰でも皆
 たった今のこの瞬間にも
 認知が歪んでいるかもしれない』

ということを心の隅に置いて

その歪みが酷くなって
他の誰かや自分の大切なものを
あまつさえ自分自身をも
ボロボロにしてしまう前に

他者の考えを通して
自分の認知の歪みに気付くのだ


認知の歪みを矯正するという行為は
ヒトが考える力を持っている限り
これで完了ということは決してないだろう

簡単なことではないし、それを一生続ける・・・
となると、かなりシンドいことなので
してもしなくても、どちらでも良いと思うが
例えばそれを肉体のことに置き換えて考えてみる


もし私に、骨格の歪みが原因で
万年慢性的に身体の不調に
悩まされている友人がいたとしよう

その人が少しでもその辛さを減らして
今よりも楽に生きたいと心から願うのであれば

私は何よりもまず
彼や彼女に良い施術師の先生がいる
整体院を紹介してあげたいと思う


バランス良く並んだ骨格に支えられていなければ
身体をスムーズに動かせないのと同じように

思考の骨格となる認知が
周りの人達に比べて著しくズレていれば

コミュニティの中において、自身や他者を
幸福にするための思考に至ることが難しくなるからだ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?