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親になにも期待されなくてよかった

姉、わたし、弟。

次女で真ん中っ子であることが、わたしの人生に与えた影響はそれなりにあると思っています。


というのも、わたしは両親から何かを期待されたという記憶がイチミクロンもありません。

逆に、長男末っ子の弟に対する期待(とくに母親)は大きく、幼少から習字、ピアノ、そろばん、塾、野球、水泳と数多くの習い事に通わせました。

父親が自営業でそのあとをつぐことを生まれた瞬間から背負ってしまった長男の運命よ。


一方、次女真ん中っ子のわたしは、何かをしてほしい、何かになってほしいと言われたことは一度もありませんでした。

習い事も自分から切望して、ピアノとそろばんを習わせてもらったけれど、さらに英会話に行きたいと頼んだときは、あっけなく却下。

子供の頃は、自分に対してなにも期待していない両親に物足りなさというか、さみしさを感じていたように思います。

しかし、今思えば、だからこそ自由に人生を選択できたし、何より親の期待に応えるための選択をせずに済みました。

(逆に悲しませる選択はしてきたかも。就職しなかったり、離婚したり.......)


とある友人が、誰かと付き合うときにどうしても父親が喜ぶ相手かどうかを意識してしまうと言っていました。

そんなチェックポイント、わたしには微塵もなかったし、もちろん今もない。(まだ結婚するつもりなんで)


さて、わたくし、ただいまぜっさん受験生の親でございます。

それを言うと「大変だねー」と言われますが、受験するのは娘なので、わたし自身はまったく大変ではありません。お金さえ用意してればいいのです。


でも、娘にどうしても行かせたい学校があったとしたら?


合格したらめちゃくちゃ喜ぶでしょう。

それはもちろん良いことだけど、過度な喜びは、娘に親の期待に応えることが本人のしあわせだと間違った考えを植え付けてしまうかもしれません。


もし落ちたら?


本人以上に落ち込んだ姿を娘に見せてしまう気がします。

それを見た娘は、わたしを悲しませたことに罪悪感を感じてしまうのではないでしょうか?


わたしは普段から

「ママを悲しませるのは、ママより先に死ぬことだけ。それ以外のことなら、自己責任でなんでも好きなことをしていいよ」と言っています。


”親より先に死なない”ことだけを親孝行と考えている、わたしの都合のいい持論ですけどね。


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