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☆印象派に感動した日

なんだろう。感じたことを整理したい。
とてもそう思った。
絵に関する知識はほぼない。けれど、いまの僕が扱えることばで説明してみようと思う。

⑴ 移り行く変化を捉える

印象派とは僕の記憶が正しければ、
18-19世紀の西洋において台頭した
呼称の通り、感じた印象のままにカンバァスに
描く手法のことだ。

彼らの特徴は、アトリエを飛び出し、
彼らにとって描きたい場所を求め、
その場所選びから制作がはじまっている点にある。

たしか絵に近づいてみると、
あえて言葉を選ばずに言えば、
タッチの粗さが目立ち、当時の西洋社会で
絵画として認められなかった理由がなんとなく想像できるのが印象的だった。

彼らの描く絵は僕からみると、
ある種の移り変わりや変化を捉えているように
感じ、
当時の西洋社会が絶対的な神を心に君臨させ
不変なものを信じていたがゆえ、
変化をあえて捉えたいという心情だったのだろうか。

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例えば、夕暮れを捉えた絵。
太陽が落ちるその変化を目に映る景色そのままに描いている。
描かれた当時の時代背景など意識しなくても、
いつの時代もこんな風景は存在していたんだなと思わせてくれる。

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印象的だった山の地形を捉えた絵。
説明には、斜面に立つ「木」に着目したんだとか。
木は平地に立つのがあたりまえであっただろうから、斜面だろうと力強く聳える木に描こうと決心したのかもしれない。
ちなみに、僕目線は、カンバァスを斜面においていたはずで平衡感覚大丈夫だったんだろうかとか気になった。

⑵ 少し遠くから絵を眺めてみる

僕なりに印象派の絵は、すこし遠くから眺める方が書き手の書きたかったものが見えてくる気がする。

語弊を恐れずに言えば、印象派の絵のタッチは粗い。
下書きもしないそうで、思ったものを思うままにカンバァスに表現する。
まるで、書き手の身体に憑依して、その時代にタイムスリップしたかのように思え、懐かしさを覚えるかのように。

見入ってしまったのは、ゴッホの作品。
このエリアは写真を撮れたので、載せておく。

⑶ 思考を巡らせる

絵を観ることは、当時の画家の思考を借りて
時代を目の前に投影することなのかもしれない。

「先人たちが森や川の詩を発見したように、今日の画家たちはいまや、鉄道駅の詩を発見せざるを得ない」エミール・ゾラ

ある説明文の中にこんな記載があった。
移り変わる時代とともに、彼らは彼らなりの目線で世の中に疑問を持ち、カンバァスに書き起こしたのだろう。

時代を超えて人々に愛されている、継承されている絵にはその力があるのだと思う。

この展示会で、レッサーユリィという画家に興味を持ったので、今度調べてみようと思う。
たまには、こんな休日も。

それでは。

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