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緊縮派VS.反緊縮派の「神学論争」に終止符は打たれるのか!?

ネット言論を中心に、日本経済における緊縮派と反緊縮派のバトルがしばらくつづいています。
特にMMT(現代貨幣理論)が出てきたあたりからは、反緊縮派の声が大きくなっているように感じるものの、単にそれは新奇だから耳目を集めているような気もします(「いくら国債を刷っても、日本経済は破綻しない」的なMMT論者の言葉には希望を感じるため、心情的には信じたくなるものです)。
反緊縮派が「日本は緊縮財政ではいつまでも成長できない。積極財政にすべき」といえば、緊縮派は「そもそも現状の日本は超積極財政。どこが緊縮財政?」といい、反緊縮派が「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」といえば、緊縮派は「日本の債務残高対GDP比は200%を超えている。日本の国債の価値が下がる」と言います。
経済学者、エコノミスト、経済ジャーナリスト……など、経済に詳しい人でさえ、緊縮派と反緊縮派で支持が分かれてしまうし、政治的な左右対立まで超越して語られているので、経済の素養がない私のような人間にとっては、どちらが正しいか本当に判断に困ります。
まるで神学論争です。

そこで、吉野薫『これだけは知っておきたい「経済」の基本と常識 改訂新版』の中から、この論争の解釈のヒントになりそうな箇所を本記事用に一部抜粋・改編して掲載します。

 一般に、私たち個人はどのような貯蓄行動をとるでしょうか。多くの場合、現役時代に貯蓄を行います。銀行や郵便局への預貯金のみならず、老後に備えて年金保険料を支払ったり、いざというときに備えて保険に入ったりすることも「貯蓄」に含まれます。そして引退後はその貯蓄を取り崩して生計を立てます。
 少子高齢化によって、現役世代の人口が減り、高齢者が増加すれば、貯蓄を積み増す人よりも貯蓄を取り崩す人の方が相対的に多くなるわけですから、世の中全体としては貯蓄の積み増しが減り、あるいは貯蓄の取り崩しが始まることになります。
 このことを踏まえて、次の式を考えてみてください。

財政赤字額=民間部門の貯蓄の積み増し-金融収支の黒字額

 という関係があるのでした。もし民間部門の貯蓄が減るなら、財政赤字を続けようとすると、金融収支の黒字額を減らしていき、いずれは金融収支を赤字化しなければなりません。「金融収支の赤字」とは、日本の家計や企業が海外に保有している資産を取り崩すか、あるいは海外の投融資を日本に受け入れる状態に該当することを思い出してください。財政赤字との対比でいえば、海外の投資家が日本国債を購入するような状態がこれに当たります。
 さて、それでは財政赤字を放置すると、将来どのようなことが起こるでしょうか。いずれ、海外の投資家に国債を買ってもらう必要が生じるかもしれません。あるいは少子高齢化に抗って民間部門が貯蓄の積み増しを続けるように仕向けなければならないかもしれません。ただし、海外の投資家も日本の家計や企業も、自由な意志で投資や貯蓄の判断をするわけですから、それを強制的に促すことはできません。唯一実現可能な方法は、日本国内の金利が高まる、という方法です。
 現在の日本政府が低い金利で国債を発行できているのは、低い金利であっても民間部門が自発的に貯蓄を積み増したり、国内外の投資家が自発的に国債を買ったりしてくれるからです。もしそのような前提条件が崩れれば、日本政府は高い金利で国債を発行しなければならなくなります。たとえば「日本政府の財政がいずれ破綻して、借金を返してもらえなくなる」というイメージが広がってしまうと、日本政府にお金を貸してもよいという意欲は低下しますから、高金利でないと国債を発行できない、ということになりかねません。
 国債金利の上昇は、国債という債券価格の低下を意味します。そして私たちは、年金や保険を通じて、間接的ではありますが国債に投資をしているのです。したがって、国債金利の上昇は私たちが保有する資産の価値を目減りさせてしまうのです。

 より深刻な状況は、日本円という通貨の価値に対する信認が失われ、ハイパーインフレーションのような状況が生じることです。このときもやはり私たちが保有する資産の実質的な価値は目減りすることになります。逆にインフレは政府が負っている借金総額の実質的な価値を目減りさせる効果も持ちます。デフレが実質的に債務の負担を重くする効果があると説明しましたが、インフレではそれと逆の効果が働く、というわけです。このように、インフレによって国民の資産と政府の国債残高を実質的に目減りさせることを、特に「インフレ課税」と呼んでいます。
 いずれにせよ、財政赤字を放置しておくと、将来どこかの段階で、(1)国債の金利が上昇するか、(2)インフレによって資産の実質的な価値が切り下がるか、あるいは(3)増税によって国債の発行を一気に止めるか、このうちいずれか(二つ以上かもしれません)が生じることになります。いずれも国民生活を大混乱させることになるはずです。そのようなことを回避するために、理想的には緩やかに財政赤字の削減を目指すべきですし、少なくとも政府が「財政赤字の削減を目指している」という態度を表明することで財政破綻の懸念を払拭し続けることが重要です。
 財政赤字に関して、最近現代貨幣理論(MMT)という言葉をよく目にするようになりました。MMTは財政赤字を巡るお金の大局的な流れを、主流派の経済学とは異なる視点で再整理した理論です。しかしMMTを論拠として「政府はいくらでも(永遠に)財政赤字を続けられる」と主張するのは、MMTの曲解に過ぎません。そのような論者はしばしば、「人々の貯蓄行動や投資家による投資行動が自発的な意思決定に委ねられている」という前提を無視しています。上記のとおり、日本政府が国債を低金利で発行できるということは、日本国債を低金利で買ってもよいと自発的に考える人がいるからこそです。いくらでも借金できる、などという便利な「打ち出の小槌」は存在しません。政府がそのような財政運営に手を染め続けると、いつか必ず私たちの生活にしっぺ返しを食らうことになるでしょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 いしぐろ)

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