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生きづらさの酔いから醒める

 親友がうつ病になった。

 僕はとても心配している。

 生きづらさの根源は自分じゃどうしようもないずっと遠くにあると気づいた彼女が、それと穏やかに折り合いをつけて生きることではなくて、積極的に悲劇のヒロインとして生きることを選んでしまわないか、とても心配している。

 僕の周囲にはなぜか、そうやって自分の首を絞めたがる人が多い気がして。



 僕はわりと、お酒に耐性のある先輩たちに育てられたと思う。強くて酔わないのではなく、弱いのに延々と飲むタイプの先輩たち。そして僕はレンガ色の顔が並んだテーブルの末端で「すみません人数分お冷ください」「ねぇマジでこの後歩いて帰るの分かってます?」「はいお水の配給です」と文字通り水を差して、時々感謝されたり時々うっとうしがられたりするタイプの後輩だった。

 お察しの通り、僕はノリ良く飲んだり酔ったりしない人間だ。しないというか、したくないというか、できないというか。飲める方だけれど、お酒に酔うことが快じゃないから。でも楽しそうに笑う先輩たちを見ると、お酒って本当に気持ちいいものなんだろうなぁとも思う。お冷を受け取ってくれなかった先輩はだいたい翌日大学にいないか、昼間から部室でうめいていたけれど。

 この構図、生きづらさと一緒な気がする。

 生きづらさって、お酒だと思う。快も不快ももたらす。酔うことも溺れることもある。酔っている間は基本気持ちいいし、一線を越えれば具合が悪くなって、溺れるとじわじわ死んでいく。シラフの人間が付き合っていられるのは、せいぜいほろ酔いの間だけだ。しばらくなら話も聴けるし、何度かなら水を渡してあげられるけれど、酔いが深まると付き合いきれなくなって、最後はそこに置いて帰るしかない。

 僕はよく先輩たちを置いて帰った。長居すると終電がなくなるし、翌日の授業に差し障るから。その会がどんなに楽しくて帰りたくなくても、その場にいる先輩たちをどんなに好いていても、明日の自分のことも同じくらい大事だった。だからほどほどのタイミングで、雰囲気を壊さずさらっと帰る。僕はそれが結構上手い方だった。

 生きづらそうな友達を置いて帰ったことも、この短い人生の中で何度かある。素人に介抱できないほど酔われたら、しかも本人が気持ちよさそうだったら、どんなに苦しい顔を見せられたって僕にやれることはもうない。僕があなたのこころを大事にしたのと同じように、僕は自分のこころも大事にしたいのだ。僕以外の誰かか信頼できるプロのもとで幸せになれよと、雰囲気を壊さずさらっと帰る。だって僕はあなたの友達だし、あなたも僕の友達であって、支援者と被支援者ではないから。ただわがままを言ってもいいなら、僕にやれる精一杯を超えるほどあなたに寄り添った、それだけ感じてくれていたら嬉しい。

 親友のことは置いて帰りたくない。どうか彼女が酔いすぎてしまいませんように。酔ってもまたすぐ醒めますように。

 置いて帰った友達、ごめんな。頼ってくれてありがとう。でもあなたが飲むお酒に、お酒に飲まれるあなたに、酔うのが嫌いな僕はこころを壊されると思った。今あなたがもうその店を出て、自力で歩いて帰れていることを祈る。

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