やめるクセ、やめないクセ

ご自由にお書きください。

noteを書こうとテキストボタンを押すとこう書いてある。

自分のモチベーションによって、どうとでも取る。

今日は「自由にってのがむずいんじゃ〜」とネガティブに捉えた。

書くことがないのである。書くことがないのに、とりあえず開くんだ。

開いても、なにもない。とりあえずキーボードを打てばいい。

文字なのか、なんなのか、fdsja@f[e

i 0ーあ「fdfw dさp@1¥ょw

こんな風になんとでも記号が並ぶのだ。

そして書いたことにすればいいのだ。

1日たりともサボってはいかんのだ。今まではすぐに、3日坊主にもなれずにさっさとやめてきた。いろんなことを辞めてきた。

辞めるクセがつくから、あまり辞めることはオススメできない。

でも、辞めないクセも問題ありだと勝手に思っている。

タバコを吸う、吸わない、やめる、やめない問題。

あれは間違いなくやめたほうがいいと思う。

なぜならわたしの父が36年間タバコを吸っていたことで、肺気腫、間質性肺炎など肺の病気が見つかったからだ。医師からは「タバコの影響大」と言われたそうだ。1日に2箱は吸っていたようで、しかし10年前にはやめていた。それでも36年吸った事実は変わらない。

やめなかった。お酒もやめなかった。しかしいまは両方ともやめている。病気が見つかったことが原因だが、意外とあっさりとお酒をやめた。

父もいろいろとやめてきた、諦めてきた人生だ。やめるということに関しては経験している。そんな父を強いなと腹の底から思う。

身近に、なにもやめずに、続けることが正義と言わんばかりの人がいたりする。続けることに意味がある。ごもっともだ。大半のことは続けるべきだと思う。わたしも続ける力が欲しい。

しかし、やめるということも意外と大事だよってことを知って欲しい。続けなかったことで見せてくれる世界も、どちらも間違いではない。どちらを選んでも素晴らしいものにしてやればいいのだから。

続けることが正義の人が、タバコを吸っている。やめないだろう。死ぬまで吸うらしい。そうか。それも一理あるんだろう。わたしの家族や身内であればなんとしてもやめさせたかもしれないが、知ったことではない。苦しむのはあなただ。まわりに迷惑かけながらどうせ苦しむんだろう。知ったことではない。吸いながら90歳くらいまで生きる人だっている。吸いつづけたらいい。わたしのまわりで吸わなければそれでいい。

と、みんな思ったりするもんだよ。だから、全部、自己責任。

自分の好きなように生きて、迷惑かけて、タバコ吸って生きたらいい。

わたしは、吸いたくないから吸わないだけ。迷惑かけても吸わないだけ。死んでも吸わないだけー。


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