「調べる」の活用、的な呟き
ググったら何でも出てくる時代です。
だからこそ余計に、検索したり、しなくても勝手に入ってくる情報に溺れがちな今日このごろですが、この辺のインターネットで得られることになった知識たちは集合知って言われているようです。
まぁ、3人寄れば文殊の知恵、の全世界版蓄積型ですか。
ただ、勿論の事ながら、調べたらわかるってことと、調べてもわからないってことがあります。
その辺について、こうだよねって思ったことでもメモがてらに書いてみます。
集合知のメリットは、正解があることがすぐ出てくることです。
この果物はなにか、この花はなにか。この虫はなにか。
子供の質問にも、言葉だけじゃなくてGoogleレンズとかで画像でも調べられますし、AlexaでもSiriでも、音声で調べられます。
これはめちゃくちゃ便利。
対して、集合知の弱点もあります。
それは、人それぞれの答えがある、正解のない問いは調べるほどドツボにハマることがあるという点です。
十人十色、じゃないですけど、プログラムの障害とかと違って、再現性、条件特定ができないような問。
例えば、好きな子に告白していいか、とか、今晩何食べようか、とか。
絶対的に正解がない問いは調べても答えはないです。
というか正確に言うと、まるで答えであるかのような断言する人や、自分にとって都合が良く信じたくなる答えってのも検索結果に出て来たりします。
「わからない」、が答えであることが、情報の洪水によって消されてたりしますね。
そして、まるで単純なことのように断言する人が説得力あるようになって、情弱ビジネスとかできるわけです。
とはいえ、じゃあ集合知参考にならないのかっていうとそうでもないです。条件が設定されていたら、確度は上がりますしね。
例えば車の運転とかでは、
事故らないようにする運転方法、とかは絶対なんてないです。相手もいれば自分の身体の状態もあれば車の状態も道の状態も、条件めっちゃありますし。
でも、逆に絶対に事故る方法っていうのはあるわけです笑
そう、こうしたら事故る、っていうのは調べられるんです。
正確に言うと、急カーブでアクセルを踏み込んでハンドルを思いっきり切ると、事故る可能性が限りなく高い、とか。(極端ですけど)
で、必ず失敗する条件の集合知を調べて、その原因をなるべく取り除いて、そこに運や実力が乗っかると成功しやすくなるのかなって思います。
失敗を恐れるなっていうのは多分この後の話なのかな、と思う今日このごろでした。読んでいただいた方ありがとうございます。
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