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稼げないのは「稼ぐ力」がないからではなく、労働組合活動をしないから…!?

先週、北畑淳也『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』の中で、ロバート・B・ライシュ『最後の資本主義』(東洋経済新報社)を紹介した原稿を紹介をしました。

ここでは、桁違いに稼ぐ人の「稼ぐ力」の正体について、〈社会のルール自体を自分達にとって有利になるように働きかけるか、社会のルールの穴をつくことで巨額の報酬を得ている〉ことを指摘しました。
では、我々のような庶民が今よりももっと稼ぐにはどうすればいいのでしょうか?
さらに読み進めてみましょう。


庶民に「稼ぐ力」がない理由

 我々のような庶民に「稼ぐ力」がない理由を考えてみましょう。一般的なビジネス書では「稼ぐ力」がない人を次のように分析します。

●君の給料が上がらないのは君にそれだけの価値しかないからだよ。
●グローバル化や技術革新によって給与が伸びにくくなっているんだ。
●稼ぎが少ないのはあなたがバカだからだ。

 しかし、〈根本的な問題は、平均的な労働者の労働市場における「価値」が昔ほどでなくなった〉ということではないのです。上記のような考え方は労働者の「稼ぐ力」がどのようにして培われてきたかという歴史を無視しています。
 ライシュも指摘していることですが、労働者の「稼ぐ力」は歴史上の大きな流れとしては労働組合という労働者間の「連帯」を通して成し遂げられてきました。これはコモンズをはじめとする制度経済学という領域でしばしば指摘されていることですが、経済を「個人」というスコープでばかり捉えると大きな流れを見誤る、というのがここのポイントです。家族、株式会社、そしてここで話題にしている労働組合など、現実の市場における経済活動の多くを見れば、この話を理解いただけるでしょう。そのほとんどが経済学の教科書のように「個人」単体で何かをすることは多くなく、「集団行動」で行われています。
 改めて本題に戻ると、ライシュがこの著書で一貫して述べているのは、現在の労働者の「稼ぐ力」が落ちているのは、労働組合の弱体化が最大の要因だということなのです。
 実際、アメリカでは1970年代頃から新自由主義的な政策が一般的になり、組合員数はこの頃から減少し続けました。結果、それに連動して総所得に占める中間層の割合は減少したのです。
 労働組合と報酬の関係性について参考までに日本のケースを見てみましょう。
 経年で見た場合に徐々に労働組合の組織率は下がっているものの、従業員規模1000名以上の企業ではいまだに44・3%はあります。これは100〜999人の規模帯では11・8%、100人以下では0・9%となり、比較すると大きな差です。大企業には資本が多く、待遇がいいという見方が根強いですが、その待遇の良さは資本の大きさだけでは説明がつきません。
 毎年テレビでも話題になる春闘の結果を見てください。大企業の労働組合は人数が桁違いです。そして、その人数を背景に毎年のようにベースアップを成功させています。
 この例からもいえることですが、「稼ぐ力」の正体とは労働組合の地道な交渉の結果だということです。地道な努力があってこそ労働分配率は高まるのです。プロ野球選手のような個人事業主に近い方は全労働人口において極めて少数です。
 私も含めてですが、今の若い人というのは「労働組合」と聞いてあまりポジティブなイメージを持っていません。しかし、これまでの歴史を振り返れば、労働者が1人で経営者層に立ち向かって勝利したケースは例外中の例外です。もし労働者でありながら、「俺が稼ぐ力をつければいいんだ」と考えているならば、それは経営者がつくり出そうとする偏見に与しているだけなのです。 


経営者に一番好まれるのは、馬車馬のように働き、成果を出してくれる安月給の社員です。ぞんざいに扱われたとしても抵抗せず、「私なんてお給料をもらえるだけ有り難い。もっと稼ぐ力を磨いて会社に貢献しないと……」なんて考えている社員です。
そんな、会社にとって(都合の)いい社員を目指したいですか?
弊社には労働組合はありませんし、つくろうという機運もありません。
本来の労組の精神だけは個人的に持ちたいと思います。

(編集部 い しぐ ろ)

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