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幼稚園教諭的こどもを見る視点

今日は息子と図書館に行きました。

その時の様子から、普段私がどのように子どもを見ているかを解説してみます。

我が子だから、ではなく、すべての子どもをこう見ています。


図書館でのやりとり

まず、やりとりの流れを書きます。

どこがポイントなのか予想してみてください。



やまも「今日は何冊借りる?」

子「うーん…100冊!」

やまも「なるほど。たくさん借りたいね。ただ、かばんに入りきらないから、かばんに入る量だったらどうする?」

子「うーん…5冊」

やまも「わかった、5冊ね」

~絵本を吟味~

子「この本とこの本、気になったから観察してくる」

~絵本を吟味~

子「これとこれも借りる。いま何冊?」

やまも「…」指で4を示す

子「4…あとひとつか」

~紙芝居を吟味~

~借りる手続きをし、かばんに入れる~

子「重っ」と言いつつも自分の本は自分で持つ


ポイントの予想を立てました?

立てたら次を読んでください。


やりとりのポイント

ここからは私の思いと視点を書きます。


最初の「今日は何冊借りる?」は、子どもが自分のことを決めるのを大切にした質問です。「今日は3冊ね」と伝えるより主体的に本を選んでいくことができます。また、自分で決めたからには6冊7冊とゴネないです。


「なるほど。たくさん借りたいね。」は、子どものユーモア(ふざけ?)に一度ポジティブに受け止める姿勢が入っています。冗談を言って冷たく返されたら、大人でも辛いです。子どもが本気で言っているなら、なおさら一度まっすぐ受け止めたいものです。

まっすぐ受け止めた上で「ただ、かばんに入りきらないから、かばんに入る量だったらどうする?」と現実的な数字を再質問しました。100冊借りたい願望と現実に持てる量を擦り合わせました。かばんは大きさが目に見えるので、そこから冊数をイメージする見通し力も測れます。

もしかばんを見た上で20冊と答えたなら、まだ見通しやイメージが湧いていない時期です。それはそれで「なるほど、今はそのくらいか」と受け止めます。今日は5冊という現実的な数字が出たのでスルーです。


「この本とこの本、気になったから観察してくる」の”観察”という表現、間違っているがユニークです。”見てくる・読んでくる”と言った方がよっぽど言いやすいのに、なぜか観察。教育者としては面白エピソードですが、言葉が変に育ちすぎて心配もしている今日この頃です。#親心


やまも「…」指で4を示す。 子「4…あとひとつか」

この流れは、いろいろなことを考えています。言葉でなくわざと指で4を示しました。すぐにわかるかどうかを試しました。結果は分かっていました。まだ分からない場合は、私の指を一本ずつ数えたり自分の指で真似してから数えたりします。パッと見て分かるくらい理解しているんですね。#嬉しい

そこからもう一つ、「あとひとつか」とあります。この言葉は5冊という数字と今4冊という数字の関係性を頭で理解していないと言えない言葉です。「4に1足したら5で、今日借りる数と一致する」がすぐに思い浮かんだんですね。これはすごいですね。#嬉しい

もしかしたら「あと何冊?」と聞いてくるんじゃないかと予想していた私にとっては、嬉しい誤算でした。#とにかく嬉しい


最後は重いながらも自分の本を持つ。10の姿の自立心ですか?これはちょっと分かりません。誰か教えてください。


まとめ

生活の一場面から幼児教育や保育に携わる人の視点が見えたかと思います。


ただ、勘違いをしてはいけません。

全ての親がこんな目で子どもを見ません。

#個人的には大人全員この視点で見てと願う


なので「変わった人もいるもんだ」という結論で終わってください。

#変態



あと一つだけ。

保育現場では、今日のような視点を15人や20人に対して毎日、毎時間、毎秒しないといけません。

そういう仕事です。すごいでしょ。

プロですから。


今日は以上です。ありがとうございました。


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