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映画「メランコリック」のつかみどころのなさの正体を考えてみた

通勤に往復4時間程度かかる私は、リモート出社が増えてから1日1本映画を見れるくらいには時間的損失を解消できました。
私は映画好きと言えるほど映画を見てはいないのですが、好きなジャンルはバイオレンス、犯罪、戦争ものです。そこでNetflixでそうしたキーワードで検索したところ気になった作品が「メランコリック」。あとで知ったのですが、300万円という低予算でつくられ、ミニシアター系で上映された作品とのこと。当然、「カメラを止めるな!」ほどのメガヒットではないものの、公開規模の割には話題になったそう。

次のようにあらすじ・概要が紹介されています。

深夜に殺人が行われる銭湯を舞台に、ひょんなことから人生が大きく動き出してしまう人々の人間模様を、サプライズ満載の変幻自在なストーリー展開で描いたサスペンスコメディ。名門大学を卒業後、アルバイトを転々とし、うだつの上がらない生活を送っていた和彦。ある日、偶然訪れた銭湯で高校時代の同級生・百合と再会した彼は、そこで一緒に働かせてもらうことに。やがて和彦は、その銭湯が閉店後の深夜に浴場を「人を殺す場所」として貸し出していることを知る。さらに、同僚の松本が殺し屋であることが明らかになり……。新人監督・田中征爾の長編デビュー作で、第31回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で監督賞を受賞(武正晴監督の「銃」と同時受賞)。和彦役の皆川暢二、松本役の磯崎義知、田中監督による映画製作ユニット「One Goose」の映画製作第1弾作品。
2018年製作/114分/G/日本
配給:アップリンク、神宮前プロデュース、One Goose

映画.com

一言で感想を言うなら、「つかみどころがない」。
以前、「胸糞悪い映画」をご紹介しましたが、これらと同様に、鑑賞後はなんとも言えないもやもやする気分になりました。

以下、ネタバレです。
途中までディスっているように感じるかもしれませんが、最後までお読みいただければその意図がご理解いただけるかと。


●つかみどころがない理由①:キャラクターにリアリティがない。

銭湯が殺人と死体遺棄の場所として使われていることからしてリアリティがないと言いたいわけではありません。そんな野暮なことを言い出したら、エンタメ作品なんて見れません(むしろ清掃や死体遺棄のたいへんさを考えれば、銭湯はお誂え向きの場所ですが)。
そうじゃなく、登場人物がことごとく変なのです。

主人公の和彦
東大卒業後はアルバイト繰り返し、実家でほぼニートのような生活をしている30歳。まあ、そういう人もいるでしょう。
ところが、銭湯でのアルバイトでひょんなことから殺人現場を目撃してしまい、結局死体遺棄まで手伝わされて狼狽しまくります。しかし、オーナーから渡された数万円の謝礼にテンションが上がり、恋人を高級レストランに誘ったり、「次の仕事」を待ち望むようになる。そんな単純な感情の動き、あるか?

和彦の両親
せっかく東大にまで行かせた両親なら、うだつの上がらない息子に対して小言の一つでもぶつけたり、尻を叩いたりするものだろうが、そんな素振りは多少は見せつつも、温かく見守っている。
親子3人での食卓の様子が何回か描かれるのだが、夫婦仲がメチャクチャ良い。こうした両親のもとで生活すれば、子どもも健やかに育ちそうなものだが、息子のほうは対象的に暗くて社会性に乏しい。このコントラストに強い違和感というか、異様さを感じます。

和彦のアルバイトの後輩松本
見た目は頭が悪そうな金髪でお調子者風。たいがいこういうキャラは、仕事をさぼったり、売上をちょろまかしたりするものだが、どうも悪人ではなく性格の良さを垣間見せる。上下関係も理解していて言葉遣いも丁寧。殺し家業のために酒を飲まないストイックさがある。童貞っぽく見えないが童貞で、童貞を捨てたばかりの和彦にからかわれる。

銭湯のオーナー東
ヤクザに脅されて殺し屋家業をさせられているわりには、妙に冷静沈着。良心の呵責を見せない。

主人公の恋人の百合
唯一「リアリティがある」と感じるのは主人公の恋人。高校の同級生のときから気になる存在だったのだろう、和彦との出会いから和彦へ対して積極的にアプローチをする。見た目もそのへんにいそうなちょっとかわいい子。

そんなわけで、彼女の百合以外は「そんなやつおるか?」というキャラが主要メンバーなわけです。

●つかみどころがない理由②:設定が漫画っぽい。

よく、人気漫画の実写化作品が酷評されることがあるが、その理由の1つとして実写化された途端に漫画の設定のリアリティが壊れてしまうことだろう。漫画実写化の宿痾だ。漫画の絵では受け入れられる設定も、我々の日常と地続きの実写の世界では荒唐無稽になってしまうわけだ。
で、この「メランコリック」は原作漫画や小説があるわけではない。なのに、原作漫画を実写化したような現実感のなさを感じてしまう(おそらく、「メランコリック」に原作漫画があれば、「殺し屋1」のような作品になってたのではないか)。
この感覚はいったい何なんだ!? というモヤモヤした気持ちになってしまう。

●つかみどころがない理由③:見る者の偏見を露呈させてしまう。

知っている役者さんは出ていませんが、みんな演技に関してはプロです。決して学生の自主制作映画レベルではないのでご安心を。
ただ、以上のような違和感を感じながらクライマックスに迫るわけですが、主人公和彦とバイトの後輩松本がヤクザ殺害に挑む前日の居酒屋での会話でハッとさせられます。松本が、見る者の疑問を代弁して和彦に聞きます。

松本「1個聞いていいすか?」
和彦「何?」
松本「いや、マジ100万回聞かれたことだと思うんですけど、東大まで行っといて、なんでこんなことやってるんすか? 調べたら1回も就職してないじゃないすか、和彦さん。バイトばっかで。バンドやっているとかの夢追い系じゃないっぽいし」
和彦「フッ」
松本「なんすか?」
和彦「じゃあ逆に聞くけど、東大行っていい会社入って、幸せにならないといけないんですか?」
松本「……なるほど」

ここで、松本が「なるほど」と得心したように、私もここまで記した違和感の正体に気づくわけです。
それは、「○○みたいな人だから、△△なのだろう」という無意識にあった偏見です。
社会、人間関係、人というのは決して一括りに単純化できない複雑さがあります。それを頭ではわかっているつもりでしたが、期せずして自分が偏見に基づいて人物を見ていたことに気づかされるのです。
すると、この映画の見え方が大きく変わってきます。
たとえば、唯一「リアリティがある」と思った和彦の恋人の百合こそ、男にとって都合が良すぎる存在として描かれたフィクション的存在だったのだと。
さらに、上記では触れませんでしたが、和彦と百合の高校の同級生の田村の見え方も変わってきます。田村は高校時代は陰キャだったものの、起業家として成功した人物。同窓会に颯爽と現れて女子にキャッキャされる、客観的に見て鼻持ちならないヤツです。
そして、そんな彼が本編のラストに和彦に呼び出されます。
田村は、東大卒で銭湯で働いている和彦を見下すわけでもなく、その理由を問うこともせず、フレンドリーに銭湯の経営の相談に乗ってあげ、先述のイメージを大きく覆すのです。


「メランコリック」というタイトルの映画なので、製作者側が伝えたかったメッセージとは異なるのでしょうが、個人的には以上のように自分の先入観と、それを裏切る設定に翻弄された作品でした。

なんだか、つかみどころがない感想になってしまいました。
どうか、素人の戯言だと思ってご容赦を。

(編集部 いしぐ ろ)



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