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#10 「その瞬間に100%で取り組む」世界65カ国以上を旅した磯田浩司さんが語る言葉。「たくさんの場所に足を運んだ経験が、自分の生きる力になる」

for 20's第10回目のインタビューのお相手はNPO法人good!(グッド)代表の磯田浩司さんです!磯田さんが代表を務めるNPO法人good!は、若者が日常の枠を超えて、それぞれの素晴らしい人生を見つける手助けをすることを目指す団体。現代社会の様々な問題に対処し、若者たちが価値観や視野を広げる機会を提供しています。2001年に任意団体として設立され、2008年にNPO法人化をされました。主催するワークキャンプは2023年8月に200回を達成し、団体は成長を続けています。

そんな磯田さんに、20代の羅針盤となるような経験談やマインドセットを聞いてきました。

【磯田浩司さん】
1972年生まれ、東京都出身。学生時代から旅の魅力にとりつかれ、現在までに訪れた国は65ヶ国を越える。一般企業での就職を経験した後、市民活動やNGO活動、合宿型のボランティアであるワークキャンプなどに関わるようになり、「日本の若者たちにもっとたくさんの世界を感じてほしい!」という思いで、2001年1月にNPO法人good!を設立。

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<聞き手・ライター:桝井孝一・金子圭介>



1. 20代前半の経歴

「とりあえず」ではなく、本当に「人生一回しかない」と思って取り組む


for20's第10回目の取材のお相手はNPO法人good!代表の磯田浩司さんです!本日はどうぞよろしくお願いします!(インタビュワー・桝井)

ありがとうございます!よろしくお願いします!(磯田浩司さん)

早速ですが磯田さんは20代前半の頃どのように過ごされていましたか?

20代前半は大学生としての生活が中心でした。当時、海外への思いが強かったことから英語を専攻していました。同時に、小学生から中学生までの間生きづらさを経験したこともあり、心理学についても興味がありました。

生きづらさというのは、どういったご経験の中で感じたのですか?

具体的には、小学校で猛烈ないじめがあり、皆が流されて加担していたり、見て見ぬふりをしたりしているのが許せなかった。私がいじめの対象になったわけではなかったのですが、それを止めに入った後に、猛烈な居心地の悪さのようなものを感じていましたね。それを払拭しようと、自分自身で何が正しいのか、何が悪いのかを理論立てて考えるようになりました。理論武装するようになったんですね。その影響で中学生くらいまでは、人を見た目で判断することが多かったのですが、10代後半の頃にさまざまな出来事があり、人は話してみないとわからない!と強く思うようになりました。

そうですね、見た目で判断するよりも話してみてから”人となり”を感じることは多いですよね。

高校以降、それまでだったら敬遠していたようなタイプの人たちにも関わってみることで、自分の考えの幅も広くなり、人間関係がより楽しくなりましたね。人の心の在り方に興味が出て、大学で心理を学びたい、という思いもあったのですが、思い込みの強い自分が心理を学ぶことが、その偏見を助長することになるのでは、と思い直し、まずは世界を広げてみよう、と、英語を専攻することにしました。

確かに話せる言語が増えることで、国内だけでなく海外まで人間関係が広がりそうですね。

はい。でも、大学に入ってみると、学問としての英語と、私の学びたかったことのギャップに気づきました。私は英語を話せるようになりたいけど、英語の先生になりたいわけでも、文学に興味があったわけではなかったんですよね。それでも、大学内を見回すと、大学には全国からさまざまな経歴でやってきている人がいました。これは面白い、この人たちとつながれる仕組みが欲しい、と思い、体育会系の人から文化系の人まで、いろんなタイプの人間が広く関われるようなサークルを作りました。結果、150人ほどが所属する、大学で最も大きいサークルになり、毎日、毎晩のように、たくさんの人と語り合うことができました。

大学で最も大きいサークルを立ち上げられたんですね。海外への興味の部分で、留学などにも行かれたんでしょうか?

留学は、大学2年時にアメリカのワシントンDCに行きました。アジアの国々には興味がなく、将来はアメリカやヨーロッパで仕事がしてみたい、とも思っていたので、アメリカでキャンパスライフを送れることにウキウキしていたのですが、イメージと現実は大きくかけ離れていました。クラスメイトは非英語圏からのメンバーがほとんどで、アメリカ人の友人もなかなかできず、最初の一ヶ月くらいは悶々として過ごすことになったのです。そんな時、転機になったのが、アラブ人のクラスメイトとの他愛のない会話でした。「アメリカ人は自分たちが一番だと思って、他国のことを学ぼうともしない」という彼の言葉に強く共感し、そうだそうだ、と盛り上がっていたのですが、「彼らのアラブのイメージは、ターバンと砂漠とオアシスくらいだ」と言われ、絶句…。なぜならそれが正に自分のアラブのイメージだったからでした。自分の中にある強い偏見に気づくことになったのです。自分の国が一番だと思って、他国のことを知ろうともしていなかったのは、私自身だったということに気づかされたんですよね。衝撃的でした。

なるほど、私も文化まで知っている国や地域は少ないかもしれないですね。

そうなんですよね。また、留学生のタイ人の一人に留学した理由を尋ねたところ、「自分は貧しい家庭の生まれで、留学できたことも奇跡だと思っている。そして、この奇跡を決して無駄にしたくない。このアメリカで学べることをすべて学び、それを持ち帰って、どうにかして祖国を豊かにしたい」という答えが返ってきた。自分の考えていたこととスケールがあまりにも違うことに驚き、衝撃を受けました。どんな国で育ったらこんな風に思えるようになるのか。彼の国を見に行ってみたい、と強く思いました。その後もそんな風に思えるような出会いがいくつもあって、帰国後、バックパックを背負ってアジアを中心に、旅をするようになりました。

国を変えるまでの覚悟を、当時大学生の方が考えられているのはすごいですね。最初はどの国から行かれたのですか?

その留学生の話が印象的だったこともあり、タイに行きました。大学のゼミで、山岳少数民族の調査旅行の募集があり、タイ、ラオス、ミャンマーを3週間旅しました。中でも印象的だったのは、象に乗ってしか行けないような北タイのジャングルの奥の集落です。子どもたちは裸足で走り回り、大人たちは皆ニコニコしていて、想像の景色とは全く違うことにまず驚きました。高床式で竹づくりの家には電気もガスも水道もなく、夜は動物の声しか聞こえない。こんなところに泊まるのか、と驚いたのは最初だけで、中に入ってみると、その自然と調和した生活がとても快適でした。貧しくてかわいそうな村を想像していたのに、そこにいたのは、自然と共にある豊かな暮らしでした。鉈一本持ってジャングルに入れば、何でも作れてしまうし、生きている豚をさばいて食べることもできる。そこでたくましく生きる村人たちの、生きる力の強さにとても衝撃を受けました。自分の中の価値観がどんどんひっくり返っていくことが新鮮で、貧しい村の人に何かしてあげるつもりだった自分の方が、たくさんのものをもらったような気持ちでした。

日本に帰ってきた時のギャップも感じられたのではないですか?

日本に帰ってきた時が朝の通勤ラッシュの時間だったのですが、その光景がカルチャーショックでした。私はかわいそうな発展途上国の、さらに貧しい山岳少数民族の村から、世界有数の先進国日本に戻ってきたはずなのに、満員電車に乗っている人々は皆辛そうな顔をしていたんですよね。あの村では、皆が幸せそうで、いつも楽しそうに笑っていたのに。また、スーパーに行くと、綺麗にパックされた食べきれない量の食品が並んでいる。それまで、何の疑問も持ったことがなかったその風景が、なんだか不自然に見えました。村では、必要な命を必要なだけ食べていたけど、この食べきれない食品たちは、みんな捨てられてしまうのか、と思うと、なんだかやりきれない気持ちになりました。本当の豊かさとはなんなんだろう、と考えるようになりましたね。もっともっと、世界を知らなくてはいけないと思い、アジアを中心にさまざまな国に行くようになりました。

豊かさとは何かを考える機会は少ないですが、特に朝の通勤ラッシュを目の当たりにするとあまりのギャップに意識が追いつかなくなりそうですね。大学生であったこともあり、就職活動もされたのですか?

就職活動もしていたのですが、当時は旅が面白かったこともあり、あまり一生懸命やっていたわけではありませんでした。それでも、実力があればすぐに昇進できる、という社風に魅力を感じ、ベンチャー企業に内定をいただきました。ところが、卒業間近の2月頃、その会社が成長のため、かなり汚い営業をしている、という話を聞き、内定を辞退。そこで、初めて大学の就職部に相談に行きました。そこで紹介されたのが秋葉原にあるコンピュータ販売店。パソコンなど自分には不要だと思っており、秋葉原という街にも一切興味が持てなかった私が、その会社を受けるどうかを決めるタイミングで、「これから世界で成功するためにパソコンを使いこなすことはマストだ」という話を知人から聞かされ、それまで、「自分はどんな世界でも生きていける」、などと豪語していたのに、その会社には、当時の自分にとっての苦手分野が満載ではないか、ということに気づいて、これはこの会社に飛び込むしかない、という結論に至り、入社を決めました。

あえて、自分の苦手分野の業種の企業に入社されたんですね。その後、どんな業務内容に携わったのですか?

当時の店長に、店長候補として育てるから、まずは裏方から知れ、と、倉庫に配属されました。あの時の体験は、私の人生の中でもとても重要だったと思います。上司はとても気難しい人で、人間関係ではとても苦労しました。日も入らない倉庫で日々段ボールと伝票に向き合い、上司にはボロカスに言われ…。社会とはこういうものなのかと、諦めに近い感情にもなっていたと思います。そんな時、高校時代の後輩に発破をかけられ、こんなところで負けてたまるか、と火が付きます。まずはその上司と、どうやったら仲良くなれるかを考えることにしました。どこに行くにもついていき、言われた仕事はとにかくできるようにしました。徐々に気に入られるようになり、職場での居心地は一気によくなりました。会社の業績もよく、待遇も悪くなかったので、その会社にそのまま居るのも悪くないかも、と思えるくらいになっていました。

自分で居心地の良い環境に変えていったわけですね。やはり社会人になると時間がなくなり、旅はしていなかったのですか?

有給休暇を使って、マレーシアのジャングルに行ったりしていました。でも、そうすると、やはり、ずっと秋葉原の店舗で働き続ける人生でいいのか、という思いが湧き出てくるのです。自分はどこで、誰と、どんな生き方をしたいのか。「地球一周の船」と書かれたあの、よく貼ってあるポスターを初めて見たのはそんな頃です。ポスターを見てから出航まで1ヶ月。「3ヶ月も何かを休んで地球一周する人が300人も乗っている船なら、一生付き合いたいと思えるような面白い人が一人はいるだろう。その人との出会いの為に、会社を辞めて、船に乗ろう。」そんな風に、最初の会社を辞めることを決めました。24歳の時でした。

激動の20代前半ですね。そこからまた旅生活が始まる形ですね。

そうですね。シンガポールからシンガポールまで地球を一周する、という船で、0歳から80歳まで、乗客は360人ほどいました。夕食の時などは毎回違う人たちと一緒になるのですが、ある車椅子の40代くらいの方とお話をした際、養護学校では英語を勉強する機会がなく、英語を学べなかったことが今でも悔やまれる、というお話をしていて、英語をABCから教えてくれないか、と頼まれたんですね。そこで、空いている部屋で毎日基礎英語講座をやり出したら人気になり、おじいちゃんおばあちゃんにとても喜んでもらいましたね。

船の中で講座を開かれていたのですね。360人の共同生活の中で、様々な方がいたと思うのですが、その環境からどのようなことを学ばれたんですか?

人生は一度しかないのだ、というのが、最大の学びでだったと思います。そんなこと、知っていたはずなんですけどね。例えば、30代でも「君はいいよね、楽しそうで。僕なんか…」といつもネガティブな人もいれば、逆に50代60代でも、自分の生きがいや人生をキラキラした目で語る人もいる。人は年齢で歳をとるのではなく生き方で歳をとるんだ、ということを強く感じました。将来の夢は特になかったものの、何歳になっても目を輝かせていられるような人生がいいな、と考えるようになりましたね。それまでの人生の選択のタイミングでは「とりあえず」と考えていたけれど、それによって人生決まってしまう。そして、その選択は二度とやり直せない。人生本当に一回しかないと思って取り組まなくてはもったいない、と考えるようになりましたね。

2. 20代後半の経歴

現在の活動の根底にある2つの軸


その後、20代後半はどのように過ごされていましたか?

当時の私にとっては、船で出会ったNGO的な世界との関わり方がとても新鮮に感じました。それまでも世界中旅をしていましたが、それが、NGO的な関わり方で現地に入ると、見える世界がまったく違うことも大きな発見でした。そして、世界には私の知らないたくさんの問題があり、それに取り組んでいる人たちがいることもわかりました。そんな出会いの中で、自分には何ができるのかを考える機会が多くありました。自分が本当にしたいことは何なのか。そこで浮かんできたのは、悩める若者と関わる仕事がしたい、ということと、アジアの国々と関わる仕事がしたい、ということでした。

若者に関わること、アジアの国々に関わること。その2つが浮かんだんですね。その後、どのような活動をされたんですか?

25歳の時、初めて「ワークキャンプ」という活動に参加しました。内容としては、フィリピンの小さな村に3週間滞在しながら井戸を掘る、というものだったんですが、それがとんでもなくおもしろかったんですね。村で暮らしながら、村人と同じ目線で活動する、というのが本当に新鮮で楽しかったのです。働くことは、自分の人生を削ってお金に換えることだと思っていたのですが、お金を払って労働しに行っている、という時点で矛盾なんです。それでも、現地が必要としていることの為に汗を流すことが心地よく、村人や参加者たちと井戸を完成させた時には、みんなで大騒ぎして喜びました。ワークキャンプというプロジェクトを通じて、仕事に対する今までの感覚がひっくり返ったような気がしました。それが、今もgood!で行っているワークキャンプの原体験でしたね。

今の磯田さんの活動はそこからきているのですね。その後はそのまま海外を回られたのでしょうか?

いえ、その後は日本に帰って、自分はこれから、誰とどこで何をして生きていくのか、ということを考えていました。悩める若者と関わる仕事がしたい、と言っても、浮かぶのは先生かカウンセラー。心理学には興味があったけれど、26歳から受験をし直し、何年もかけて本当に勉強したいのだろうか。自分が本当にどうしたいのかを確かめるために、現場に入ってみたい。どうやったら、現場に入れてもらえるのだろうか…。そこで出会ったのが、1年間ボランティア、という取り組みでした。課題のある場所で、1年間ボランティアとして働く。給料は月に3万円。私が選んだ活動先は、全校生徒300人中200人が元不登校という大分県にある私立の高校。全寮制だったその学校の学生寮に1年間住み込んで舎監として働きながら、英語や体育などの授業の補佐をしていました。

ボランティアで学校の先生とは、すごい転身ですね。そこで何か印象的なことはありましたか?

不登校の理由は本当に人それぞれで、それこそいじめを受けた子や学校の先生と合わなかったといった子もいたのですが、文化祭の前に盲腸になり、戻ってきたら周りのノリについていけなくなったなど、不登校の理由は本当にさまざまでした。そこで、子供たちの話を聞いているうちに、これは特別な子だけが陥ることではない、と感じるようになったんですよね。常に空気を読み合い、本音で語り合う機会などない。常に出る杭にならないように心がけ、誰かの求める正解を探し続ける。自分の考えが何なのかさえ分からなくなっている。日本では、誰が不登校になってもおかしくないような状況なんだな、と感じました。どうやったら皆が元気になるかを考えた時に、何より自信をつけさせることや、何かに興味を持たせることが一番だなと感じました。

興味の持たせ方ですか!どうやって教えられていたんですか?

私の専門は英語だったので、英語の授業をするのですが、中学校にまったく行っていない子も多く、英語が苦手な子が多かった。そこで、スライドを見せながら旅の話をして、そこで生き抜くための英語表現を教えたんです。いつもはやる気なさそうに聞いている生徒も、授業時間が終わると目の色を変えて「先生、さっきの話本当?」と興味津々で聞いてくるんですよ。これだ、と思いました。あのジャングルの村に連れていきたい。あの美しい大自然の中の村に立ち、力強く生きるあの村人たちと出会えば、きっと彼らも変化する。さすがに現役の高校生は連れていけなかったので、その子達が卒業した時、私が28歳の時に彼らを連れてタイの東北部の村を訪れたのが、good!の第一回目のキャンプになりました。それまですぐに「だるい、きつい、面倒くさい、無理!」と言っていた生徒たちが、日に日に変化していく姿を見ました。いつもだったら絶対に尻込みするようなことにも挑戦し、村を出発する時にはホームステイ先の家族と涙を流して別れを惜しんでいる。夜に焚き火を囲んで話をすると、腹を抱えて笑いながら、本音で語り合う。こんなに短時間で、人はここまで変わるのか、と、本当に驚きました。

ボランティアはお金は出ないけどさまざまな経験ができるので楽しいですよね。元々軸とされていた、若者が変わる瞬間を間近で見れるのは嬉しいことですよね。

私がやりたかったのはこれだ、という感覚がありました。若者が変わるだけでなく、彼らを受け入れてくれた村の人たちも本当に喜んでくれていました。関係がwin-winなんです。大分の学校から東京に戻った後、ボランティア関係の事務局のお手伝いをしながら、団体立ち上げの準備をしました。ボランティアで出会った仲間たちの助けも借りて、2001年、NPO法人good!を立ち上げました。

3.大切にしている価値観や考え方

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


磯田さんがこれまでのご経験の中で、大切にしている価値観や考え方はありますか?

私が出会ってきた魅力的な人たちがそうであったように、包容力のある、謙虚な人間でありたい、と思っています。好きなのは、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉。若くて中身のない稲穂はピンピンしているのですが、実が詰まってくると、しっかりと頭を垂れるようになる。本当に実力のある方ほど、謙虚な方が多い印象があるので、自戒を込めてよく思うようにしています。あと、いろいろなことに感謝ができている人は、幸せそうな方が多いなと思いますね。

表情から行動に変わることも多いですもんね。謙虚さを心がけるようにします。

4.困難な壁にあたったときの対処法

その瞬間に100%で向き合う


これまで困難な壁にあたったときに、磯田さんはどのようにそれを乗り越えられてきましたか?

考えても変えようのない過ぎてしまったことについては、考えないようにしています。元々、ぐるぐると考えやすいタイプだったんですけど、高校時代に、いろいろなことにこだわらず、さばさば生きている友人がいて、なんだかぐるぐる考えている自分がカッコ悪いな、と思うことがあったんですよね。そこで、考えてもどうしようもない昨日より前のことと、どうなるかわからない明後日以降のことは考るのを止めようと思ったんです。すると、余計なところに気を取られることがなくなり、その瞬間や、目の前の人に集中できるようになって、パフォーマンスが上がったんですよね。今この瞬間に100%集中することを心がけています。

確かに、後悔しても時間は戻らないですもんね。

また、これは本か何かで出合った言葉なのですが、「反省はあっても、後悔のない日々を」という言葉は心がけています。ぐずぐず後悔していても始まらないので、具体的に反省して、次に活かす。失敗することもあるけれど、しっかり反省するべきところを反省し、次に活かしているので、あまり、失敗してしまったなぁ、とネガティブな感情になることがないのかもしれません。自分ができること、できないことはもちろんあるので、自分のできることは100%で取り組むようにしています。どんな場所でも、文句を言い続けている人と、楽しんでいる人がいる。どうせならどこにいても楽しんで、笑っていられるような人間でありたいと、心がけていますね。

5.今の20代のメリット

情報に溢れている時代


磯田さんが思う「今の20代のメリット」ってなんだと思いますか?

情報が溢れていて、すぐに調べられることですかね。でもそれは、デメリットと表裏だと思います。

6.今の20代のデメリット

わかったつもりになってしまう


磯田さんが思う「今の20代のデメリット」ってなんだと思いますか?

便利さを求めるあまり、豊かさを見失っているような気がします。人類は幸せになるため、便利な世の中を求めてきたと思うんですね。でも、便利になって、本当に幸せになっているのかな、と思うこともたくさんあります。スリランカでは今でも川で洗濯するんですが、その川で、お母さんたちが楽しそうにおしゃべりしているんです。噂話や悩みごとの相談なんかもしています。いわゆる井戸端会議ですよね。そんなコミュニケーションの代わりを、SNSが担っていると思うのですが、それで皆が便利で幸せになっているかというと、それも違うと思っているんです。井戸端会議なら、そこで別れたら終わりですけど、SNSは寝る瞬間まで離れることができない。寝る瞬間まで、みんなが求める自分像を演じ続けなきゃいけない。自由じゃないんです。海外のプログラムではスマホは使えません。行く前は「スマホなしの生活が不安で仕方ない」なんて言っていた若者たちが、数日すると、「スマホがないって、こんなに自由なのか」って言いだすんです。「こんなに空を見上げたことがなかった」とか、「話している目の前の人に、こんなに集中したことがなかった」とか。

コミュニケーションの形式も変化してきていて、うまく自分の中でコントロールして使いこなすのも大変ですもんね。

あとは、ネット上に溢れる情報を見て、わかったつもりになってしまうことが多くあると思います。映像で見たことと、実際に経験してみることは、まったく違う事なんです。旅をすることも、誰かが撮った写真と同じ景色や食べ物の写真をアップするために撮りに行くことが目的になってしまっているような気がします。本当の豊かさとは何かを考えた時に、そういったことをひっくるめてデメリットになるのではないかと思います。

7.20代の自分に伝えたいこと

やりたいことをどんどんやる


磯田さんが20代の自分に伝えたいことはありますか?

やりたいことはどんどんやれ、といいたいです。私は大変だった時期が早かったので、20代の頃は好きなことをやりたいようにやっていたのですが、それでも、まだ先でいいや、とか、これはもうちょっと稼いでから、とか先延ばしにしてしまったことがあると思います。とにかく、思いついたことは全部やる。それがあったから今があると思っています。

8.20代にオススメしたいモノやこと or ご自身が影響を受けた人やモノ・コト

生の言葉ひとつひとつを大切に


いよいよ最後の質問なのですが、20代にオススメしたいモノやこと or ご自身が影響を受けた人やモノ・コトなどありますか?

私が影響を受けたのは、人生の中でさまざまなタイミングで出会った人たち、そして言葉たちだと思います。中学生の頃に出会った大嫌いだった大人に言われた「お前は殻が硬い」という言葉も、当時は理解できなかったのですが、数年後に自分はなんでもわかったつもりになってしまっていたんだな、と思うことがあって、腑に落ちました。船に乗っていた時に出合った「生き方で歳を取る」という言葉も、今も私に影響を与え続けていると思います。

調べたことではなく、自分が直接言われた"生の言葉"は受け取り方が違うと思いますね。

いろいろな場所で、かっこよく生きている方々の言葉には背中を押されてきたと思います。是非みなさんも、かっこいい人に出会ってください。それから、自分が「絶対に無理だ」と思っていたことが無理じゃなくなるような経験をしてほしいと思います。自分の中のストライクゾーンが広がることは、人生が豊かになることだと思います。世界は広くて、いろんな生き方をしている人がいます。いろんな世界を見て、いろんな人に出会って、いろんな体験をしてほしいなと思います。

学生時代のお話からNPO法人good!の立ち上げ、そして20代へのアドバイスやマインドセットなど、20代にとって勉強になる情報をいくつも教えてくれた磯田さん。

個人的には、「その瞬間に100%で取り組む」といった考え方に感銘を受けました。過去や先のことを考え、その計算のもとに活動することもあったのですが、その瞬間に全力を出し、さまざまな生の体験をする機会を増やしていきたいと感じました。

〈取材・文・編集・写真=桝井孝一・金子圭介〉

磯田さんのSNS一覧
Instagram:https://www.instagram.com/npogood/

NPO法人good! 
HP:https://good.or.jp/
facebook:https://www.facebook.com/goodcamp/
X:https://twitter.com/goodcamp


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