「かもしれない人間」になる
自動車の免許、お持ちですか?
私は大学2年?3年?の時に教習所に行きました。
大学1年の時に原動機付き自転車(いわゆる原付)には乗っていました。あれも専用の免許があって、よっぽどのことがないと落ちないんです。私は一回落ちましたけど笑。
私の残念な思い出話はいいとして、車を運転する時に気をつける〇〇運転というのがあるのをご存知ですか?ノロノロ運転とかスピードの話ではないです。安全運転というざっくりしたものでもありません。もっと思考法というか、考え方ですね。
対義語には「だろう運転」があります。これでピンとくる自動車免許の取得者が多いことを願うばかりですし、ピンとこなくても要は対義語ですので反対の意味を考えたらいいんです。なんでしょう。
もったいぶる必要もないのですが…せっかくなので引っ張ってみました。
「かもしれない運転」ですね。
ピンときていない方、大丈夫です。Wikipediaの説明を載せておきます。
こんな感じです。まあ言葉通りですね。
「大丈夫だろう」は事故に繋がるし、「人が飛び出すかもしれない」は安全に繋がります。
せっかくなので詳しく知りたい方はこちら
今日お話したいのは、車の事故に気をつけよう……ではありません。
保育の事故にはもちろん気を付けてほしいですが。
そういえば、保育の安全を守るための主任だよりを出した覚えがあります。探しておきますね。
ただ、
今日は安全管理のお話でもないんです。
今日は「人間理解」のお話です。
人のことを理解しようと思った時に「かもしれない」をどれだけ考えられるか。これは人格形成に関わります。
例えば、子どもがトラブルを起こしたとします。集団から外れてしまった、でもいいです。その時に「この子はこう考えたのかもしれない。」「こんなことが気になって注意が逸れたのかもしれない。」と思えるか、思えないか。
思えない人は叩いた、暴言を吐いた、集団から逸れたという事実(目に見える結果)にだけ反応して「それはいけないことだ」と言います。ですが、いけないことだなんて分かってます。分かりきっています。
本人だって「あ、関係ないこと考えてた」と思うかもしれません。大人だって研修中に窓の外を見ていたら話が進んじゃって…なんてことがあるでしょう。その時「まずい」と自分で思いますよね。子どもだってある程度の年齢になればそうなります。
その事実をただただ本人に伝えるのではなく、どうしてそうなったのかを考えた方が次回の対策になります。
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