「楽しさ」か「達成感」か

引用:とめはねっ!鈴里高校書道部 9巻 p182

ここ2年間ずっと答えが出ない「楽しさ」か「達成感」か、の問題。指導者として子どもに向き合う上でどちらを優先させるべきなのか。
前提として、この2つは必ずしも矛盾しないと思っています。なぜなら、「楽しさ」には「刹那的な楽しさ」と「本当の楽しさ(達成感を伴う楽しさ)」の2種類があると思っているからです。

「人生には2種類の楽しさがある。一つは刹那的な楽しさ。この刹那的な楽しさは何かと言うと、カラオケで友達と騒いだり、ゲームセンターに行ってゲームをしたりすること。これを刹那的な楽しさと言う。
もう一つは、本当の楽しさ。この本当の楽しさは何かと言うと、達成感や充実感、そして成功体験のことを言う。勝てないチームにどうやったら勝てるかを考え、勝ったとき。受験に受かるために勉強をして、見事合格したとき。組体操で難しい技があり、練習で何回も失敗したけど、本番で成功させることが出来たとき。これを本当の楽しさと呼ぶ。」
「人生には、楽しさが2種類ある。それは刹那的な楽しさ。と、本当の楽しさ。」

これを踏まえた上で、「楽しさ」を与える側は、「刹那の楽しさ」と「本当の楽しさ」のどちらを与えたいと考えているでしょうか。

言葉の性質上、「刹那の楽しさ」が悪で「本当の楽しさ」が正義のように感じられますが、僕は必ずしもそうとは思いません。

「本当の楽しさ」を感じるためには失敗や挫折などが不可欠です。そして多かれ少なかれ「※厳しさ」を伴います。これらを不快に感じる子もいることでしょう。将来サッカー選手として生きていかない子供たちにとって「それ」が必要かどうかは、常に議論になり続けます。

※厳しさを履き違えた、暴言や体罰は論外です。あくまで、練習と遊びのメリハリをつける必要があるという意味での「厳しさ」です。

しかし僕は指導者として「(達成感を伴う)本当の楽しさ」を味わってもらいたいとも思っています。「本当の楽しさ」を与える事は子供たちの将来にとって大きな財産となると思っているからです。
それに、「刹那の楽しさ」は、わざわざお金を払って、時間をかけてサッカーをしに来なくても、休み時間の校庭や放課後の公園で味わうことができると思っているからです。

再びになりますが、将来サッカー選手になる子供なんて全国を見てもほんのひと握りです。それ以外の大多数の子供たちに「刹那の楽しさ」と「本当の楽しさ」のどちらを与えるべきか。この矛盾と闘う毎日です。

今現在では、僕が指導者でいる以上は、「本当の楽しさ」を与えたいと思っています。

ただ、でも、難しいですね。「本当の楽しさ」を追い求めて、子供たちがサッカーから離れてしまっては元も子もないですからね。

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さて、あなたの周りの選手たちはサッカーに対してどれくらい真摯に向き合ってますでしょうか。小学生でも中学生でも高校生でも。

もし向き合ってる選手が多数を占めるのであれば、指導者側が厳しさを求めなくても、選手たちが自分自身を律して、向上心高くサッカーを楽しんでくれる事でしょう。その場合、「大江くんのおばあさん(画像上)」のような指導ができると思います。とても理想です。

しかしながら、僕の指導現場では残念ながらそうではありません。色んな子供がいます。あくまで肌感ですが。そして、これは全国ほとんどのチームに当てはまると思っています。このようなチームだと「笠置先生(画像下)」のような指導が必要になるのかもしれません。

あくまで、「本当の楽しさ」を追い求める場合ですが。

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