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なぜ年収を上げるための勉強には限界があるのか?

最近、趣味を聞かれる機会がたて続けにあったのですが、「強いて言うなら、飼っているカナヘビとトカゲの世話かな。あとは一人で飲みに行くことくらい」としか答えられませんでした。読書も映画鑑賞もしますが、趣味といえるほどでもありません。パチンコも半年ほどやっていません。

要は、毎日のめり込めるほど情熱を注げるものがないのです。歳を重ねるにつれて、物事への興味・関心が薄れていることを実感しています。
つまらない日常、つまらない人間だと個人的に思いますが、こうした姿勢はビジネスパーソンとしても致命的なようです。
というのも、先月発売されて好評を得ている新刊『替えがきかない人材になるための専門性の身につけ方』に、専門性を身につけるための学びには、「好き」という内発的な動機づけが重要だと記されているからです。
趣味と同様に、仕事においても、私は日々の作業に忙殺されていることもあり、興味関心を注いで勉強しようと思うほどのテーマが見つかっていません。

おかげさまで3刷が決定しました。

一方、稼ぐこと、おカネのための学びはどうなのか――?
一昔前、「年収が10倍になる――」という冠のついたビジネス書が流行しましたし、私も似たようなタイトルの本をつくったことがあります。しかし、年収が上がることを目的にした学び方というのは限界があるというのです。
どういうことでしょうか?
該当箇所を本記事用に一部抜粋、改編して掲載します。
先週の記事では、「専門性が身につかないパターン1」をお伝えしましたが、今回はそのパターン2になります。


年収をアップさせるために勉強する 
*専門性が身につかないパターン2

 専門性がなかなか身につかない二つめのパターンは、お金を目的に勉強するビジネスパーソンです。
 お金を目的にすると、それ以外のことはすべて手段になりますので、手段としての勉強がお金を稼ぐことに寄与する時期もあると思いますが、専門性を身につけてそれをブラッシュアップしていくという観点では、お金をモチベーションにした勉強はいずれどこかで限界が訪れることになります。
 この点について、一橋大学教授の楠木建さんは『「好き嫌い」と才能』(二〇一六)のなかで、「好きこそものの上手なれ」が、最強の原理原則だと主張しています。「余人をもって代えがたい」ほどそのことに優れているのは、それに向かって絶え間なく努力を投入し、試行錯誤を重ねてきたからにほかなりません。高水準の努力を持続するためには、インセンティブ(何か良いこと)が必要になりますが、「外在的に設定された報酬」は遅かれ早かれ終わりがくることになり、その効果は時間とともに低減していき、自分の状況に満足してしまったり、ネガティブな状況に陥ってインセンティブが効かなくなると、努力する目的や意義を喪失し、努力を停止してしまうところに問題があると指摘します。
 そこで、インセンティブに頼らずに努力しつづけるためには、「努力の娯楽化」「無努力主義」(エフォートレス)、すなわち「本人がそれを努力だとは思っていない」「むしろ楽しんでいる」という状態にもっていくのが一番だと結論づけています。
〈自分が好きだと思えることの先にしか才能の開花はない。好きなことを自己発見するのが先決である〉〈そのことが好きであれば、すぐに成果や報酬に結びつかなくても苦にならない〉といった発想の転換は、ビジネスパーソンにとって大変重要です。「嫌いなことをやらない」という戦略は、専門性を身につけるために欠かせません。
 何かを学ぶといったような高次の活動においては、外発的な動機づけ(お金など)よりも内発的な動機づけ(好きだから)が大切だという指摘は数多くあります。内発的な動機づけの源になるのは、知的好奇心と自律性だと考えられています。
 お金や周りからの賞賛、自己顕示欲が満たされるといったご褒美を目当てに勉強するのではなく、自分が好きなこと、やりたいと思うこと、面白いと感じることを見つけて、内発的動機づけで動いたほうが、専門性を身につける近道になります。好きでやっている人には勝てない、ということを示す代表的な事例としては、MLBで活躍する大谷翔平選手のストーリーです。


端的に言えば、専門性を身につけたいのであれば、「お金を目的とするよりも、内側から出る興味関心に従って学ぶべき」ということかと思います。
もっともなことだと思いますが、注意したい点は、経営者側がこうしたことを言い出したときです。「やりがい搾取」に利用されていないか、という視点をもつことの重要性については、超絶ブラック企業に勤めたことのある私の経験から申し添えておこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部  い しぐろ)


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