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「〆切」こそが創造の源である。

こんにちは。
フォレスト出版編集部の寺崎です。

こちらの三次元ロックさんの記事がとても共感しつつ面白かったので、触発されて、自分も「〆切」をめぐる舞台裏をしたためようと思う。

三次元ロックさんは本づくりをオーケストラにたとえて、編集者を「指揮者」というメタファーで表現しているけど、僕はもうちょっと小さなユニットのイメージを持っている。

具体的なイメージはロックバンドだ。ボーカル、ギター、ベース、ドラム。基本的にはこの4パートさえ揃えばバンドは成立する(ギターを弾きながら歌うボーカルがいれば3ピースバンドになる)。

では、編集者はどのパートなのかというと、実はどのパートでもない。編集者は「プロデューサー」「バンドマネジャー」の立ち位置だと思う。ビートルズだったら、ブライアン・エプスタインだし、ローリング・ストーンズならジミー・ミラーだし、セックス・ピストルズならマルコム・マクラーレンだ。

「事例が古い」というのであれば、ももいろクローバーなら川上アキラ、AKB48なら秋元康、BiSHなら渡辺淳之介というのがバンドマネジャーのイメージ(実際にはプロデューサーと呼ばれると思うが)。

バンドマネジャーは自分のバンドをどう売り出していくか、ひたすら考える仕事だ。

で、バンドのボーカルもしくはボーカル兼ギターにあたるのはフロントマンである「著者」にほかならない。ビートルズならジョンとポール、ストーンズならミック・ジャガー、ピストルズならジョニー・ロットン。

ベース、ドラムはさしづめデザイナーさんやDTPオペレーターさんでしょうか。いや、でも、ベースがシド・ビシャスだと尖りすぎだな。ビートルズはそもそもベースがポール・マッカートニーだし。

あと、「キーボード」というパートで華やかさを足してくれるのがイラストレーターさんや漫画家さんかもしれない。

編集者はプロデューサーとして、ボーカル(=著者)を誰にするか決めて、ギター、ベース、ドラム、キーボードの人選を考える。バンド(=書籍の制作スタッフ)が固まったら、マネジャー役としてスケジュール管理やコスト管理をしつつ、コンテンツのクオリティ管理をする。

こんな感じだと思う。

前置きが長すぎた。「〆切」だ。

ウォルト・ディズニーが「〆切こそがクリエイティビティの源泉」との言葉を残している。

私は自分が手掛けた本の記録をbooklogというサイトに自分ログとして残していて、トータル158冊の本を書籍編集者として世に出してきた。

これらは〆切がなければ生まれていない。158回の〆切に立ち会ってきた人間から言えることは、まさに「〆切は創造性の源」なのである。

ただ、ほとんどのケースにおいて、〆切は守られない。およそ〆切は守られない運命にある。かといって、めちゃくちゃ余裕かました〆切設定だと、「〆切が生み出す創造性」を生み出せない。このさじ加減がむずかしい。

なので、だいたい3ヶ月ぐらいで書いてもらえるだろうと踏んだ場合、2.5ヶ月後ぐらいに〆切を設定して、半月から1ヶ月ぐらい〆切が伸びるのを見込んでおいて、結果3ヶ月半ごろに原稿が脱稿する・・・みたいな計算だ。

〆切が半年後だった場合でも、1年後だった場合でも、同じように「「〆切」を運用する。

「原稿のご進捗はいかがでしょうか?」

その間に定期的に連絡を怠らないのが大切。執筆は孤独な作業なので、編集者は「いつもあなたのことを気にかけてますよ」というメッセージを届ける必要がある。

著者は程度の差こそあれ「〆切に追われるプレッシャー」をみな背負っているので、メールだと未読スルーされる可能性が高い。「あ、ごめんなさい。メール見落としてました!」ってやつだ。最近はメッセージャーやLINEでのやりとりも増えたので、「読んだかどうか」が確認できるのが助かる。

著者の「〆切ぶっち」でよくやるのが、「パソコンが壊れてデータが飛んでしまいました」だ。こればっかりは「編集者あるある」なので、いつも「はいはい。そうですか」と流すことにしている。

ここでとっておきの「原稿の進捗を見守りつつ、あなたのことをいつも考えていますよ」と、著者への愛を伝えるテクニックをお伝えする。

「ファックス」である。

「え、いまどき、ファックス?」と思われるだろうが、メールやメッセンジャーと違って、「紙」という揺るぎないフィジカルな物体として残せるのがデカい。電子データとちがって、絶対にスルーできない。存在として、重い。問答無用にポストに放り込まれるチラシと同じだ。

具体的には著者がいままさに書いているテーマに関わるニュース記事や関連情報をあえてわざわざプリントアウトしてファックスで送る。で、その紙のいちばん下に「ところで、原稿の進捗はいかがでしょうか?」と、まるで付け足しのように手書きで小さく書くのがポイント。こうやって著者の潜在意識にくさびを打ち込む。

あとは電話。「進捗はいかがでしょうか?」と。もうほとんど借金の取り立てだ。肉声で訴える。とにかく接触頻度を高めて、「私の原稿を待ってくれている編集者がいる」という意識を潜在意識に植えつけないといけない。編集者としての存在を忘れられてしまうのが一番最悪だ。そうなると原稿は永遠に頂戴できない。

そういえば、何かで読んだエピソードを思い出した。とある大作家先生の担当になった若い編集者が「これから原稿を取りに伺います」と連絡したところ、先生が激怒。「君は担当を外れてくれ」となった。その理由は「原稿は『取りに来る』ものではなく、『頂戴に上がる』もの」だ、と。

くれぐれも、日本語には気を付けましょう。

ところで以前、百科事典の編集をしていたとき、そのジャンルの大先生に項目の執筆をお願いしたものの、3ヶ月経っても原稿が届かない。それが半年、1年とずるずる伸びた。モノは試しとばかりに、江戸川区のご自宅にアポなしで行ってみたことがある。

すると、当のご本人は不在で、奥様が玄関先に出られた。「かくかくしかじかの事情で突然お伺いしておいて大変失礼ながら、こちらもかくかくしかじかの事情で大変困っている」と切々と説明したら、その翌日に原稿が届いた。

〆切をめぐる攻防においては、「もう印刷の台が決まっているし、取次にも発売日を通達しているので、スケジュールをずらせません」といった「嘘も方便」を使って著者のエンジンに火をつけるケースもなきにしもあらずだが、そんなちゃちな手口が通用しない著者も多い。

有力著者Tさんは昼間に寝て、夜活動するタイプで、深夜に起きてゲラを校正する。ゲラの出力はB4用紙指定。書斎兼リビングにはB4のゲラの山が積まれている。(秘書から聞いた話では)たくさんの出版社から届くゲラの山の上のほうから順番に処理していくので、山の下のほうにあるゲラは数か月も寝かされるハメになる。こうなると「著者が起きたタイミングでゲラの山の上に積まれてる出版社が勝ち」という、もうほとんど運である。

実際に私もTさんのゲラの戻りを数年待ったことがあった。6~7回やりとりして、最後に戻ってきたゲラに「すべてOK」と手書きで書かれた著者の文字を目にしたとき、とてつもない高揚と達成感を覚えた。「これで出版できる!」と。

逆に、これは相当レアケースだが、設定した〆切より前に原稿をあげてくる著者も少なからずいる。

硬派なビジネス書を書くNさんはもともと理系で、プロジェクトマネジメント、経営者のキャリアも長いので、原稿執筆を「工数」で管理する。たとえば、全部で項目は100あるとしたら、1日で何項目こなせるか、工程をはばむ要素は何かといったことを前もって計算して、まるで事業プロジェクトを進めるかのごとく執筆活動に入る。

結果、〆切よりもかなり前倒しで脱稿することが多い。これって、編集者としては嬉しい反面、じつは困る面もある。

A企画 ーーー>〆切
B企画 ーーーーーー>〆切
C企画 ーーーーーーーーーー>〆切

こんな感じで脱稿後の編集作業が被らないように、絶妙にそれぞれの企画の〆切はずらしているから、前倒しされると・・・・

A企画 ーーー>〆切
B企画 ーーー>〆切(えっ!)

このように2本同時に進行しないとならない。かといって、それはなかなかしんどいので、結果的に「早々にいただいた原稿を寝かす」ということになりかねない。そうなると、著者に申し訳ない気持ちになり、心苦しい日を過ごすこととなる。

原稿と編集者の関係を「食材」と「料理人」にたとえることがある。どんなに腕のいい料理人であっても、「食材」がないと料理は作れない。

というわけで、〆切をめぐってつらつらと書きましたが、要するに編集者は「腕のいい料理人」になるべく日々研鑽して、「いい食材」を手に入れる努力を怠るなという話でした。

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