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2歳半からの逆風

タイトルを凝ると、内容が分からないですね。

凝ったタイトルを取るか、分かりやすいタイトルか。

雪国の「ファッションを取るか、防寒を取るか問題」に似ている気がします。


今日の話は、多くの大人が気付かずに通っている道です。

私が自分の子どもを見ていて思ったことなので、説得力があるはず。

何かというと、

子どもは2歳あたりから褒められなくなる

です。

どうですか。共感してもらえますか。いまいちですか。

詳しくお話します。


なんでも可愛い時代

子どもには、何をしても「可愛い~」と大人にちやほやされる時期があります。乳児期です。

〇〇期と聞くと具体的な年齢や様子が分かりにくいので言い換えると、歩きはじめまでの期間です。

首が座るまでの時期、彼ら(赤ちゃん)は無抵抗で、されるがままです。

母から離れてギャー!なんてことはよくありますが、それも可愛い姿として大人はニコニコとします。

ちなみに、これは私の作り上げた記憶なのかもしれませんが、私にはベビーベッドに寝かされて上から祖母に声をかけられている記憶があります。

記憶、というには不鮮明な、でも「あらあら泣いてるどうしたの」的な音声もあるような、ないような。

自分が赤ちゃんの視点ってこんなのかな、とイメージしたものなのか本当の記憶なのか。どうやっても調べられないものですが。


話が逸れました。

結論、首が座るまでの子どもは、赤ちゃん言葉の大人にちやほやされます。


次にハイハイまでの時期。

これはこれで、ちやほやされます。

寝返りをし、一人で座り、一人で移動し始める。

写真を撮る機会が一番多い時期な気がします。

よだれが出ていても可愛いですね。

口におもちゃをくわえては、写真を撮る大人。

…馬鹿にしているように読めたらすみません。

馬鹿にしていません。私もそうでしたので。可愛いですよね!

結論、座ったりハイハイしたりする子どもも、ちやほやされます。


さあ、いよいよ立ちます。

つかまり立ち、初めて歩く一歩目。感動です。

大人は子どもが立つたびに騒ぎます。歩くたびに手を叩いて喜びます。

大人は嬉しくてたまらないですし、そんな大人を見て子どもも嬉しいことでしょう。何度も何度も立ち、歩き、拍手をもらいます。


風当たりが変わる

すっかり歩けるようになると、危険が増えます。

例えば階段があったり、外で自分の好きな方向に行ってしまったりします。

すると、このあたりから変化が出てきます。

「あぶない。そっち行かないの。だめ。」

怪我をすると大変ですし、命の危険も出てきますから、注意をしなくてはいけません。

至極当然のことです。


ただ、まだまだ出来なかったことが多いので、階段を見守られながら上ったり大きな公園で手を繋いで散歩したりと、初めての体験に大人はドキドキとワクワクです。


さらに成長すると、自由に走り回るようになります。

身支度でいうと、服の脱ぎ着を自分でできる(ことがある)、靴下を自分ではく(ことがある)、ご飯を自分で食べる(ことがある)あたりでしょうか。

まだまだ毎回できるわけではないですが、自立してきます。


このあたりです!私の伝えたい逆風の時期!


自分でできる(時がある)あたりから、大人は急に「もうできる」と思い込んでしまいます。カッコの中があるのに。

成功確率はあまり気にせず「できるからやりなさい」となります。

子どもは自分のペースで成長・上達してはいますが、いきなり10回着替えをしたら10回自分でできるわけではありません。

それでも大人は「昨日はできたんだから」と子どもの力でさせようとします。

つまり、自分でできる時とできない時の違いは本人のやる気による、と考えてしまうのです。


…大人が悪いという立場で書いていますが、私も大人なので分かります。子どものやる気がない(ように見える)時はあります。

ですが、まだ上手くいかない時もある時期に「できない=やる気がない、頑張っていない」と私は思ってほしくない! ということです。


こういったことが、日常の色々な場面で起こります。

買い物でちょろちょろ、食事、着替え、お風呂、トイレトレーニング、靴を履く、などなど。

しかも、子どもは言葉を手に入れ、小言を言い出します。

できないと泣きます。大人にはイライラと疲れが溜まる…

大人は前に何回か出来たからと「自分でやりなさい」と言います。

ちやほやされていた時の肯定的な関わりは遠い過去のものに…


しかも、この時期には階段を危なっかしく上ったり公園デビューをしたりした頃の初めてのドキドキとワクワクはめっきり減ってしまいます。

初めての物事が減りますからね。これは仕方ない。

幼稚園デビューなどもありますが、階段を上るヒヤヒヤ感とは少し違うかなと思います。成長と社会への進出の差かな。

ドキドキワクワクがないと、肯定的な褒めや承認も少なくなる…


子どもに逆風が吹き荒れています。


当たり前の怖さ

出来るようになったことを改めて褒めることって、あまりないですよね。

歩ける子に「歩けたね」とは言わない。もう歩けるんだから当たり前。

箸が上手な子に「箸が上手だね」とは言わない。もう上手なんだから当たり前。

車を運転できるようになった若者に「運転できるね」とは言わない。もう運転できるんだから当たり前。


人が成長・上達することは「当たり前」が増えることなのかもしれない。


と思っていると、私は危険だと思います。

当たり前が増えると、人を認めたり、褒めたり、感謝できなくなるからです。

また、当たり前と思い始めると、子どもの成長を大人と比べてしまうことが増えます。

そうなると「それは出来るようになって当たり前」となり、出来ないことがおかしいと考え始めます。いかん。


まとめ

ちやほやされることで周りから愛されていることを感じていた子どもたちが、ある時期から「当たり前」の逆風にさらされるお話をしました。


私は子どもが毎日できることでも、というより、いつも出来ていることが出来ない日にも「できて当たり前なのに」とマイナス評価をしません。

今日はまだ眠たいのか?熱が出る前触れか?週末だから甘えたい日か?わざとゴネて注目してほしい日か?

など、理由を考えます。


あとは「今日は出来なくてもいいか」と考えます。

まだ練習中のことについてもそうですし、いつも出来ていることが出来ない時も同じ考え方です。

だって、明日は出来るかもしれないから。



誤解のないように一応書きますが、

私はなぜ出来ないのかを理論的に、部分的に、詳細に考えます。

一方で、長い人生の一日と大局を見ます。どちらもしています。

理論的に、部分的に子どもを見る話も書こうと思います。大学で学んだ特別支援教育の知識ですね。


あと、今日の全てのことは後輩指導に繋がります。

子どもを後輩に変えて読んでみてください。

では、今日もありがとうございました。





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