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日本人はなぜ、質問ができないのか?

フォレスト出版編集部の寺崎です。

今日は刊行前の書籍の先読み連載をやります。出版される前の編集中の原稿を公式note限定で公開します。今回ご紹介するのは、7月に発売予定の石角完爾・著『ユダヤ 賢者の知恵』

国際弁護士として活躍される石角先生は、ユダヤ教に改宗された日本人です。つまり日本人ではなく「ユダヤ人」となった人物。日本人の特質もわかりながら、ユダヤ人のすごさも伝えられる。そんな稀有な著者です。

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石角完爾(いしづみ・かんじ)
千代田国際経営法律事務所代表・Technion Japan CEO
通産省を経て、田中角栄の勧めでハーバード大学へ入学。国際弁護士となる。日本におけるマイケル・ジャクソンの顧問弁護士や国際的な大型M&Aのエキスパートとして活躍。2007年、5年にわたる厳格な修行のもとにユダヤ教に改宗し、ユダヤ人となる。現在、その豊富なユダヤ人ネットワークからイスラエルの最新技術と日本企業をつなぐ技術商社テクニオンジャパンを経営。日本、アメリカ、欧州、イスラエルを中心に世界で活躍。


日本国内でのユダヤに関しての認識は、誤解や曲解がものすごく多いので、この本では「日本人でありユダヤ人」である石角先生に本物のリアルなユダヤ思考を伝授していただきます。

それでは、どうぞ。
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なぜ、日本は世界から関心を持たれないのか。

 先日、出席したセミナーで面白いやり取りがあった。東京工業大学の世界文明センター・センター長のロジャー・パルバース教授が、「日本は21世紀に生き残れるか?」というタイトルで講演をした。
 講演終了後、一人の老財界人が立ち上がって、「この間のダボス会議で日本の大企業の経済人の話に、たった9人しか参加者がいなかった。同じ時間の他の講演には人が一杯押しかけていた。どうしてなのか?」という質問がなされた。
 教授はユダヤ人だった。
 ユダヤ人は、質問に対し質問で答えることが多い。このときも、パルバース教授は逆にこう尋ねた。

「じゃあ、あなたはなぜその財界人の話にそれだけの人しか集まらなかったと思いますか?」

 日本の財界人は「それは話が面白くないからだと思います」と答えた。
パルバース教授は「それはそうです。誰が面白くもない話に時間を割いて聴きに行きますか。貴重な時間を割いてスイスまで行っているのですよ。それは面白い話のところに行くのが当たり前じゃないですか。面白くない話のところには誰も行かないですよ。誰だってそうでしょう」と答えた。

「では、何で話が面白くないと思うのですか?」とさらに質問をした。

 この質問に対して質問者は答えに窮していた。 ここで答えに窮するというのが問題だ。今の日本の置かれた難しい立場を現している。
 世界中のみなが日本に興味を失っていることは日本人が十分認識している。ダボス会議でも、日本の政治家や財界人が話をするセミナーに参加する聴衆は極端に少なかった。

 では、何が原因でそうなっているのか。

「分からないことが分かっていない」
「問う力がない」

 これが、私とパルバース教授の共通の認識であった。

1000を聞いて100を知るユダヤ人  

 パルバース教授はユダヤ人である。そして私もユダヤ教に改宗したユダヤ人だ。私とユダヤの関係は、この連載の中で説明していきたい。
 ユダヤ人の態度で一番顕著なのは、「問い」を重視する人々であるという点だ。「問い」「質問」をしないことで何が起こるのか。
 日本では「1を聞いて10を知れ」と言われる。それが頭の良い子だと教えられる。ユダヤ人は「1000を聞いて100を知る」と言われる。日本人は「察しが良い」のにユダヤ人は「察しが悪い」。
 しかし、よく比べるとこうだ。
 日本人は1しか質問しない。その結果10しか知らない。 ユダヤ人は日本人の1000倍も質問する。その結果日本人の10倍も知る。
 
まことに対照的である。
 中野次郎というオクラホマ大医学部内科教授が40年ぶりぐらいに母校の神戸大学医学部で講演をした。講演の後、何か質問はないかと学生に壇上から言うと、しんと静まり返って誰も質問しなかった。あまりの静寂に耐えかねて、中野教授が「君たちはなぜ質問しないのか」と講演の後、学生に聞くと「質問したら失礼だからです」という答えが返ってきた。
 一方、ヘブライ大学で、ある日本の学者が講演した。質疑応答の時間に入るや、質問の嵐であった。予定を延長してやっと終わった後、「君たちはなんでそんなによく質問するのか」と日本の学者が聞くと、ユダヤ人学生は「質問しないと失礼だからです」という答えが返ってきた。
 日本では質問する子は悪い子と言われ、 ユダヤでは質問しない子は悪い子と言われる。家庭教育がまことに対照的だ。

発信できない日本人の危うさ

 自分の意見を発信できない。
 これは「質問しない」ことの裏側にある。かのパルバース教授もその通りであると言った。「日本の学生はまったく質問しない。日々それと戦っている。質問しない日本の生徒と戦っている」という。
 「質問しない」「議論しない」「反論しない」「発信しない」。
 そればかりか、最近は相手をシャットアウトし「問答無用」とやる。世界の標準からすると、非常に異質な存在だ。
 最後に冒頭に戻って、なぜ日本の経営者の話は面白くないのかを考えてみよう。「経済の話しかしないのだとみなが思っている。だから面白くない」。これがパルバース教授の意見だ。

「韓国や中国は経済・経済と言っているけれども、自国の文化に対して非常に熱心に海外に自信を持って発信しようとしている。だけど日本にはそれがない」
「岡倉天心や与謝野晶子、宮澤賢治のことを、その素晴らしさをまったく違う人種の人に、英語は下手でもよいからわかるように訴えることができますか。そういう話を経済の中に交えてプレゼンテーションができますか?」 
「日本の能でも歌舞伎でも何でもいい、自分がよいと思っている日本の文化について世界の人々に自信を持って語れる経済人がいますか?」
「だからなんですよ」

 と、この先生は答えた。

 確かに日本の一流の人で会社のトップになった人は、経営者として優れているかも知れないが、国際的な舞台においてまったく文化背景も言語も人種も宗教も違う人々に対して、日本文化というものを発信できる人は皆無なのではないか。
 日本の異質さを誇ることが、かつて繰り返された。
 しかし、世界の荒波の中で生き延びてきたユダヤ人の発想法という視点に立つと、その異質さが、非常に危険なものに映る。同じ異質さを持ちながら、折り合いをつけ、したたかに生き延びるユダヤと違う。
 孤立を進み始める、危うい異質さが現れている。

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