甲子園中止について
今回は、サッカーとは違った話題。
夏の甲子園中止について書きたい。
サッカーも野球もスポーツであり、観る者を魅了する。
それは選手たちが、目の前の試合に勝つために全力を出し切るからということで
その究極なのが、夏の甲子園であろう。
己の野球人生、高校生活全てをかけて甲子園を目指す。
全員が甲子園を目指してるわけじゃない、甲子園に行きたくて野球をやっているでもない、
なんなら野球が好きで野球をやっているわけでもない そういう人たちもいる。
だから一概に甲子園中止で、嘆くんじゃない、全体を見て者を語ろうと意見もある中で
私はどうも腑に落ちない。
大人たちの手で、子供たちの夢が潰されてしまったとも感じる。
そもそも高校野球連盟は、甲子園を開く上で子供たちの教育のためとか未来をつくるためという建前で毎年この感動のドラマのお世話になっていたが、朝○新聞含めどうも大人の利権や汚い部分が垣間見える大会でもあった甲子園。
そんな大人たちだから、正しい判断が出来るようには思えず、高野連が下した決定だからというフィルターで物事を判断してしまっている私もいる。
ただ、人生をかけて野球をやってきて、中止を迎えてしまった球児や周りで支えてきた人たち
彼彼女たちはどれだけ無念で悔しいだろうか。
それだけの思いと相反する決定であったことに責任感を持ち、大人たちが子供たちの表現、闘える場所をより良く整備していかねばならない。
これは野球のみならず、全てのスポーツ、そして社会性を持つものにおいて必要な精神であろう。
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