傘をさしあう ―「サシ飲みと贖罪」後日談―
突然の電話で、第一声、恩師が言った。
「来年度から、うちの制服が男女兼用に変わることになったよ」
「ぐょゑ!?」
今世紀最高の報告を、今世紀最高に解読不可能な返事で迎え撃ってしまった。ごめん先生。
◆
うちの中学校の制服を変えようとしてるんだ、という話を聞いたのは、今年の3月末のことだ。1年半ぶりに再会した先生は、僕が全く知らないうちに10年前の僕への「贖罪」を果たすべく制服変更に奔走していて、その日も大変そうな充実していそうな、そんな顔でノンアルコールビールを煽った。
その続報があの電話だ。こんなに早く知らせが来たことに驚きすぎて、自分でも聞いたことのない言葉が口をついて出た。僕だって「おぉ~!」って言いたかったわ。
せっかくの機会だったから、僕からも近況報告をした。大学院の文化にようやく慣れてきたこと、自分で作るご飯が意外と美味しいこと、研究が徐々に動き出したこと。そして修士論文の構想を話したら、先生がこう言った。
「そうかぁ、なるほどね。その研究、いつか必要なくなってほしいな」
おや、と思った。確かにこれは将来無駄になるべき研究だけれど、いつもはもっと威勢よく応援してくれるじゃない。ネガティブなことを言う前には、いつも律儀に一言褒めてくれるじゃない。
らしくないなぁ、と思いながら会話を続ける。すると、僕から何を問うたわけでもないのに、先生がポロッとぼやいた。
「なんか、色々上手くいかなくて。子どもらのために、何とかしなきゃいけないのにさ」
あら。やっぱり様子がおかしい。
「先生『歩くポジティブ』なのに、そんな風に思うことあるんだ」
僕の冗談に、先生は「そりゃあるさぁ! 教員だって普通の人間ですよ」と答えた。
「まあさ、でもさ、何とかなるって。先生の口癖だったでしょ」
今度は真剣にそう言ったら、さっきまで豪速球同士だったはずのキャッチボールが止まった。手持ちの球を投げ続ける。
「僕に『何とかなる』って言ってくれたのは先生じゃない。だからせめて先生にだけは『何とかなる』って思っててほしいよ、勝手なわがままだけど。自分自身よりも信頼できる大人が『何とかなる』って言ってくれるのって、中学生には本当に救いだったよ」
◆
僕と先生はずっと、この扉絵で言うところの、手が先生で女の子が僕、という関係を保ってきた。10年前からずっとだ。
中学時代の僕は、今よりもかなり「自分はやればできる子!」という感覚が弱かった。それなのに学校では優等生キャラが定着していて、先生や友達から降り注がれる期待にいつも潰れていた。唯一弱音を吐けるのは、担任に提出する予定帳の日記欄。中1〜2の担任だった恩師は、3日に1回は筆圧の強い真っ赤な字で僕にこう言い聞かせた。
「何とかなるって!」
何の根拠もない時もあったけれど、この一言に救われて、3年間をどうにか過ごした。それ以降の何年間かも、どうしようもなくなる度に予定帳を開いて、数々の「何とかなる」に避難した。だって自分が自分へそう言ってくれなかったから。あの赤を頼らずとも、きちんと自分で「まあ何とかなるか」と思えるようになったのは、いつからだったっけ。
僕にとっての先生は、そういうカラッカラの赤い傘をさしてくれる相手だったから、彼の口から湿っぽいセリフを聞く日が来るとは夢にも思わなかった。
ね、だから先生は大丈夫だって。不安だったら僕の予定帳貸してあげよっか。2年分で7冊で、3日に1回ペースなら、何回「何とかなる」って出てくるんだろうね、数えたことないな。
間を埋めようとふざけ続けていたら、先生が呆れたように笑った。
「10年前の俺、若すぎか! 青いな~、飛んで行って『無責任なこと言うな!』って頭ひっぱたいてやりたいな」
「救われてたから、ひっぱたかないで」
僕の返答に、先生は「そっか~、そっか~」と独り言を繰り返す。邪魔しないように静かに聞いていたら、しばらくして先生の中で整理がついたようだった。
「なんか、初心に帰ったわ、今」
ありがと、と短く返ってきた。加えて「真琴に『何とかなる』って言われる日が来るとはな」とも。
「10年経てば、教え子だって成長するわけよ」
「成長したな」
「エモかったよね、今のこのやりとり」
「エモかった。『何とかなる』が時空超えてた」
「ギラティナじゃん」
10歳上の世代に伝わるんだか伝わらないんだか、ちょっと微妙な(でも僕が大層気に入っている)ボケを放りながら、やっとひとつ恩返しができたと思った。あの当時の感謝を言語化できるまでに、傘を差し出す側になれるまでに、10年かかった。とても長かった。でも逆に言えば、先生はまだ22歳の僕の傘に入ってもいいと思ってくれたわけだ。それがたった10年で済んだのなら、確かに若干時空は超えていたのかもしれない。
さらにこの後「実は、俺の授業に協力してほしいんだけど」と、新たに傘を差し出せることになった話は、また別の機会に。
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