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シス・カンパニー公演『友達』の雑感

加藤拓也演出・上演台本によるシス・カンパニー公演『友達』を上演と配信の両方で観た。
原作は安部公房。不条理で不可思議な世界だった。
観劇後、このザラザラした思いを忘れたくないと思い、まとまらない文章を残しておくこととする(ネタバレあり)

あらすじ
ある日ひとりの男(鈴木浩介)の家に突然やってきた「9人家族」。
祖母(浅野和之)、父母(山崎一・キムラ緑子)、3人兄弟(林遣都・岩男海史・大窪人衛)、3人姉妹(富山えり子・有村架純・伊原六花)達は、あっという間に男の家を占拠して同居し始めてしまう。
男は管理人(鷲尾真知子)や警察官(長友郁真・手塚祐介)、婚約者(西尾まり)、弁護士(内藤裕志)に助けを求めるが、誰からも理解されず助けてもらえない。
そんな状況の中で暮らし続けていく男。そのうち男に変化が訪れるが……。

Twitterの相互さんが教えてくれたWikipediaの説明。劇の内容を理解するのに助かった。

本作ではいくつもの不条理が繰り返される
大体、見知らぬ家族が集団で不法侵入してきて居座るなんて考えられない、と最初は思う。もちろん『男』もその理不尽に驚き抗うのだが、相手のおかしな説明を撥ね付けられないうちに、ずるずるとペースにはまっていく。

家族の説明でおかしな所はいくつもある。というか、おかしな説明しかない。
”お父さん” は「こんなに他人がいる中で友達になったんだ。」と、恩着せがましく『男』に言う。けれど『男』は全然嬉しくない。そりゃそうだろう。
でも、これだけ堂々と『彼らの主張』や『彼らの善意』を押し付けられてくると頭がバグってくる。

そもそも他人と友達ってどう違うのだろうか?
私が友人に示してきた親愛の情は、この家族がしていることと同じではなかった? 大丈夫だった?と心配になってくる。

世間と家族との対比も気になってくる。
どんな家族も世間の中で世間のルールの中で生きているが、あの家族は違う。あの家の中で、あの家族のルールの中で生きている。世間の常識は及ばない。
あの家族の主張は何から何までおかしい。でも、もしかしたらそれも一つの世間なのかもしれない。
少なくともそこで暮らす『男』にとっては。

家族は『男』の家に住み、『男』の金で生活し、『男』が家事をすることで生活する。すべてを決めるのは家族が頻繁に行う『多数決』であり、家族の動機は『男への親切心や善意』である。

”お父さん” は「同意(多数決の結果)に従わないと正義を発動させないとならない。」「暴力を予防するには暴力をふるっても仕方がない。」と言う。
一見ものすごく正論である。しかしその多数決は『男』の意志とは反対に働く。だから少数派の男の意思は全く考慮されない。
ここまで来ると多数決の結果って何だろう? 正義って何だろう?と思う。
私の価値観がおかしいのかもしれないと思い始めた。

ロープが世間との繋がりを意味しているとすると、最初からロープ無しで登場する『男』とは何なのだろう。『男』は世間と繋がっていない=孤独 な存在だったからロープが無かったのか?
この家族はロープの無い人間を狙ってその家を訪れているのか?
それとも、大多数の人間は『男』のようにロープ無しで生きているのか?
侵入してきた家族がロープ(世間との繋がり)から切れているのは分かるが、なぜ『男』は管理人さんのようにロープで繋がっていなかったのだろう?

かと思えば、見知らぬ家族と2か月一緒に暮らしているという弁護士にはロープが繋がっている。
こうやってロープで繋がっていることが素晴らしいという弁護士のロープは本当はどこに繋がっているのだろうか。

この舞台の中では一見普通に見える ”次女”。
最初に『男』が家族から暴力をふるわれて倒れた後、家族はその横で鍋を囲んで楽しく食事しているが、”次女”は一人で泣いていた。しかし、彼女は『男』の不幸を気の毒に思って泣いていたわけではないように思う。もしかしたら、ただ暴力が怖くて泣いていたのかもしれない。
その後も一見『男』に親切に振舞うが、『男』に対して朗らかに家族への抵抗は無駄だと語る彼女の感覚は普通ではない。
いや、私の思う『普通』が既に何なのかわからなくなってきた。
『普通』の定義とは何だろう。

『男』が侵入者の家族の言い分に抗えなくなっていく様子は、他人事とは思えない。
すでに私もこの劇を観ているだけで何が正しいのかわからなくなってきている。

世間(この劇での家族)の言う真実(多数決で決まったこと)にどんどん染まっていく『男』。私も観ているうちに『男』と同じように感じ始めてくる。

あれ、この人たちの関係って何なのか?
そもそも家族って何なんだろう
こうやって『男』と ”次女” が仲良く一緒に洗濯物を畳んでいるのを見ると、もはや『男』も家族の一員なのではと錯覚してしまう。すっかり家族に馴染んでいるし、家族が言っていたように『男』が孤独でなくなって良かった、とすら思う。

でも、彼ら家族にとって『男』は家族でなかった。あくまでも、家族の外にいる "友達” だった。だからこそ、『男』の心に残る決意を知り、あの結末になったのだろう。
もちろんその結末に至った動機も ”次女” の家族や『男』への親愛の情、正義からだろう。それは彼女の考える正義と親愛の情である。
わからないけど、わかるかもしれない。

観終わった後、自分がぐらぐら揺れていると思った。そもそも、正義や家族、友達の意味、自分の価値観なんて決まっているものではないと感じた。
色々な物事も見方を変えれば簡単に変わってしまうものなのかもしれない。だからこそ、どう生きればいいのか。
今はよく分からない。

上手く言えないがこの舞台『友達』は私の心の奥底をひっかき回してくれるような作品だった。私は上の問いをこの先も考えるだろう。
そして、この劇をずっと忘れないだろう。 

『男』を演じた鈴木浩介さん、次女の有村架純さんが素晴らしかった。この両極端な結末を担う二人がそれぞれ “普通” に見えることで私の中に作品が深く残りました。やっぱり「面白かった」と言うべきなのかな。わからない。でも、とても心に刺さったことは確かです。
ありがとうございました。



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