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【思考-Pt.19】2つの基準を元に考える能力と結果の関係性&「平等」と相対的価値

二つの基準

基準には絶対的なものと相対的な物の二つが存在する。

絶対的な基準というのは、その基準は誰にとっても不変なもので、学校の赤点や、合格点数といったものがそれにあたる。この基準は不変であるため、この基準を元に物差しを作ることが可能であり、この基準を用いることで比較をすることができる。テストの順位がそれにあたる。

対して相対的な基準は相手(人じゃないときもある)との関係性によって生じる基準である。例えば、相手を上回るという勝負などの場面において絶対的な基準は無く、相手の存在によって基準が変わってくる。相手がAの場合とBの場合では「相手を上回る」において基準が異なる。そのため絶対的な基準は存在せず、そこに関わっている者の間でその都度基準が作られる

そのため、この基準を用いての比較というのは一場面でしかできず、限定的な状況下に置いての評価としてしか効果を持たない。この基準自体が「この場合においては」という前提の下成される基準であるため、この基準を用いての比較はその限定的な場合のおいてのみ言える上下関係となります。

基準をはっきりさせることにおいて大切な理由の一つは、正誤・良い悪い等の物の判断が明確に下せるようになることです。

80点以上は合格という基準を使えば、どのような状態であれば合格なのか不合格なのかが非常にわかりやすくなります。

相対的な基準においても、サッカーのように相手を一点上回れば勝ちという基準にのっとることで、明確に勝者を確定させることができます。

能力と結果

このように基準が判断を確定させますが、それに対してより良い判断を受けようと我々は基本的にその基準を乗り越えようとします。その基準を乗り越えるための行動を世間一般では努力等の言葉で表すかと思います。

この基準を超えたいという思いに対して、超えられたかどうか。この判断が「結果」という物になります。

この基準を超えるための過程に置いて私たちは様々な努力をしますが基本的にその多くは「能力」にフォーカスを当てたものが多いと思います。

テスト勉強や筋トレが特にわかりやすいかと思います。それ以外にも必要なスキルを身に付けたり、知識を増やしたり等、能力的に今の自分より優れていようという目標を掲げて行う方が多いと思います。

このように自分を基準に向かって引きあげる作業=能力UPという形かと思います。

ここで一つ疑問を投げたいと思います。

果たして「能力」と「結果」に相関関係はあるのか。

この世のほとんどのことは様々な事が複雑に絡み合っており、予測不可能なものがほとんどです。

つまりほとんどの物がA+B=Cとあらわすことはできません。

本当にこの能力の上昇が結果に結びつくことなのかを二つの基準から見ていきたいと思います。

まず絶対的な基準ですが、これは能力アップと結果に強い関係があると思います。絶対的な基準はすでに基準が明確に決められており、どこを目指せばよいかということがはっきりしています。

そのためテスト勉強において、知識を増やすことは基準を超えることに結びつき、より良い結果を出すためにプラスになる行為だと思います。

そして相対的な基準ですが、この場合能力と結果には強い関係があるのでしょうか。

まず相対的な基準ですが、まずこの基準は対象との関係によってのみ決められます。つまり、対象次第で求められる基準が変わるので、求められる能力も当然変わります。ただそれはそのジャンル内の物ではあるので、そのジャンルとしての能力が高ければ結果との関係性は強いと思います。

しかし、そのジャンル内であっても対象次第で求められる能力の優先順位は変わってきます。この対象があらかじめ完璧に把握できていれば、より早い時期から必要なの能力が分かるので、絶対的な基準と変わりはないですが、わからない場合の方が多いので、基本的にはその基準を超えられるかどうかを確定させる場において理解することになります。

たまにいる、どうしてこの人は光る何か、高い能力は無いのに成功するのだろうかという場合に関してですが、それはおそらく、その人自身が思っている基準と、実際にその人が求められた基準が合致していないため評価に間違いが生じている場合か、その人の能力という物があらゆる基準に対してのバランスの良さという能力である場合が多いかと思います。

つまり、能力というのは結果を出す上で、高けれ高いほど良い物ではありますが、最も大事な事は求めらる基準に対しての能力であり、それがよくわからない現状では、抽象度をあげ、そのジャンル自体での能力を上げる事です。

そのジャンルの中でスキルを上げるのではなく、そのジャンルとしての能力を上げ、そのジャンルの中で求められる基準への対応力を上げる事です。
これは線形ではなく、非線形として捉えることと同義であり、詳しいことは複雑系・カオス理論という物を学んでみることをお勧めします!

平等

人はみんな平等

これはよく言われる言葉です。

平等ということは等しくおない価値ということでありますが、等しく同じ価値ということは、ある基準に沿って比較した結果横一線だったということです。

さて、人の価値に置いての絶対的な基準とはなんなのでしょうか?

みんな違ってみんな良い、これは間違いなくそうだと思います。

ではこの良いという基準はどこから来るのでしょうか。

自分はそもそもみんな違うのだから、この基準は相対的なものだと考えています。

絶対的な人間としての価値基準というのは存在せず、人の良い悪いだったり評価というのはその人を見る人によって決まると思っています。

もし絶対的な基準が存在するのであれば、トロッコ問題は有名にならず、相対的な基準があるからこそ、あのような倫理問題が有名になるのだと思います。

そのためすごい、良い、良くない。すごくないという基準は相対的なものによって変わるものです。そしてこの基準自体を変えるということもでき、同じ人同士でも基準を変えることでその人の評価というのは変わってきます。

つまり、相対的であるからそもそも人間の価値は比較できず、平等は存在しない。このように今は考えています。

絶対的にみるか、相対的にみるかで評価は変わってくるもので、特に人間には感情があります。故に絶対的な基準よりも相対的な基準をより持ちやすいのだと思います。

このように二つの基準という観点から様々な事を見ていくのも面白いと思います。

例えば失敗を怖がる子は絶対的な基準の中で考えていることが多いと思います。

絶対的な基準があるからこそ、これは失敗だからだめと判断されてしまいますが、相対的な基準ではそこでの失敗というのは別の基準においては成功とも呼べるかもしれません。

絶対的な基準はわかりやすく、不変であるがためにプレッシャーを与える要因にもなり得ると思います。

もちろんこの問題には他にも様々な要因が絡んでいるので一概にこれとは言えませんが、このような視点で見てみるのも面白いと思います。

今回はこのような視点で考えてみました!また様々な視点で物事を考えて行きたいと思います!

ありがとうございました!



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