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情報が生み出す、ロマンチックで豊穣な世界 『首里の馬』

読んだ本:高山羽根子「首里の馬」(文藝春秋2020年9月号掲載)

まず大好きな作家・高山羽根子さんが、ついに芥川賞を受賞されたとのことでおめでとうございます。

【物語の内容】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小説の舞台は、沖縄県港川地区。順さんという老女が営む私設資料館で資料整理の手伝いをすることを中学生の頃からライフワークとしながら、世界中の訳ありな人々にオンラインクイズを出すという怪しげな仕事をする主人公・未名子。両親は他界し、残された家で一人、友人や親類もないまま「孤独」に暮らす彼女のもとに、台風と台風の合間の晴れに、宮古馬がやってくる。一度は交番に引き渡すものの(迷い馬に遭遇したら、確かに交番以外どうしたらいいかわかんないよね)、クイズを介して交流する人々の助言や、資料館の閉鎖などを経て、未名子は今度は自分の意思で馬を盗み出す。
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順さんが営む『沖縄及島嶼資料館』。ここには膨大な量の記録がある。研究者であった順さんが集めたものらしい。

資料館の中にあるものはほとんどが紙の資料で、内容は地域の新聞や雑誌の記事の切り抜き、聞き書きのメモ、子どもが授業で、または大人が趣味で描いたかの水彩スケッチ、一般的にはそうと判断しがたい記号で書かれた特殊な楽譜といったものだった。(中略)資料には紙以外のものもあった。たとえばこの地域に育つ植物の押し花だとか、様々な模様の昆虫の標本、鳥の羽根、古い写真とその原板となるガラス乾板、特徴的な模様の入った土器や布の切れ端といったもの。カセットテープには、地域に暮らす年寄りが不明瞭な方言でつらつらとしゃべる声や歌声が記録されていると教わっていた。

こうやって読むとすごく面白い所のようだけど、実際これらが何のキュレーションもなく山積みになった場所に入ったところで、嬉々としてそれらを探る心を持てるかと言われると難しい。ただの記録の山積み。主人公はこれらにインデックスをつけていく作業を、10数年、しかも仕事としてでなく、続けている。

自分自身、人間というものに興味が持てないのだと思い込んでいた未名子は、でも、順さんの集めた資料を見ることで、現在自分のまわりにいる人たちも、いつしか古代の欠片、新しい人たちの足もとの、ほんの一粒になれるのだと思えたら、自分は案外人間というものが好きなのかもしれないと考えることができた。

自分や大切な人が大きな流転のひとかけらでしかないと思うことは、多くの人々によって恐怖でしかない。しかし未名子が肯定的な感情を抱くのは、彼女の「孤独」こそが人間の本質であると言われるような気がするからかもしれない。
この齟齬は、世間における資料館の存在そのもの、そして順さんや未名子自身ともリンクする。
小説の初めから、資料館が近所の人たちにとって「怪しい」とか「不穏」だと見られていることは書かれている。さらに後半、順さんが亡くなった後、娘の途さんの独白でそれが明るみにでる。1960・70年代にかけて研究者から思想的コミューンを作る方へとシフトしていった母・順さんに対する途さんの複雑な想い。

だから若いころの私には、母が戦後のある一時期の、なんだかとても物悲しいすみっこに取り残された、あるいは日本の表舞台の後ろっかわに回ってしまった、呪いのかかった戦後の亡霊みたいに見えていたのかもしれない。亡霊みたいな母のまわりには、いつも亡霊みたいな人が集まっていて、互いに支えて、守りあっていたんだ。だから、私がなにか母を守る必要はないんじゃないかって思っていた。

順さんのコミューンは地下鉄サリン事件(のことかな?)以降、世間とは違う価値観で隠れるように生活している人々への理不尽な制裁によってなくなってしまう。
そして気がついたら南の島で一人ぼっちになっていた順さんのもとに不意に現れた、未名子の存在が二人の間の不穏な部分を再燃させたらしい。涙ながらに自分の想いを話す未名子に

「わからないことは怖いんだよ、多分、みんな。台風と一緒で」

と、世間を代表するように話す途さんは、台風の時に荒れ狂う海を見にいくのが好きだったともいう。

「(中略)予感のする海を見ることで心を無理やりざわつかせて、嵐の間じゅう、荒れる海の想像をしていたりして」

怪しく、不穏で、恐怖を掻き立てるものはこの小説にもう一つ出てくる。未名子の仕事である。雑居ビルの一角にある看板も出さないフロアにあるオフィスの真似事のような異様な空間。

二階にはなにをしているのかよくわからないけれど、サンライズ・ヘルス・サイエンスシステムという名前を聞くだけでなにやらうさん臭そうな組織であることが想像できる事務所があった。ときどき中からスーツを着た若い男女が数人、段ボール箱を抱えて出てくるのを見かける。ただ、彼らからしたら未名子しか出入りしない三階も、なんの仕事をしているのかわからない、もっとずっとうさん臭い事務所に見えているんだろう。

胡散臭いどころではなく、それが人々の恐怖の対象であったことは、古いパソコンの修理にくる業者のところへ訪ねて行った時にはっきりする。事務所へくる時は感じの良い彼は、突然やってきた未名子に困惑して言う。

「別に直接困ったわけではないよ。(中略)あのあたりでなにか起こったら、あんたんところがなにか起こしたんじゃないか、自分のせいじゃないかって心配になるからね。もうああいう変なところに行きたくない、行きたくねえよ」

世間の道理と少しズレた法則や価値観で生きる人々は、そう生きること自体が許されず、困難で、それが物語の中で浮き彫りにされるに従い、未名子が自分を「孤独」と言う意味、それは単に親しい友人や家族がいない、というだけでなく、彼女が生きる上で大切にしているものが世間では受け入れられずらい、ということへと拡張していく。オンラインクイズの解答者たちも世界各地(宇宙にいる人もいる)、それぞれ価値観も違う場所にいながら、それぞれ「孤独」に生きる人々で、彼らはその「孤独」を通じ合わすようにか細いながらの交流を育む。

そしてすごく面白いなと思うのが、この物語の中の「孤独」な人々が拠り所としているのは「知識」だというところ。クイズ解答者たちは、みんなすごく博識で(作中のクイズめちゃくちゃ難しい笑)、順さんのコミューンも「知識を蓄えること」に重きを置いていたという。

あらゆるところにいる誰もがーーもちろん自分もーーなにかの知識によって呪いにかかった亡霊だとも考えた。

知識、つまり情報。情報は単体では情報でしかないけれど、それらが積み上がることで世界が形成され、私たちはその世界で暮らしている。持つ情報が違えば住む世界が違う。だから持つ情報、知識が多いということはたくさんの世界を知ることでもある。たとえ、それが自分の暮らす世界と違ったとしても、知っていることは「怖」くないかもしれない。知らないから、という理由で排除しないかもしれない。
博識なクイズ回答者たちは、皆、もともと自分の住んでいた世界に居られなくなった人々だ。そして彼らは違う場所で一人、さらに知識を蓄え続けている。

未名子がクイズ回答者たちに最後に出題した、未名子のオリジナル問題。

にくじゃが まよう からし

私の解答は「未名子」!(違ったら恥ずいw にくじゃが食べる時にいつもからしをつけるかどうか迷うとか・・・未名子自身もまた情報の集積ということで)

未名子は、この世界の、あるひとつの場所をみっつの単語で紐づけて示すやり方があることを、しばらく前に知った。(中略)他の人から見ればただの文字や言葉だから、どういうふうにも隠すことができる。物語に混ぜることでも、あるいは何かの問題に姿を変えることによってでも。

だから、この小説にも誰かへのメッセージが込められているのかもしれない。そのメッセージを受け取ることができる誰かへ。
情報、というと無機質なイメージがあるけれど、この小説の中では、違う世界に暮らす人や大切な誰かと繋がるための言葉で、それはまさに、高山小説そのもののような。

舞台は、悲しい歴史の多い沖縄が舞台。積み重ねてきた世界(=知識)が破壊されては立て直す、を繰り返してきた場所。そんな土地の歴史の記録そのものであるかのような宮古馬に乗って、今の沖縄を記録しようとする未名子の姿が眩しいラストシーンでした。

追記
最近、芥川賞の作品読んでて思うんだけど、何度か候補に上がってようやく受賞した人の作品って、これまでの作品の答え合わせ的な感じがすることが多い。あれの方がよかったやん!とか個人的に思うことが多いけど、受賞したらたくさんの人に読んでもらうことになる賞だから、やっぱ分かりやすい方がいいのか、とか思ったりしました。

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