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「言葉」は人類が用いるもっとも効き目のある薬である

こんにちは。フォレスト出版編集部の寺崎です。

今週、健康診断の結果が届きました。毎度のことながら、血糖値と肝臓のγGDPがヤバいのですが、今年はリモートワークによる運動不足から中性脂肪もヤバ数値に加わってきました。

「健康診断が病気をつくりだす」と指摘するひともいますが、たしかにそうした面もあるかもしれません。

というわけで、これまで『病は口ぐせで治る!』(原田文植・著)の内容を紹介して参りましたが、いよいよ「病気が口ぐせで治る」メカニズムを開陳します。

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口ぐせ効果の医学的根拠

 「根拠に基づく医療」(Evidence based medicine)の重要性が語られだしたのは二〇〇〇年頃からのことです。
 この前後から確実に医療の姿勢は変わったと言えます。医療がサービスと言われ、医師が接遇セミナーなどを受講するようになったのもこの頃からだと記憶しています。わたしが医師になったのも一九九八年ですから、わたしは医療の転換期に医師の世界に飛び込んだようです。
 根拠に基づく医療から、本書で主張する「口ぐせの治療への影響」を評価するとどうなるのでしょうか。いろいろなアプローチを試みているところですが、評価は非常に困難です。
 まず完全なランダム化(治療効果の客観的な評価)は不可能です。口ぐせを定義することが困難であるだけでなく、その人それぞれに合った口ぐせがあるはずだからです。医師が介入し、口ぐせを指導する場合、そのような関係を築けていること自体が、バイアスであるプラセボ効果やホーソン効果が存在していることになるからです。
 口ぐせ治療でデータを出そうとしても、比較対象の設定は困難です。医師と患者の関係が良好であれば、有形無形の効果が出て当然だからです。
 ですから、本書を読んで、実行していただき、効果を実感してもらうしかありません。ただし、わたしの臨床経験、他の医師に助言したあとの反響から、かなりの効果をもたらすものであると断言できます。

口ぐせが変わると見える世界が変わる

 子どもの心がシグモイド関数的に発達することは、児童心理学を参照するまでもなくよく知られていることです。シグモイド関数とは、時間軸を横軸、発達度合いを縦軸にとれば、最初しばらくの間は縦軸の値に大きな変動は見られません(プラトーと言います)が、ある時間を超えると劇的に変動し、再びプラトーになるような曲線のことを言います。

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 子どもの精神的成長は、あるときから目に見える形で現れるので、直観的にも理解しやすいのですが、じつはプラトーな時期にも内面的には成長しているのです。外見上表れないだけです。
 口ぐせによる思考や行動の変化も同様です。口ぐせが変わることによって、指を差す方向、すなわち視線の先が変わります。
 見えなかったものが見えだします。

「ハワイ旅行に行くぞ」と何度も口に出せば、ハワイ旅行の広告を目にする機会が急に増えるのと同じです。無意識のうちに口ぐせに見合った情報収集が行われるようになります。
 次に、周囲の雰囲気や対応が目に見えて変わってきます。発する言葉が周囲に影響を与えるからです。かかりつけの医師がいる場合、その医師との関係も変化するでしょう。口ぐせによって、そうしたことが積み重なって、飛躍的に環境の変化がやってきます。
 口ぐせに見合った生活が始まるのです。
 それが適切に設定した口ぐせであれば、当然求めている状況が表れるはずです。

口ぐせだけで高血圧が治ったケース

 七五歳の女性Kさんは痩せ型ですが、顔色は良好。活動的で上品な雰囲気です。夫は数年前に他界しています。近くに娘が住んでいますが、現在独居です。
 最近血圧が上がってきているということで受診されました。来院されたときも上が二〇〇近くあり、治療が必要なレベルでした。
 とりあえず問診です。「過去の病気は?」「自覚症状は?」「ご家族の病気は?」「嗜好品は?」など、様子うかがいのジャブのような質問に加え、世間話を少々。
 病院を受診する方は基本的にネガティブトークのオンパレードです。基本的に困っている人しか来ないので、これは仕方がありません。
 Kさんの問題は言葉の端々に「しなくちゃいけない」がじつに多いことでした。

「洗濯物を取り込まなきゃいけない」
「食事の準備をしなきゃいけない」
「孫を迎えに行かなきゃいけない」
「薬飲まなきゃいけない」


 とくに、この年代の女性は男尊女卑の時代を生き抜いてきた方が多いので、ほとんどの人が「しなくちゃいけない」語調です。まずはここから特訓です。

「『しなきゃいけない』はやめましょう。全行動を『したい』にしましょう。洗濯物も取り込みたいから取り込む。孫も迎えに行きたいから行く。違いますか? やりたくなかったらやらなくていいんですよ」

 わたしがこう言うと、Kさんは「えっ? したいことだけしてていいんですか!?」と驚きました。
 Kさんの驚いた顔を見て、逆にこちらが驚きました。
 その後受診のたびに、口ぐせ(自分自身にかける心の声)の確認作業をしましたが、着実に改善しています。血圧のほうも、そんな問題があったのかと忘れるくらい正常化。もちろん投薬ナシです(骨粗鬆症しょうの薬だけ飲んでいます)。
 何より、彼女の人生が激変したそうです。
「友だちにも話しました。やりたいことだけやっていていいそうよ。やりたくないことはやらなくていいんだって!」
 彼女のグループの人たちも「本当に? そんなこと許されるの?」と許可してもらった気がしたそうです。
 わたしはその話を聞いて、少し泣きそうになってしまいました。

ネガティブワードが身体に影響する理由

 言葉には「感情」と「映像(イメージ)」がタグづけされています。
 病に陥ると、その病に関する情報が入ってくるたびに、「感情」と「映像」が呼び起こされます。これは非常に恐ろしいことですが、医療を提供する側がこの弊害に気づいていないケースがほとんどです。
 一日が二四時間あることは皆平等です。「病名」を思いだす機会が多ければ多いほど、その人は病の記憶の海に溺れている時間が長くなります。
 具体的な痛みや、ある種の症状に対処することは当然必要なことです。その対処を徹底的にやることが大切なのであって、病名によってイメージされるつらい映像や感情のなかで生きていくことはまさに「生き地獄」ではないでしょうか。
 具体的な病名でなくても、同様なことは引き起こされます。
「しまった」「まただ」「やっぱり」「ダメだ」などの言葉です。
 こうしたフレーズをすべてネガティブワードと一括りにするのは抵抗がありますが、病の苦しみからなかなか脱却できない患者さんに共通する言葉遣い(口ぐせ)はたしかに存在します。
 覚えておいてください。ネガティブワードを口から発すれば、今までのそれらの言葉を使わざるを得なかった状況が身体全体に引き起こされている可能性があるということです。言葉には必ず「感情」と「映像(イメージ)」が結びついているからです。
 皆さんの周りにもいませんか?
 何かの問題で頭にきたら、「あのときもそうだった! まったく君は……」とネチネチ怒り続ける人が。
 これは怒りの言葉を発することによって、以前の同様の気分や状況がリマインドされているからなのです。だから、怒りが収まったら意外とケロッとしているものです。

自分で「病」の準備をしてはいませんか?

 外来受診患者さんのなかには、「毎年この時期には風邪をひくんだよね」とか、「夏はぐったりしてダメだよ。なんとかしてほしい」「飛行機に乗って旅行に行くから吐き気止めをください」などなど、予言者さながらに未来への準備をされる方が少なくありません。
 そんなとき、わたしはいつもこう言います。
「起こってほしくない未来のことは口にしないほうがいいですよ」
 しかし、なかなか納得はしてもらえません。
「だってそうなるもん」のひと言で片づけられます。
 引き起こされることが確実な(と少なくともご本人は確信している)病の準備をすることにいったい何の意味があるのでしょうか。病にならない準備ならまだしも。
 言葉にすることによって指差し確認し、そのとき苦しんだ映像と感情をしっかりとリマインドして備えていれば、かなりの確率でその病になること請け合いです。
 そこで、わたしは「今回は大丈夫だと思うよ。だからイランこと考えないこと。もしなったら治してあげるから」と必ず助言します。
 結果、何も起こらないことのほうが圧倒的に多いのですが、不思議とそのことについては皆さん語りません。忘れているのだと思います。わたしはリマインドさせたくないので、わざわざ藪のなかのヘビをつつくようなことはしませんが。

「病にならない口ぐせ」を身につける

 唐突ですが、わたしの夢の一つは「地球のすべての子どもたちの医療と教育の機会均等」です。そのために医師をしているし、この本も書いているようなものです。
 自分の全活動はそこにつながっていると確信しています。
 その夢の実現にとっての最大の壁は「経済問題」です。
 二〇一七年に中東のイエメンでコレラが発生しました。死者は一三〇〇人を超え、その四分の一は子どもたちでした(二〇一七年七月発表より)。
 コレラ感染による死亡の原因は「下痢・嘔吐による脱水」です。下痢だけならなんとかなりますが、嘔吐をともなうと水分補給できなくなります。よって脱水となり絶ャム国(現在のタイ王国)におけるコレラの流行が原因です。当時、コレラは貧富を選ばない病でした。
 コレラ感染による死亡の原因は「下痢・嘔吐による脱水」です。下痢だけならなんとかなりますが、嘔吐をともなうと水分補給できなくなります。よって脱水となり絶命につながります。
 点滴が発達したのは、コレラ感染の大流行からと言われています。つまり、点滴さえあればコレラでは絶命することは、まずないのです。だから今の日本において、通常の医療機関を受診できるのならコレラで死ぬことはありません。
 ところが、時代を同じくしても場所を移動するだけで、イエメンではこんな悲劇が存在しているのです。
 紛争、経済格差のために、死ななくていい子どもたちの命が奪われるのは絶対に放っておけません。
 日本国内に目を向けてみると、今後の日本の医療の未来図は決して明るいとは言えません。少子高齢化と、増加し続ける医療費をいかに減らすかという議論がしきりとなされています。間違いなく、高齢者の先進医療・終末期医療の自粛や自己負担の増大が求められるようになってくるでしょう。
 すでに流れはありますが、保険業界にさらに外国資本が参入してくることでしょう。保健医療制度がこれからも維持できると誰が断言できるでしょうか。
 わたしはこうした流れには反対の立場です。国家は何はともあれ、医療と教育だけは面倒をみるべきだと考えています。
 とはいえ、国民一人ひとりが自衛手段はもつべきです。しっかりと予防すればいいのです。万が一、病に陥っても治ってしまえばいいだけです。
 病にならない口ぐせを身につけるのはタダです。
 口ぐせは意識と行動・習慣を変えてくれます。
 病になりにくい人間、病になっても治ってしまう人間に一歩でも近づくために口ぐせを今すぐ改良しましょう。

 この章の最後に、ノーベル文学賞を受賞したイギリスの小説家・詩人の作家ジョゼフ・ラドヤード・キップリングの言葉を紹介しておきましょう。

「言葉は言うまでもなく、人類が用いるもっとも効き目のある薬である」

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