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マルクスに学ぶ無能なリーダーが誕生する理由

最近、『資本論』関連の本が増えおり、ベストセラーも出ています。


そうした硬派なテーマ に興味をお持ちの方々がとても多いという現実に、出版業界もまだまだ!と励まされる思いもあります。
(そんなエラそうなことを書きつつ、私自身は『資本論』はおろか、その関連本も読んだことがないんです。お恥ずかしい)

さて、『資本論』といえばマルクス、そんなマルクスの『資本論』以外の代表作の1つといえば『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。


北畑淳也『世界の思想書50冊から身近な疑問を解決する方法を探してみた』(フォレスト出版)では、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を取り上げ、そこから「無能なリーダーが誕生するのはなぜか?」を読み取りました。

以下に、一部抜粋、改編したうえで転載いたします。
ちなみに、なぜそんなテーマの原稿をこの時期に転載するかというと、『資本論』ブームに乗っかっただけで、他意はないことは念のために記しておきましょう。

 特定の組織に所属していると、「何でこの人が上にいるんだろう?」と思うことはありませんか? もちろん、この疑問を抱く人自身が、実務的に問題があることを責任転嫁しているだけの可能性もあります。しかし、「有能な人がリーダーになる」ことが普遍的に妥当しないことはよくあります。
 なぜ、有能と思えない人、凡庸な人物がリーダーになることがあるのかについて考察を深めることができるのが、カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。
 マルクスは『資本論』が有名で、経済思想の重鎮といわれています。しかし、政治風刺を行ったこの書籍も読みどころがたくさんあります。

なぜ「優秀な人がリーダーになる」わけではないのか?

 マルクスの考えに沿ってなぜ「優秀な人がリーダーになる」とは限らないのかを見ていきます。端的にいうと、人間の選択や行動が自分の内面から発する独立した意志の結果によって生じるわけではないからです。

人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。

 マルクスがいっているのは、我々が自らの意志のみによって歴史をつくるのではなく、過去を元に判断を行い、それが歴史になるということです。それゆえ、過去の社会的条件の積み重ねで優秀とはいえない人物がトップに上り詰めることは現実に起きるわけです。
 その一例が本書で挙げられている「ルイ・ボナパルト」です。
〈ナポレオンの甥であるということのほか何者でもなかったボナパルト〉がフランスの皇帝にまで上り詰めたのです。なぜそこまで行けたのか。それに対する答えとして個人の資質や能力だけでは説明がつかないというのがマルクスの立場なのです。マルクスは、フランスの階級闘争という社会的条件がその最たる要因だといいます。

中庸でグロテスクな一人物が主人公の役を演じることを可能にする事情と境遇を、フランスの階級闘争がいかにして創出したか、ということを証明する。

優秀ではない人物がいかにしてトップに上り詰めるのか?

 ルイ・ボナパルトが、フランスの階級闘争という社会的条件から皇帝にまで上り詰めたことをここまで書いてきました。
 マルクスのいう「階級闘争」という言葉は『資本論』でも出てくる重要概念ですが、基本的には「ブルジョアとプロレタリア」の対立を指します。
 ルイ・ボナパルトも両者の階級闘争の歴史の中から生まれてきました。前後の歴史の流れを時系列で書くとこうです。
「オルレアン朝」→「二月革命」→「第二共和政」(ボナパルト登場)→第二帝政ボナパルト朝(ボナパルトによる独裁)。
 個々の名称については覚えていただく必要はありません。これを平易に読み替えます。まず、オルレアン朝というのは「ブルジョアや金融資本家」の利害を代表する政治体制だったといわれています。具体的には、労働者は無権利に近い状態で抑圧されました。とにかく産業革命を推し進めるべくブルジョアを優遇する政治でした。
 そういった抑圧状態の労働者が耐えかねて、二月革命が起きます。これはプロレタリアが主体となって起きた革命とされ、ブルジョア勢力は力を弱体化させます。
 ただしここで、プロレタリアが政治体制を担うという展開にはなりませんでした。そこまでの力はなかったのです。
 結果、ブルジョアとプロレタリアのいずれの階級が、次善の策として支持をしたどの階級を代表するわけでもないルイ・ボナパルトが大統領に選ばれたのです。
 もちろんこの段階ではまだ議会がありますから、独裁ではありませんでした。このあと議会でまた各階級の対立が激化するのですが、その混乱をボナパルトは利用しました。たとえば、軍隊に対してバラマキを行って味方につけたり、ブルジョア階級間の内部分裂をけしかけたりすることなどがありました。
 最終的にこの裏工作が成就し、1851年に議会を解散させたボナパルトは、議会要人を拘束し、国民投票を行います。そして、すでに議会に失望を深めていた国民たちの投票により王へと選出され、軍事独裁体制を完成させたのです。
 ここまでの流れで重要なのは3つです。
 1つ目はブルジョアとプロレタリアの階級闘争が共和制国家では避けられないこと。2つ目は、ブルジョアは一枚岩ではなく内輪揉めが多々あること。3つ目は、ブルジョア間の内輪揉めにより階級が疲弊し、その状況に付け込んで、プロレタリアの支持を得た1人の人物が権力を獲得することです。
 ルイ・ボナパルトも途中でブルジョアと同盟したりしていますが、皇帝になるときにはプロレタリアを味方につけていました。

別の視点で見るとその人の優秀な部分が見える

 ここまでの流れから、ルイ・ボナパルトが統治能力で何か飛び抜けた実績を残していたり、カリスマ性を持っていたりしたわけではないことが明確になりました。
 彼には、勝ち馬に乗り続け、生き残るためにかつての味方をも切り捨てるずる賢さがありました。彼はナポレオン・ボナパルトのように、どうすれば頂点に立てるのか(権力をほしいままにできるか)という嗅覚が非常に鋭かったのです。
 それゆえ、本節のテーマに戻ると、ある人がなぜ頂上に上り詰めたのかを把握するには、その人の能力を一面的に見ないことが重要です。
 たとえば、会社で上役になる人は「仕事ができるから出世している」とは限りません。また、政治家であれば、「政治能力があるから政治家になっている」とは限りません。周囲に取り入る能力かもしれませんし、ルイ・ボナパルトのように選挙権が多くの労働者に拡大されたという彼の意思とは無関係の社会的要因が決定打になっているのかもしれません。
 逆に、こういった社会的条件が個々のステータスを決めているのであれば、能力のある人が社会的条件によって自分の力を発揮できていない可能性があるともいえるのです。
 ある人物の評価には慎重であるべきだというのが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』のメッセージではないでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(編集部 石黒)

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